<1・りそう>

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――本音を言うと、部長の手も結構好みだから見せてもらいたいんだけどなあ。……ダメかなあ。  小学生まで、落書き程度の絵しか描いて来なかった自分が美術部に入ったのは。単純明快、自分の“芸術”を己の手で形にする技術が欲しかったからに他ならない。特に、部長が受賞歴を持つスゴイ人、という噂を聞いていたから尚更である。まだ究児は人生において(といっても、十二年ちょいの短い人生ではあるが)、“究極の手”というものに出会っていないのだ。むしろ、存在しないのかもしれないとさえ思っている。どれほど細く、白く、美しい指先であってもいつも何かが足らないと思ってしまう。そして出会えないのなら――絵の中だけでもいいから、自分でどうにか実現するしかないのである。  どんな人生を経たら、どんな経験をしたら、そしてどんな造形ならば理想的な美しい手に仕上がるのか。残念ながらそれは、まだ究児にも分かっていないことだった。なんせ、入学してまだ二ヶ月程度しか過ぎていない。デッサンのデの字も怪しい自分は、油絵云々に着手するよりも先にまずデッサンと、影のつけ方云々から学んでいかなければいけないのだ。 「理想の手を描きたいんですよ。それが、どんな手なのか自分でもわかってないですけど。……えっと、不純な入部動機ですみません」  この少人数の部活の中でも、唯一といっていいほど真剣に絵の道を志している部長である。けして初心者を馬鹿にしたりはしないが、だからといって面白半分の部員を愉快に思うとは思えない。素直にそう謝罪すると、いいっていいって!と彼は苦笑してみせた。 「いやいや、それは全然いいよ。理想の手か、考えたこともなかったな。確かに手っていうのは、その人のいろんな経験とか考えとか、そういうものを全部表すものかもしれないしなあ」  ああ、こういうところだ、と思わず究児は尊敬の眼差しで部長を見つめる。手というものの“芸術的価値”をすぐに理解してくれたのもそうだし、自分のような斜め上に突っ走るタイプの後輩にも真剣に向き合ってくれるところ。まさに人格者というに相応しい。  この際だから、いろいろ聞いてみようかと思う。実は、今描いているデッサンも完全に煮え詰まっているところだったのだ。 「そうです。手を描くことはその人の人生をも描くこと、みたいに思ってて。だから、理想の手を持つ人の人生ってどんなのかなーって思っちゃって頑張ってはみてるんですけど。……俺の絵、なんかいつまで経ってものっぺりしてるんですよね……」
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