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これじゃ延泊しなくちゃな。
翌日、伊藤が言って、瑞輝は仕方なく晋太郎に電話をかけることになった。このまま黙ってここにいて、翼に迷惑をかけるわけにもいかない。
寝ている分には、三十センチほどある胸の傷が熱を持って痛むことと、貧血でクラクラすること以外には不都合はなかった。移動は難しそうだった。伊藤の部下が応急処置でラップを胸に巻き付けてくれたおかげで、ちょっとはマシだ。その上からテーピングテープで固定されている。息をするたびに痛むが、それは我慢しなければいけない。
「そろそろ本当のことを告白した方がいいんじゃないか?」伊藤はニヤニヤしながら携帯電話を掲げて言った。瑞輝は手を出して黙っている。
「君が言えないなら、僕が代理で言ってあげよう」伊藤は携帯のボタンを押す。
「何て説明するんだよ」
「本当に君はバカだな。聞いてればわかる」伊藤は起き上がろうとする瑞輝の首を右手で押さえ、左手で電話をかける。瑞輝は抵抗しようとしたが、グイと指を押し込まれて力が抜けた。意識を失ったようだ。
「あ、ごめんよ。落としちゃった」
伊藤はペロリと唇をなめた。ほぼ同時に携帯電話に相手が出る。「あ、入間晋太郎さん?」
「はい」電話の向こうの晋太郎は不審そうな声を出す。
「えーと、北陽大学の伊藤と申します」
「ああ」晋太郎はその名前を覚えていた。「瑞輝なら、今日は友達の家に…」
「いやいや、瑞輝君、僕と一緒にいるんですよ、実は」
電話の向こうが無言になり、伊藤は一瞬切れたかなと思った。
「どういうことですか」静かに電話の向こうが尋ねる。
伊藤は瑞輝を見下ろしながら、にやりと笑った。やりにくそうだな、この兄貴は。直情型の方が扱いやすい。
「友達の家に行くっていうのは嘘でした。実は僕の仕事に付き合ってもらってるんですよ。申し訳ありません」
またしばらく無言になり、小さな咳払いが聞こえた。
「そうですか。今、どちらです?」落ち着き払った声が戻って来る。
「ええと…それはちょっと言えないんですけど」
「瑞輝の声を聞かせてください」
「彼、今寝てるんです」
「昼の二時に?」
「ええ」
「起こしてください」
「今寝たばかりで」
無言。
「怪我をしているんですか」疑問形でない形で晋太郎が言う。
「ちょっと」伊藤は瑞輝の体を見下ろす。いや、ちょっとじゃないな。けっこう、と言うべきか。
「瑞輝は普通の薬は効きません」
「はい、それはご本人にお聞きしました」
「それなら結構です。瑞輝はいつ戻りますか?」
「何をしたか、何をしているかは聞かないんですか?」
「聞いてお答えいただけるんでしょうか?」
「答えられることには答えます」
「瑞輝はあなたと同じ知識を持って、あなたについて行ったんですか?」
伊藤は少し考えた。「もしかしたら、僕よりもよく理解しているかもしれません」
ふっと晋太郎が電話の奥で笑う。
「では瑞輝が起きたら、私に電話するようにお伝えください。本人から聞きます」
面白くない。伊藤は息をついた。
「瑞輝君は家に戻らないかもしれません」
それが挑発だとわかっているかのように、晋太郎は静かに返す。「それは瑞輝の意志でですか?」
「いや、彼の意志ではないですねぇ。というか彼の意志がなくなると言うべきかな」
「伊藤さんは龍清会の方ですか?」
晋太郎が言って、伊藤は自分の携帯電話を耳から離し、じっと見た。通話中という文字が見える。そして電話を耳に戻した。
「そうです。ご存知でしたか」
「ええ、まぁ。かすかに父に聞いたことがあります。双頭龍がどうのとか、龍穴がどうのとか」
「なぁんだぁ」伊藤は笑った。「お兄さん、関係者じゃないですかぁ。隠すことなかったんだ。瑞輝君、必死で隠していたのに」
「何を隠してるんです」
「弟君を殺すことですよぉ。『黄龍之書』にもあったでしょう、乱れた場合は、力を統一しなくちゃいけないってことです。そんでもって、統一したら分散することも。つまりは瑞輝君をパッと散らすんですけどね」
「それは、失敗例じゃなかったでしょうか?」
ムッと伊藤は言葉につまった。瑞輝もそんなこと言ってたような。
「私はその本をちゃんと読んでませんけど、結果的にあの本は過去の失敗集というか事故記録というか…それをなぞるのではなく、そこからヒントを得て、独自の道を見つけることを求めているのだと思うのですが。瑞輝があなたについて行ったのは、それを見つけたか、見つけようとして行ったんでしょう。瑞輝の弟というのとは会えましたか?」
「いえ、あともうちょっとなんですけど」
「そうですか」
「瑞輝君、起こしましょうか」
「いいえ。後で自分で電話させてください」
「わかりました」
伊藤は少々当惑しながら晋太郎との会話を終えた。そして瑞輝の頬を叩く。
「おい、起きろ、寝たふりしてんじゃねぇ」
瑞輝は目を開く。そして笑った。「バレてたか」
「兄貴は相当怒ってんぞ、あれは。夕方ぐらいに電話してみな。ちょっとは怒りも冷めてるかもしれない」
「怖いなぁ。家に帰りたくねぇなぁ」
「帰りたくても帰れないかもしれないけどな」
「今日ってクリスマスイブでしょ。サンタがプレゼントくれてるかもしれないのに。帰ります。絶対帰る」
「あの冷血兄貴が何をくれるっていうんだ」
「晋太郎じゃない。サンタクロースです」
「神社には来ないだろ」
「わかんないですよ。間違って来るかも」
伊藤は呆れて瑞輝を見た。バカだな、やっぱりこいつは。
テレビをつける。昼のワイドショーや再放送ドラマ。どれもクリスマスの話題ばかりやっている。
「伊藤さんて家族いないんですか」
瑞輝が言って、伊藤は瑞輝を睨んだ。「おまえに関係ないだろ」
瑞輝は黙り込み、布団をかぶってしまった。
テレビをしばらくボウッと見ていたが、伊藤は鞄から木箱の本を取り出し、中を改める。確かにこれは過去の記録だ。書かれたのは、四百年ほど前のようだ。それ以後の記録はない。新しいものは、伊藤も知っている。業界に記録が残っているからだ。
「おまえ、サンタに何をもらいたいんだ」
伊藤がベッドに背を向けたままつぶやいた。瑞輝は布団から目を出し、伊藤を見た。伊藤はくるりと椅子をまわして振り返る。
「カノジョ、とか」
伊藤は笑った。「それは自力でなんとかしろって言われるだろ。ていうか神社だろ。縁結びの神様ぐらいお招きしたらどうだ」
瑞輝は黙ってまた布団をかぶり、伊藤は本にまた戻った。
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