マフラーの巻き方

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 内田さんが、バーに顔を出した。出入口のドアを丁寧に閉めると、気まずさと恥ずかしさが同居したような、はにかんだ表情を浮かべながら、いつもの席に腰を落ち着かせた。 「やあ」  小さく手を挙げて、私に挨拶をする。 「これで、8日連続ね。金を落としてくれるのを待つ身としては、助かるわ。もちろん、相応に注文してくれるわよね」  私は、彼の方にわざと目もくれず、おどけた口調で、念を押した。  内田さんは、敵わないといった様子で、苦笑した。  私は、開店したてで他に客も居なかったので、彼が決まって最初に注文するロブ・ロイを作るため、スコッチウィスキーを取り出した。 「しょうがない、連絡先を知らない以上、ここで待つしかないからね。だけど、今日はきっと来るだろう。積極的にアプローチして、連絡先も手に入れてみせるよ」  誰に、と聞く前に、私はピンときた。 「まさか、スミレちゃん?」  私は、常連客の若い女性を思い浮かべた。数か月くらい前から、月に三、四回は訪れてくれている。来る曜日と時間は、ある程度バラついていたが、金曜日の開店直後に、顔を出すことが比較的多かった。そして、今日は金曜日である。  内田さんは、目を伏せつつ、BINGO!とでも言うように私を指さした。 「何度か隣の席になって話したけど、ウィットに富んだ話しぶりと同居して天然さが見え隠れするギャップがいいよね」  私は、ため息をつく。元々、事あるごとに来店する上客ではあったが、ここ数日の通い詰めの理由が、やっと分かった。 「毎度毎度、バーを訪れる妙齢の女性を引っ掛けようとするの辞めてくれる?確かに、彼女に魅力があることは同意するけど、確か大学4年生って言ってたわよ。軽く犯罪じゃない?」 「失礼な、僕は、まだ三十路になったばかりだぜ。それに」  私が差し出したカクテルを、景気付けとばかりに、一気に飲み干した。 「バーに出入りできる女性は、年相応以上に大人さ」 「馬鹿な事言って」 「大丈夫だよ、迷惑はかけないようにするから……。それにミコトさんだって、僕と同じくらいでしょ。いい相手を見つけなきゃ」 「失礼な人。会計を3倍にしてやろうか」 「悪かったよ、ミコトさん、勘弁!あ、マスカルポーネチーズもらえる?」  はいはい、と空返事をすると、入り口のドアが開いた。  こんばんは、と透き通った、しかしよく通る声が響いた。  内田さんのお目当てのスミレちゃんが、果たして来たのだった。  よく手入れされた比較的長めの黒い長髪を携え、人懐こそうな笑みを浮かべる。化粧っ気は薄いが、同年代の中でも、比較的美人に分類される顔立ちだろう。スタイルも悪くない。 「一番乗りだと思ったんですけど、先を越されましたね」 「この人が、早過ぎるだけ。コートとマフラー預かるよ」 「あ、大丈夫です、今日は、この後予定があって、一、二杯頂いて、すぐ出ちゃおうと思うので」 「そう?短い時間でも来てくれて嬉しいけど」  今日は、聞く時間も無さそうじゃない?と内田さんに視線を送ろうとして、おや、と私は眉を顰めた。内田さんは、スミレちゃんの来訪を歓迎するように、笑みを浮かべていたが。どことなく――諦観のような雰囲気を醸し出していたのだ。  それからも内田さんは、表面上は、気軽に話をしているように見えたが、どうも上の空で、私の話にもスミレちゃんの話にも、適度に相槌を交わすだけだ。いつものように深く切り込んで、話を持ち上げていくような話術の冴えは無かった。
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