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<5・えがく>
描きたいものを、見つけた。
だから拙くても何でもいいから、とっておきの一枚を描いてみたい。
究児がそう言うと、百済は少しだけ目を真ん丸にして――次に“そうか!”と破顔した。
「そうかそうか!お前ひょっとして見つけたか、“理想の手”ってやつ!」
「あ、はい……で、です」
「うんうん、良かった良かった。ここ最近雰囲気が変わったなぁって思ってたんだよな。顔が晴れ晴れしてるかと思えば、何かを真剣に考えてたり。スケッチをしないでただじーっとキャンパスを睨んでたり。良いことなのか悪いことなのかわからなくて、なかなか声がかけられなかったんだけどさぁ」
どうやら自分は、無意識のうちに結構な奇行に走っていたらしい。何時間も、ただまっさらなキャンパスを睨むだけ睨んでいるなんてそりゃ不思議がられるのも無理らぬことだ。しかも、今百済に言われてやっと自覚したんだからどうしようもない。
――だって、部活してても何しててもさ。あいつの手が、顔が、チラついて離れないんだから。
作曲をしている時の彼の手は、さほど素早く動いたりしない。むしろたどたどしくて、同じ道を行ったり来たりしながら迷子になっているような印象さえ受けるほどである。それなのに――いやだからこそ惹かれるのは何故なのか。拙く幼ささえある、迷いに満ちた指の動きが。親近感にも似た何かを覚え、彼の必死の努力を感じさせてくれるからなのか。
――だから、あいつの手は動かないで止まっている時より。曲を作るために、拙く動いている方が……絶対綺麗だって思うんだよな。
曲を作る時のやり方はいくつかあるが、縁の場合はメロディーを先につけてから和音を決めるというやり方をしているそうだ。和音をつけたから、の方が実際はメジャーなのだが、どうしてもコードを先んじて決めると画一的なメロディーになってしまいがちであまり好きではないらしい。自分のようにセンスのないヤツは、かえってコード進行など使わない方がいいんだ、なんてことを言っていた。――コード=和音、ということさえ最近知ったばかりの究児には、半分程度しか理解できていなかったけれど。
とにかくメロディーを完全に思い付くまま並べてそこに和音を足し、和音を装飾して両手の流れを決めるというやり方をしているらしいので、メロディーを作る作業は存外時間がかかるのだそうだ。まっさらな譜面にいきなり音符を投げ込むのだから、無理のないことであるかもしれない。
メロディーは、音階によって“始まりに置くのに収まりのいい音”“終わりに据えるのに気持ちいい音”というのが決まっているらしかった。音楽理論をきちんと勉強すればそこに法則があることもわかるのだろうが、感覚型である縁はうまく説明できる自信がないらしい。なんにせよ、感覚に従いさえすれば始まりと終わりの音を決めるのはそう難しくはないらしいが――問題はそこからなのだ。
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