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結局、この日のバーの客足は乏しく、他に入った数人の客も入れ代わり立ち代わりすぐに帰っていき、あっという間に店仕舞いの時間になった。内田さんは、結局最後まで残っていて、嘔吐したりするようなことは無かったものの、すっかり出来上がってしまい、後半はほとんど寝てしまっていた。人も少なく邪魔にはならなかったので、放っておいたのだ。だが、そろそろ起きて帰ってもらわないといけない。
「ほら、内田さん」
私は、背中をやや乱暴に叩きつつ、彼を起こした。
「あ――ミコトさん、今は何時?」
「もう店が終わる時間よ。立てる?」
「お会計――」
「付けとくから、次回払って。さっきタクシーも呼びつけておいたから」
内田さんは、のろのろと緩慢に動き出した。風に揺れる柳の枝のごとく、頼りなくふらついてはいるが、足取りはしっかりしている。目は、閉じてるか開いているのかよく分からないほど細まっているが、見えているには見えている様子だ。家には、無事に帰れるだろう。
私は、彼のジャンパーを取り、袖を通してやる。案山子のように、されるがままだ。私は、続けて彼の淡いライトブルーのマフラーを手に取った。
「……」
私は、首元を正してやり、マフラーを一周させる。巻きつけて作られた輪の内側から片方を引き出して、もう片方の方を、反対の輪っかに通し、全体を程よく整えた。ミラノ巻き。ボリューミーで、暖かそうだ。
「いつもありがとう」
ぼそっと、蚊の鳴く様な小さな声だが、内田さんは声を出した。
「いいから」
「僕はお爺ちゃんになっても、毎日通ってあげるよ」
「期待しとくわ」
「それじゃ、また来るから」
「はいはい、またね」
内田さんを送り出し、後片付けが残ったフロアで、カウンター席に座り、一休みをする。そっと目を閉じる。恐らく、今頃タクシーに揺られながら寝ているであろう内田さんのことを、なんとなしに考える。家まで帰って、彼は倒れ込むようにベッドに飛び込んだりするのだろうか。結構、変なところで律儀だから、眠い目をこすりつつ、シャワーはしっかり浴びそうだ。
きっと、家に帰ったら、すぐ私が巻いてあげたマフラーを解いてしまうんだろう。
そう思うと――ふいに、胸の奥がチクリと痛んだ。
『恋に燃える瞳は見逃さない』
「節穴」
思わず口をついて出た言葉は、誰も居ないバーに、静かに響き渡り、木霊した。
私は、ため息をつき、後片付けに取り掛かった。
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