絶対にほどけないマフラーの編み方

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 師走も中頃にさしかかったある日、染谷理央は仕事帰り、付き合って二年になる小池雄吾と待ち合わせている店へと向かった。  街はクリスマス一色で、多くの店がツリーやイルミネーションなどで装飾を施している。店の入り口にも大きなサンタクロースの置物が"Welcome!"という看板を持って立っていた。店の前に立っている者は、ほかに誰もいない。  あれ? と思いつつ、店のドアを開ける。  店員に名前を告げると、すぐ席に案内された。夜景がよく見える窓側の席は、まだ誰も座っていない。  理央は珍しく雄吾より早く着いたことに内心ほっとした。理央の会社の方が残業が多いとはいえ、待ち合わせに雄吾よりも早く来られたことはほとんどない。  雄吾はいつも店の外で待っている。中で待っていて、と理央が何度頼んでも、「少しでも早く君に会いたくて」などと恥ずかしい台詞を真顔で言ってのける。だからと言って理央が同じように外で待っていたら、後から来た雄吾がひどく落ち込んでしまうことが目に見えている。優しくて繊細な人なのだ。  外の夜景を眺めていると、しばらくして店のドアが開く音がした。 「待たせてすまない」  直角に腰を曲げたあと顔を上げた雄吾は、眉を下げ、泣きそうな表情をしていた。駅から走ってきたのか、外は寒いのに額には汗が滲んでいる。 「走ってこなくても良かったのに」 「君を待たせてしまうなんて……」 「待ってる時間も楽しかったよ。景色のきれいなお店予約してくれてありがとう」 「君は優しい人だ」  雄吾はコートとマフラーを脱ぎ、椅子の背もたれにかけた。理央はその様子をじっと見ていた。  やっぱり今年は、マフラーにしよう。  理央は去年のクリスマスに手編みの手袋を雄吾にあげた。しかし雄吾は、当日「ありがとう」と言って大切そうに鞄にしまった後、冬が終わるまで一度も手袋をしたことはなかった。今年の冬になってもそれは変わらない。  雄吾の好みの色にしたから、見た目が嫌ということはないだろう。もしかしたら、雄吾はそもそも手袋をするのが好きではないのかもしれない。理央に言ったら傷つけると思って言えないのかもしれない。  でも、マフラーなら。  雄吾は去年も今年も同じ紺色のウール製のマフラーをしている。マフラーなら、雄吾もしてくれるに違いない。理央はいつも自分を外で待っていてくれる雄吾が少しでも温かくしていてほしいと思った。  食事を大方食べ終え、雄吾が手洗いに席を立ったとき、理央は雄吾のマフラーを手に取った。くたびれて薄くなっていて、長年使っていることが窺える。ざっくりと長さを測ると、ちょうど理央の手首から肩までの長さ三つ分だった。  元通りに戻しておいたつもりだったが、雄吾は戻ってくるなり、自分の椅子にかかっているマフラーに目をやった。 「あの……話があるんだが」  椅子に座った雄吾は、躊躇いがちに口を開いた。 「その、今年は、手作りはやめてもらえないだろうか」  俯く雄吾の表情は読めないが、彼がこれを口にするには余程の覚悟が必要だったはずだ。 「……理由を聞いてもいい?」  やめると言うのは簡単だが、その先を知ることはできない。雄吾が一歩踏み込むなら、自分もそうすべきだと理央は直感していた。 「怖くて使えない。だが、僕が使っていないのを君が気にしていることは分かっていた」  雄吾はようやく顔を上げた。自分を責めているのが表情から見て取れる。 「怖いって、どういうこと?」 「編み物というのは、一本の糸でできているだろう。たった一ヶ所、どこかに引っ掛けて切れでもしたら、するすると原型を留めなくなってしまうんじゃないか。もし君が僕のために作ってくれたものがそんな風になってしまったらと思うと、とても怖くて使えないんだ」 「要するに、去年の手袋も、気に入らなかったわけじゃないのね?」 「も、もちろんだ。大切にしまってある。宝物だ」 「しまうためにあげたわけじゃないんだよー。でもそうか、問題はほどけるのが怖いという点なわけだね」  雄吾らしい理由に、ふっと笑みがこぼれた。 「じゃあ、糸を二重にして作るのは? 一本がほどけてももう一本残る」 「二本切れてしまったらおしまいだろう。それに、一本が抜けたら糸の密度が変わって、着心地も温かさも変わってしまう」  理央は思案を巡らせた。  手作りはできれば譲りたくない。でも、糸で作る編み物である以上、ほどけないようにする方法なんて―― 「あのさ、もともと編み始めと編み終わりはちゃんと糸処理すればほどけないわけで。つまり、すでに切れてる端っこからほつれることはない」 「僕は編み方のことは知らないが、そういう風に作っているのだろう?」 「うん。だから、編むときに、毎回その網目が最後になってもいいように糸をほどけないようにしながら編んでいったら、どこかが切れたりしてもそれ以上ほどけないように作ることってできないかな」 「そんなことが可能なのか?」 「分からない。言ってみただけ。私の知ってる編み方ではそんなのないし。でもさ、試してみる価値はあると思わない?」 「うーむ」  雄吾が眉間に皺を寄せ、考え込んでいる。さっきまでの暗い顔よりずっといい。それに、研究者気質の雄吾の方が、理央よりもこういうことを考えるのは向いている。 「じゃあさ、ほんとうにできるかどうか、試したりしてみながら一緒に考えていこうよ」
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