夏のマフラー

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 村上さんが泣いていた。  夕暮れの薄暗い教室の中、自分の席で一人シクシクと泣いていた。  なんだろう、これ?   「どうしたの、村上さん?」  恐る恐る近寄って声を掛けると、彼女は涙を拭ってすがるような目で僕を見上げた。 「……マフラーが編めないんですぅ」  よくよく話を聞いてみたら。  彼女には好きな先輩がいてバレンタインのプレゼントに手編みのマフラーを贈ろうと思いついたが、不器用すぎてちっとも編めないそうだ。  ま、村上さんだって好きな男ぐらいいるよね。  それはいいのだが、見せてもらった製作物はマフラーというより雑巾に近いものだったから、僕は思わず頭を抱えた。  不器用なのにもほどがある。 「これ、どうしたらいいと思います?」  途方にくれた顔で彼女は言う。  捨てなさい。  と言えればよかったんだけど。 「図書室に編み物の本があるから、借りてこようか?」  なんて口走ってしまったのが運の尽き。  次の日から手伝わされるハメになった。  僕が編み物の本を読んで、それを村上さんに教えていく。  素人二人の編み物教室の始まりだった。  なんだそりゃ。  毎日放課後に村上さんと付き合っているうちに気がついたのだが、彼女は不器用と言うより、ものすごく短気なのだ。  どうにも気性が編み物に向いてない。  日を追うごとに僕らの仲は険悪になっていく。 「だから毛糸を引っ張らないで! ほら、急ぎすぎてココ、目が飛んでるよ!」 「手元に集中してるのに、横でゴチャゴチャ言わないでよ!」 「村上さんはいちいち雑なんだよ! 時間がないんだから、ちゃんとやろうよ!」  そんなやりとりが数日続いた後、ついにブチ切れた村上さんが僕に向かって言い放つ。 「そこまで言うなら自分でやればいいじゃない!」  売り言葉に買い言葉。  僕は当然のように受けて立つ。 「……器用なんですね」  自分で編まないでよくなって、すっかり落ち着いた村上さんが感心したように言う。  まあそうだろう。編み物の本は読み込んだし、教えるためにこっそり練習だってしてたんだ。  それでいいのか、という疑問はあるが、このままじゃ絶対に間に合わなかったしな。 「ところで、あの先輩、彼女いるの知ってる?」 「知ってますよ! そういうんじゃないんです」  じゃあ、どういうんだろう? 「困っていたときに親切にしてくれたから、お礼がしたいんです」  それで手編みのマフラーは重すぎないかと思ったが黙っておこう。  どうせ告白とかするんだろうし。 「あたし、親切な人って好きなんですよ。自分の得にならないのに頑張る人って素敵です。それに、あたしいろいろ雑だから、身の回りの世話とかしてくれる男の人が理想なんです」 「それ、彼氏じゃなくてお母さん」 「お小遣いくれとは言いませんよ」  そこまで言って、楽しそうにクスクス笑った。 「ねえ、ずっと『村上さん』って呼んでますけど、普通に『ゆか』って呼んでくれていいですよ。仲良しはみんなそうですから」  ふと思いついたように村上さんは言う。 「女の子の名前を馴れ馴れしく呼ぶのって、苦手なんだよ」  僕が答えると彼女は不思議そうに首を傾げ、少し考えた後で口を開いた。 「……女の子を大事にする人なんですね」  えへへ、大事にされちゃった。と照れたように笑ってる。  いよいよバレンタインデー。  ついにマフラーも編み上がった。  わざわざ先輩のイニシャルも編み込んだ力作である。 「ありがとうございます。助かりました」  全部僕が編んだマフラーを抱きしめながら村上さんは頭を下げた。 「いいよ、僕も楽しかった。好きな女の子のタメだもの」  早く行ってこい、と手を振るが、彼女はキョトンとした顔で僕を見ている。  なんだろうと彼女の顔を見返すと、みるみる彼女は真っ赤になった。 「あっ、あっ、あっ、うわああああ!」  奇声とともに村上さんは、すごい勢いで編み上がったマフラーを解いていく。  編むのは下手だが解くのはうまいな。  僕が変な関心をしていたら、彼女は毛糸の塊を両手に抱え、 「そ、そういうのは、もっと早く!」 「マフラー、ちゃんと自分で編むから! どんなに時間かかっても絶対編むから、返事はそれまで待ってて!」  言い終わると逃げ出すように教室を飛び出して行ってしまった。  彼女が下手なマフラーを持ってきたのは夏休みになってからだった。  思ってたより早かった。
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