マフラーの巻き方

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 一時間ほど経って、スミレちゃんは、席を立ち、帰っていった。  結局、内田さんは、連絡先を聞くどころか、大した会話の盛り上げもしないまま、無為に自身の印象を残すことを放棄した。  私は、他の客もまだ来ていないので、スミレちゃんが座っていた席を片付けつつ、内田さんに話しかける。 「どうしたの、唐突に怖気付いちゃったわけ?」 「んー……」  内田さんは、気の抜けた返事を返し、頭を掻きつつ、ぽつりと言った。 「スミレちゃん、好きな男の子が出来たみたいだね」  私は驚いて、目を見張った。 「あの子、彼氏が出来たなんて言ってたかしら」 「言葉には出してないよ」  内田さんは、目の前に出されたカクテルを一気に流し込んだ。 「でも、分かってしまうんだな」 「目敏いのね」 「観察力には自信がある。特に色恋沙汰にはね」  そう言うと、彼は胸を張る。だが、ショックが先行しているのか、いつものようなはっきりした所作ではなかった。 「あらそう。それじゃ、内田センセイ。愚鈍な私にご教授願えるかしら、そう考える根拠を」 「いいよ、その代わり‥一杯奢ってくれない?」 「調子がいいこと」  私は、悪態をつきつつ、適当に余っている材料を見繕う。  内田さんは、頭を掻きつつ、苦笑いをした。笑い皺が出来る。あどけない青年のような表情だ。私は、横目で流し見をしつつ、何となしに顔を背けた。 「この後、予定があるからって言って帰っていったけど、僕はピンと来てしまったね。彼氏を迎えに行ったんだ」  はあ、と私は無感動に相槌を返す。そのまま、内田さんは話を続けた。 「彼氏さんもバイトでもあって、ここに来る前に送り出していったんだろう。同期の学生かな…。それで、適当な時間になったら、迎えに行くっていう寸法さ。おお!なんとも甘酸っぱい青春の輝き!」  内田さんは、大衆劇の役者の如く、大袈裟にひれ伏した。随分な大根役者だが。まだ何杯も飲んでいないと思うが、大分酔うのが早そうだ。 「でもそれは、あくまで、あなたの想像でしょ」 「根拠はあるさ」  憮然とした表情で、飲みかけのハイボールに手を伸ばす。  私は、その手をぴしゃりと打った。 「悪酔いは厳禁」  内田さんは、素直に姿勢を正して、大丈夫だとアピールをする。  私はため息をつき、ハイボールの入ったカップをスライドさせて、彼の前に押し出した。 「スミレちゃん、一時間弱くらい居たよね、でもマフラーを解かなかった」  確かに彼女は、すぐ出ていくと言って、マフラーを外さなかった。 「上着は結局脱いだけど、マフラーは外さなかった。用事があるから、少し寄って、すぐ出れる格好にしていたとはいっても、少しばかり不自然だったとは思わない?」  ふむ、と私は考える。今日は、寒波が来ているせいで、外は芯まで凍り付くような寒さだ。そのため、室内の暖房は、酒や食物に悪影響を与えないように気を使いつつ、よく暖めておいてある。一時間も居たにしては、外さないのはおかしいといえばおかしかった。 「あれは、彼氏…もしくはそうじゃ無かったとしても、好意を抱いている誰かに巻いてもらったんだよ」 「まあ」  私は、ワザとらしく口に手をやる。突拍子もないような論述だが、面白そうなので付き合ってあげることにした。 「これにも、推論を下支えする根拠がある。まず、マフラーの巻き方なんだけど、これは勿論いくつもの種類があるのは知っているよね。彼女は、何点かマフラーを所有しているみたいだけど、決まってワンループ巻き‥両端を合わせて輪っかを使った中に、先の方を通した巻き方をしていた。だが今日は、ミラノ巻き‥ボリュームを持たせたお洒落な巻き方だけど、少しばかり手間のかかる巻き方をしていたんだ」  そう言うと、内田さんは自分のマフラーを持ってきて、自分の首に巻き始める。 「軽く首にマフラーを一周させて、巻きつけて作られた輪の内側から片方を引き出して、もう片方の方を、反対の輪っかに通す。理解してやってみると簡単だけどね。どうだい、似合うかい?」 「はいはい、似合う似合う」  私は、言葉尻の冗談は適当に流し、先を促した。 「お洒落に目覚めて、この巻き方に挑戦してみたってことは考えられないの?」  内田さんは、頭を振る。 「今日をきっかけにそうなるかもしれないが、今日は少なくとも別だ。彼女のミラノ巻き、自分一人でやったにしては、首後ろのサイドがすごく整っていた。逆に整いすぎなくらいね。人にやってもらったんだよ。実際、もう少し形を崩しつつ、ボリューム出さないと逆に違和感が出ちゃうのに。そして、そんな少しばかりの経験不足を感じさせつつ、ミラノ巻きを彼女に施すような人は、同年代の特別な男性だと、考えたわけだ。実際、今日はとても冷え込むし、この巻き方は、ワンループ巻きよりも、風をシャットダウンしやすくて、暖かくなる巻き方だから、やってあげたんだろう。そして、そんな風に巻いてくれたマフラーを、少しでも彼女は解きたくなかったんだ」  内田さんは、一息に話し合えると、手元のハイボールを、空になった車のタンクにガソリンを給油するが如く、一気に流し込んだ。  私は、感心しつつ、呆れもしていた。よくもまあ、抜け目のない観察から、自論をここまで組み立てたものだ。だが…。 「だけど、やっぱり決定的な証拠がないじゃない」 「証拠?」 「もしかしたら、お洒落に目覚めた彼女は、マフラーの巻き方を変えてみようと思ったかもしれない。一人で、やってみたはいいが、必要以上に気を付けたせいで、不自然なほどに整ってしまったのかもしれない。バーに入って、本当にすぐ出ていくつもりで、マフラーを巻いたままだったのかもしれない。もしくは、苦労して巻いたマフラーを一回解くのが、不安だったのかもしれない……ざっとこういった理由の方が、案外確率は高いんじゃないの」  私は、咄嗟に出た推論にしては、まあまあ良い線をいっているのではないかと思った。 「残念だが、証拠はある」  そう言うと、内田さんは自論を説くことでハイになっていた反動がきたかのように肩を落とした。 「それは一体何?」 「彼女の目さ」 「え?」 「彼女の目――時には理知的で、時には天真爛漫で、まるで子供のように輝いていた瞳の奥に、熱のこもった、慈しみや情愛の色が、確かに見え隠れした。それは、そっとバーの会話がふと途切れたような時、マフラーにそっと手を当てると、より強まった。彼女の唇が僅かに引きつりを起こすのも見た。それは、きっと思わず口元を緩めて微笑んでしまうのを周囲にばれないように、引き締めたせいだ。彼女は恋をしているんだ。そのマフラーは、その誰かに巻いてもらったんだ。それが、彼女の目に火を灯したんだ。僕は、自分の観察眼には自信を持っている。特に色恋沙汰に関して――恋に燃える瞳は見逃さない」 「……」  私は、呆れすら通り越して、思わず天を仰いだ。酔っているとはいえ、よくもまあ、ここまで恥ずかしいセリフを吐けたものだ。 「ミコトさん、今日は、失恋デーだ。おすすめのカクテルがあったら、じゃんじゃん持ってきてくれ!」  私の冷ややかな態度は、もはや目に入らないようで、内田さんは、呂律も怪しくなりつつ、私にそう言い放った。
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