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■2nd story■
「坊や、今日は暇だろう?」声がかかって、瑞輝は視線をずらした。覗いていたパン屋のウインドウに見慣れた白い車が映り込む。チッと小さく舌打ちをして、瑞輝は眺めていた甘そうなパンから目を上げた。クリームいっぱいのふわふわのパン、ケーキみたいなシュガーシロップのかかった菓子パン。チョコレートのかかったナッツ入りパン。どうせ食えないんだから、見ててもしょうがないか。
瑞輝は後ろを振り返り、にっこり笑った伊藤を見た。気分ががつんと落ちる。食えないってだけでテンション下がってんのに、なんでまたこの人に会わないといけないんだろう。気持ちは乗らないが、逃げてばっかもいられない。いつかは向き合わないといけないことなら、とっとと終わらせてしまおう。
「金剛寺の稽古時間まで一時間ぐらいあるよね。ちゃんと君のスケジュールはチェック済みだから大丈夫。後で金剛寺まで送ってあげるよ。島波神社の奉納演武、今年も頑張ってねぇ。最初から君に頼んでおけば良かったんだよ。助言はしたんだけど、君が若いからって遠慮したみたいだよ」
伊藤は瑞輝を助手席に乗せて運転しながらペラペラ喋る。
「俺のスケジュールはどこで調べてるんですか」
瑞輝が不機嫌に言うと、伊藤はニヤッと笑った。「秘密のルート」
別にいいけどよ。瑞輝は息をついた。どうせ聞いてもわかんねぇし。この人と闇の中歩くのも、ちょっと慣れて来た。真っ暗なのに懐中電灯しか持ってないんだよ。たぶん天井の電気をつけたら全然怖くないんだろうけど、懐中電灯で狭いとこしかわかんないから怖いんだよな。そんでもって、この人はそれをわざとやって俺を縛ってる気がする。でもこの闇の入口に連れて来てくれんのはこの人しかいなくて、そんでもって懐中電灯もこの人しか持ってないんだからしょうがない。俺はじいちゃんに大昔に一回だけ連れて来られた道を思い出すしかないんだよな。
車はぐるっと迂回して、伊吹山沿いの道に停められた。伊吹山へ入る道からは少し離れているが、やっぱりこの辺りも車の通りは少ない。歩く人は滅多にいない。そして数ヶ月前の土砂崩れの跡が残って土嚢が積まれており、工事現場によくある、赤いコーンと、黄色と黒の縞模様のバーが立ち入りを禁止している。
「今日は君のご希望のもの、持ってきましたよ」
伊藤はそう言って、後部座席からノートを引っ張り出した。そこに挟まれていた紙をペラリと一枚くれる。
瑞輝はその紙をじっと見た。一番上に書いてある文字は「永世家家系図」。瑞輝はその文字をじっと見た。どこかで似たようなものを見たことが…。
「君はここ」と伊藤が下の方を指差して、瑞輝は視線を移動させた。真ん中辺りはかなり省略されたようで、線がつながってない。下の方も途切れ途切れで、何が家系図だと瑞輝は思った。伊藤が指差したところに、確かに文字があった。「黄龍」と。俺の名前じゃない。
瑞輝の表情に気づいたのか、伊藤がペンを出して「黄龍」の横に「みずき」とふりがなを打った。そういう意味じゃなくて。
「ここが君。遡る方が話が早いから下から行くよ。こっちが君の元の家。中森家」
伊藤が蓋をしたペンでラインをなぞる。瑞輝はその中森家から伸びたラインにバツ印が書かれて、黄龍につながっているのを見た。籍を抜いて、入間家になったんだから正しいんだろうけど、バツ印が何だか悲しかった。
「黄昏れてないで聞いてね」伊藤が瑞輝の頭をはたいた。瑞輝は我に返り、伊藤のペンの先を見た。
中森家。
「俺の元の家は中森っていうんですか」
「そうだよ、知らなかった?」
瑞輝はうなずいた。誰もそういうことは教えてくれなかった。俺も聞かなかったんだけどな。
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