かえでの晩

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何だか正直きちんと聞いていなかったが、楓の館とかいうの建物と、誰かまだ分かっていない編集者か賞の実行委員会の人かそれ以外の誰かが入るときに言ってくれた気がする。 北の大地だから楓、カナダの国旗と同じことか。しかしカナダにこんなお洒落な建物はあるものだろうか。 北欧とも違う、日本のお洒落独特の落ちつきと、ヨーロッパの模倣にすぎないものは嫌だという意気地を感じさせるムード。 「一旦それぞれのお部屋に入って、荷物ほどいて、一時間後にまたここで集まるということでいいですかぁ」 やはりどこの組織のどの役割を担っている誰なのかまだはっきりしない女性が言った。 「だそうです。いきましょうか」 夕よりも年下に見えるがしっかりしたけいみょうさんに促されて、白い建物の白い廊下を共にゆく。 「ここですね、あ、すぐ横ですね」 けいみょうさんは鍵を開けて、いつまでも見ていたい気にさせるコーデュロイオーバーオールの半身で自分の部屋へ消えていった。 夕は途方にくれる。全ての事についていけていないと感じる。 東京に残してきた彼氏の一は病院で無事だろうか。大病になったばかりなのにおいてきてしまった。 東京を出る直前に、腫瘍マーカー値がまた上がったと聞いたばかりだった。ショックで倒れるかと思ったが、倒れずにここまで来てしまった。自分の事はいいから出来るだけ楽しんでおいでと言ってくれたけれど、楽しめていないよ、一。 自分がここにいる事が正しいのか、わからない。この賞を獲ってどうなるのかも、だからなんなのかも、どれだけ一の役に立つのかもわからない。 それでも夕の手元には、けいみょうさんのと同じ軽くて綺麗な色の木製の鍵があり、部屋に入ると、窓から、粉雪が溢れ降って見えた。 ああ一にこれを見せてやりたいと思う。東京生まれの東京育ちだから、こんな降り方をする、あの有名な曲のような雪を彼は知らない。 夕はハンドバッグから充電器と共に出したスマホを見るが、どうでもいいファッションサイトからのお知らせ以外に何の着信もない。こういう時一は心身がいっぱいいっぱいなのだ。だから夕も何も送らない。室内の無音。 夕のやりきれなさと同じくらいの降り積もり方をする、グラニュー糖より夢に近い雪。白すぎて真実を無くすような水の違う形。一が助かるなら本当はわたしは他はどうでもいい。けれどそれは運でしかない。できる事はない。
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