ブーム

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 四月上旬の、暖かい日だった。法事の為に一泊の予定で地元に戻った私は、実家から車で二十分の場所にある駅に降りた。  駅舎から出て、待つこと五分。予め到着時刻を伝えておいた母が、近くの駐車場からこちらに歩いてくるのが見えた。母はしばらくの間、私が券売機の脇に立っていることに気が付かず、その間、私は彼女の姿を何気なく眺めていた。  母の横を、若い女性が通り過ぎた。女性は、後ろから母の背中を二度見した。直近の正月に実家に帰った時、母も父も、柔軟剤の臭いがきつかった。他人に二度見される程ではなかった筈だが、あれからまた、柔軟剤を使う量を増やしたのだろうか?だとしたら、きつく注意しなければ。そんなことを考えていたが、母が近付いてくるにつれ、その考えは遠くどこかへふっとんでいった。 「それ、まさか、本物?」  母が私から一メートル以内にまで来た時、私の目は母の首元に釘付けだった。彼女との距離が二十メートル以上あったあたりでは、もう暖かい時期なのに変なマフラーを巻いているな、と思っていただけだった。そのマフラーは、やたら細いが妙に立体的で、垂れ下がった先の片方はすぼみ、もう片方は一旦太くなっていてその先がまたすぼんでいた。近付いてくるにつれ、そのマフラーらしきものが、蛇に似せたものであることのが分ってきた。  コンサバな母が蛇柄、そして、太さもほぼ蛇を模したファッションアイテムを見に着けるとは珍しい。ストレスか何かで、服の趣味が迷走しているのだろうか。それにしても悪趣味すぎるから、絶対にやめてもらおう。そんな決意をしたが、いよいよ向こうもこちらに気が付き、二人の距離が会話できる程度になると、私の口からは、もう、念の為に確認する質問しか出てこなかった。 「もちろん、そうよ」  母が言った途端、蛇は頭を上に持ち上げ、先が二股に分かれたピンク色の舌を出した。…生きていた。私は母から二メートル、遠くに飛びのいた。 「大丈夫大丈夫。この子、おとなしいから。それに、万が一噛まれても、アオダイショウだし毒はないから」  娘の外してどこかに捨ててくれ、という頼みは全く聞き入れられず、私はアオダイショウを首に巻いた母が運転する軽自動車に、しぶしぶ同乗した。ただ、少しでも蛇と距離をとりたくて、普段乗る助手席だけは遠慮した。  蛇を首に巻いて運転など、安全に問題はないのだろうか?運転中に蛇が運転手を噛んだり首を絞めつけたり、それによって事故発生なんてことはないだろうか?私の頭の中を様々な可能性が駆け巡ったが、さりとて、母の首から外された蛇がするすると自分の座席の方移動する、なんてことは絶対に避けたく、私は母に何も忠告することができなかった。  当然、私は母に何故、蛇を首に巻いているのかを聞いてみた。「近所で流行っているから」というのが母の答えだった。 「婦人会で、山本さんがアオダイショウを首に巻いてきてね。最初は皆、驚いたんだけど、それがよく似合ってたのよ。アオダイショウも、よく見たら可愛い顔してるし。裏では悪趣味だのなんだの言ってたのに、しばらくすると、地元の女性達がみんな、山本さんを真似てアオダイショウを巻くようになってたの」  母が私にドッキリを仕掛けていないことは、自動車の窓から、道行く女性たちが皆首に蛇を巻いているのを見て確認できた。  実家に着くと、母がその場から離れた隙に、私は居間のソファで新聞を読んでいた父に、母の蛇マフラーの件についてどう思っているか、尋ねてみた。 「そりゃ、最初は驚いたけど、そもそも、ご婦人方の流行なんて妙で突飛なもんだろ?俺はファッション云々は分からないけど、ペットとして飼ってみれば蛇も可愛いもんだよ」  父と同じ境地に達せなかった私は、自分が実家に滞在する間、蛇を飼育用の水槽から出さないよう、強く要求した。  ちなみに、実家の柔軟剤の臭いは以前よりも大分控えめになっていた。  ゴールデンウィークの間、私は貯金を奮発し、一週間の海外旅行に出掛けた。バカンスを終えた私は空港に降り、搭乗者の見送り出迎えに来ている人々の中の数人を見て、自分の目を疑った。  彼女ら、そして彼らは、首に蛇を巻いていた。そういったのが空港周辺だけでなく、自宅に着くまでの、電車を乗り継ぎ最寄駅から徒歩で歩いている間にすれ違った人の中にも、ちらほらと見受けられた。  旅の疲労と理解不能な光景によるショックで困憊となった私は、コンビニに寄り道して買った発泡酒を開け、ソファに陣取ると、テレビの電源を入れた。スタジオのひな壇に座る芸能人の七割が、種類の違う蛇をそれぞれ巻いていた。  私はテレビを消し、飲みかけの発泡酒を冷蔵庫に入れると、シャワーを浴びに風呂場に向かった。  連休が明けた翌日、私が仕事場に行くと、朝一番で職場の若い女性社員が上司に説教をくらっていた。  話を聞くでもなく聞いていると、上司は首に蛇を巻いて出社した部下に、就業中に蛇をどこに置いておくつもりなんだと叱っているらしかった。  退社後も、老若男女関わらず蛇を首を巻く人々を大量に見かけた。ニュース番組でも盛んに「蛇巻きファッション」がとりあげられ、ネットでは様々な巻き方テクニックが紹介されていた。  夏、「蛇巻きファッション」は最盛期を迎えた。もう、街行く人の誰もが蛇を首に巻いていた。  だが、その頃には蛇を巻くことによる弊害が広く表面化してきていた。巻いている蛇に噛まれたり首を絞められたりといった事故が多発し、違法に毒蛇を巻く人も少なくなかったことから、「蛇巻きファッション」による死亡者が後を絶たなくなっていた。それだけでなく、海外に流行が伝播してくると世界的な動物保護団体からバッシングを受け、それにより動物愛護の観点から国内でも批判が高まっていった。  「蛇巻きファッション」に興味を持った子供が蛇に首を絞められ死亡するという痛ましい事故が起きた時、ついに国は法律による「蛇巻きファッション」の禁止を決めた。  今や、道を普通に歩いていて、路上に、あるいは壁に、蛇がうねっている姿を見ない日はない。「蛇巻きファッション」が禁止されて以降、蛇が大量に捨てられたからだ。生態系を保護する団体、動物保護団体、蛇愛好家らが懸命に捨て蛇を回収してはいるが、一時的とはいえ爆発的なブームの後始末に終わりは見えない状況になっている。  実家のアオダイショウは、ファッションアイテムとして使われなくなった後も、ペットして大切に飼われている。実家の父によると、母は今でもたまに首に蛇を巻き、鏡の前で一人ファッションショーをしているらしい。
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