捕獲

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捕獲

 ある朝、ご飯を食べていたら、目の前に人間の顔があった。  余りに近くて驚きすぎて、逃げることも忘れていたら、その指が、鼻の頭に触れた。背筋がぞわりとして、全身の毛が逆立つような感覚を覚えた。  気付けば、そのまま走り出していた。 「ちび、悪かった。ここにいていいんだぞ。嫌なら触らないから、戻ってきてくれ」  野太く温かい声が、追いかけてくる。  戻ってもいいのかもしれない、戻りたいという気持ちと、結局人間なんて、どうせ同じなんだという思いが交錯する。  僕の足は、一向に止まることなく、とにかく走り続けた。  周りに、建物が多くなってきた辺りで、食べ物を探して速度を緩めてみる。  嗅いだことのある、妙な臭いが、建物の中から漂ってきた。  背が高く、裾の長い白い上着を着た人間が出て来た。左右の耳から細くて長い紐が出ていて、それは途中で一つになって上着のポケットに繋がっている。 「あれ、君はもしかして……急に逃げ出して心配したんだよ。尻尾の調子はどう、痛くないかい」  距離を保ったまま、穏やかな笑顔を浮かべて、低めの声で言った。  聞いたことのあるような声だった。でも、初めて見る人間のはずだ。どうして僕を知っているかの様に言うのか、訝しんで後ずさりする。  別の人間が、また建物から出て来た。少し背が低く、腰の辺りが縊れた白い服に、小さな白い帽子を頭に乗せている。 「先生。お昼に行かれるなら、ご一緒しませんか」  後から来た人間が、高めの声でそういうと、センセイと呼ばれた背の高い方が頷く。そして、両耳から紐を外すと、ポケットの中から板を取り出して数回指で叩き、紐と板をまとめてポケットに入れた。 「それじゃあ、車を出そうか」  二人が揃って、近付いて来る。逃げようとして振り返ったら、別の人間の足があった。 「マリー、探したんだよ。どこに行っていたんだい。僕に黙っていなくなるなんて、駄目じゃないか。もっと、きついお仕置きが必要だね」  久し振りに聞く声に、体中が凍り付く。  ナツヒトだった。  二本の腕が伸びてきて、あっという間に捕らえられた。逃れようと、その腕に爪を立てて暴れた。けれど、暴れれば暴れるほど、僕を拘束する力が強くなる。そして、小さな狭い籠の中に押し込められた。 「君を探して、こんなところまで来ちゃったよ。ちょうど、動物病院があったからさ、ダメ元で聞いてみたら、君と同じキジトラの、それも尻尾を切られた猫を保護したっていうから、僕の勘も大したものだよね。でも逃げちゃったって聞いて、これからどうしようかと悩んでいたところだよ。君から会いに来てくれるなんて、嬉しいよ。だからって、許してはあげないけどね」  持ち上げられた籠の向こうから、ナツヒトの優しげで、けれども冷たさを含んだ声が囁く。 「その猫を、放すんだ」  センセイが、さっきとは違う怖い顔でナツヒトに詰め寄った。籠の隙間から、仕舞ったはずの板が何故かセンセイの手の中にあって、それをまたポケットに戻すのが見えた。 「嫌だ。マリーは僕だけのものなんだ。みんなにいじめられていたのを、僕が助けてあげたんだ。だから、僕以外の人と仲良くしちゃ駄目なんだ」  ナツヒトの声は、朗々として歌っているかのようだ。 「本気で、言っているのか」 「そうだよ。僕だけのマリーだから……この前は、他の人間に触られて喜んでたから、この鋏で尻尾を切ったんだ、お仕置きとしてね。そしたら逃げちゃったんだよね。でも、もう放さないよ」  籠が微かに揺れる。多分ナツヒトが、籠を抱き締めたんだろう。 「そんなことをして放っておけば、傷口から雑菌が入って、死に至ることある。そうでなくとも、猫にとって尻尾は、大切な体の器官なんだぞ」  センセイの言葉に、ナツヒトは気味の悪い声を出した。 「もし死んじゃったら……マリーはずっと僕だけのモノになれる」  そう言うとナツヒトは、僕を入れた籠を持ったまま、走り出した。籠が揺れて、気持ち悪い。  このまま、ナツヒトに連れて行かれて、もっと酷い事をされるんだろうか。  こんなことなら、あの家から逃げなければよかった。  少し触られるくらいなら、何でもないことなのに。  どうして逃げてしまったんだろう。  あの人達がくれるご飯は、おいしかった。  敷いてくれた毛布は、柔らかくて気持ちよくて、あたたかだった。  もし、裏があったとしても、ナツヒトよりはましだったかもしれない。  戻りたい。  そう思って、どうにかして出ようと、揺れる籠を引っ掻き続けた。 「ここまで来れば、もう大丈夫かな」  籠の揺れが弱くなった。多分、ナツヒトの足が遅くなったんだろう。隙間から外の冷たい空気が入って来る。そろそろ、太陽が沈む頃だ。 「う、うわっ、何だお前ら」  突然、周りが強く光り、ナツヒトの叫び声が聞こえた。  籠の扉が開く。  外に出ると、ナツヒトが倒れていた。誰かが、籠を開けてくれたはずなのに、他に人の気配はしない。
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