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「曽祖父は編み掛けの袖をほどいてマフラーに仕上げました。出征の前夜、曽祖父は祖父を呼びました。そしてマフラーを渡してこう言ったそうです。『自分の代わりにお前が家族を守るんだ』と。そして既に出来上がっていた身頃は袖のないままはぎ合わせて船上に持って行きました。祖父は泣きたくなることがあるとこのマフラーを抱きしめたそうです。家族は離れ離れだったけれど、この糸で繋がっていたのです。」  教科書でしか知らなかった世界がマフラーを通じて直接肌を撫でていく。青い糸が時代を越えて今私をも繋いだのだ。 「幸いなことに曽祖父は戦場から戻ってこれました。曽祖父と祖父は長く一緒に船に乗りました。父は会社員になりましたので漁師は廃業になりました。でも祖父たちの編み物の技術や印は私が受け継ぎました。私もお爺さんが編み物をするときいつも傍にいました。大好きだったんでよお爺さんが。店の前の浮き玉は船を売る時に記念に残しておいたものです。」 「私の祖父も漁師でした。でも子供は母一人で父は体が弱くて海の仕事は無理で結局廃業したんです。」  私も祖父が大好きだった。船の上で網の繕いをする彼の傍でいつも遊んでいた。三年前祖父が亡くなった時は多分私が一番泣いたんじゃないだろうかと思う。  やばい。祖父を思い出したら目が潤んできてしまった。慌てて下を向くと彼女はそっと私にティッシュを渡してくれた。 「お茶にしましょう。」  彼女が奥でお茶を入れている間に涙を止めて鼻をかまないと。    淹れてくれたのはカモミールティーだった。椅子に座って爽やかな香りを吸い込むと高ぶった気持ちが落ち着いていくのが分かった。彼女はエレインと名乗った。想像通り私より一つ上の31だった。 「イクミはいつまでこちらにいるの?」 「あと半年はロンドンにいるわ。」  研修は一年。すでに半年過ぎた。あと半年で日本に帰る。この半年を振り返るとあっという間だった。だからあと半年もきっとあっという間に過ぎるんだろうと感じた。頭の中をふっと黒い影が過る。だめだ、だめだ。頭を振って影を追い出す。 「偉いなあ。」  エレインは心から言ってると感じる。  でも。実のところちっとも偉くないのだ。私は日本を逃げ出した。もっと正確に言うとあの場所から一秒でも早く、一マイルでも遠くへ行きたかった。 また感情が高ぶってくる。これまで苦労して押さえつけてきたものが一気に噴き出しそうだった。  だけど。エレインなら受け止めてくれるんじゃないだろうか。そう思った瞬間、私の口から言葉がこぼれた。 「私……結婚詐欺にあったんです。貯金も、アクセサリーも全部取られてしまった。警察に行ったり家族のところに刑事さんが来たり大変なことになって。みんなに迷惑をかけてしまったんです。でも彼は捕まらなくて、彼がいまだに日本で女の人を騙していると思うと日本にいたくなくて、それでここに……」  たまたま会社が募集していた海外研修の面接を受けてみないかと事情を知る上司が勧めてくれた。素材の開発研究なんて畑違いな分野に飛びこんだのはそんなよこしまな思いからだ。  セーターの編み目に五指を突っ込む。これは子供の時からの癖。手を握りこむと糸に手を握ってもらっているようで落ち着く。 「そう。それは辛かったわね。」  彼女の言葉が素直に心に響く。こくんと頷いて憑き物が落ちたかと思うくらいすっきりした気分で顔を上げた。彼女と目が合う。彼女の瞳は濃いブルー。きらきらと光る瞳は海そのものだ。
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