〈第十五章二人の海〉

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〈第十五章二人の海〉

鶴姫は、勝利の宴には出ず自室に籠っていた。 無惨な戦が終わり、ただただ悲しさと虚しさに苦しんでいた。。 我れの甲冑を見つめていた。 …三島を守ることが出来た。。 当面は三島も安泰であろう。。 もう、甲冑。。着ることはない。。 着たくない。。… 鶴姫の心は、深い傷を負っていた。 それは、愛する人を失っただけに、限らない。。 女武士として生きてきたが、敵方だとしても、どれだけの人間を、この手で。。 兄くらいの年頃の、敵兵が 「お前、我が妹と。。同じ頃やな」 その呻きを、聴こえてながら。。 父上と、同い歳くらいの歳老いた敵兵を 「ワシの娘みたいじゃのう。。娘同様の幸せを祈るぞ。。」 手にかけてしまった敵兵の最後の叫びが、 常に、鶴姫を苦しめていた。 三島を、最後まで守り切った 僅か19歳の女武将 実は、すべてが重すぎた。 何もかも安成が、傍にいたから乗り越えられていた。 …もう。。私には出来ぬ。。… 安成が、着けてくれた二人の心の鈴を 外して手に取った。 チリり…と鳴らしてみる。 …安成が、導いてくれたから、三島を守れたのだな。… 力なく、フッと笑った。 しかし再び悲しくなる。。 …安成。。戦には導いてくれたが この鈴の音を頼りにいつ戻ってくるのじゃ? 戻って来ぬではないか。。… 再び、鶴姫は声をあげて泣いた。 安成と祝言を挙げて、生涯供に生きてゆくなんて。。夢の彼方に行ってしまった。。 最愛の人を失ない。。海も静かになれば女武士とて、ただの女。 私には、もう何もない。。 まるで浜辺に打ち上げられた空っぽの貝と同じ。。 死んだ貝と同じ。。 私は、うつせ貝。。 鶴姫は、絶望の淵に立たされた。。 途端に白装束に着替え、墨を擦り 苦しい想いを、したため始めた。 -我が恋は 三島の浦のうつせ貝 むなしくなりて 名をぞわずらふ- …安成。。最早そなたは戻って来ない。。 ならば私がそなたの傍に行くしかないのだな… -鶴姫は悲壮な覚悟を決めてしまう- 鶴姫は、自身の甲冑の傍に 最後の叫びを残して そして誰にも知られぬ、見られることなく三島城から出て行った。。 ひと気もなく真っ暗な、吸い込まれそうな 静粛の中の三島宮に出向いた。 この島と、自身をお守りくださったことに感謝し、参詣をした。 また、母上と大兄上にも、感謝とお詫びの気持ちを念じた。 二人で過ごした。。 そして哀しい別れの三島の浜に来た。 まだ戦の残骸が、波に洗われて浜辺に打ち上がっていた。 ひとり砂浜に腰を降ろした。 いつも、安成が、隣にいた。 振り向けば、安成がいた。 今は、もう何処にも。。この世にすらいない。 …安成。。そなたに会いたい。。 そなたの声が聴きたい。。 鶴。。と囁かれたい。。 そなたの傍にいたい。。 そなたに抱きしめられたい。。 私を、ひとりにしないで… 淋しくて、辛くて砂の上に身を伏せる。 涙が止めどなく砂の上に溢れ落ちる。。 苦しくて、手の平で掴んだ砂が虚しく溢れ落ちる。。 ふと鶴姫は、顔を上げて夜空を見た。 -安成と二人で見た時と同じ 堕ちてきそうな満点の星空が一面広がっていた- …私は。。一人でこの星空を見れぬ。。 見たくない。。… その時だった。 鶴姫のお腹の奥が、ピクッと動いた。 今まで体験したことのない違和感を感じた。 咄嗟に手で腹をそっと押さえた。 -それは。。 既に鶴姫の奥には 安成の忘れ形見 新しい小さな命が、芽生えていたのだった- 絶望に打ちひしがれている彼女は 現実など理解出来なくなっていた。 安成の眠る海を見つめた。 …安成。。そなたは、この海にいるのだな… ふと波打ち際を見ると、一隻の小舟が打ち上がっていた。 …安成。。小舟を用意してくれたか? 安成が、私を呼んでくれている。。 安成が、この海で待っている。。… 鶴姫は、沖に向かって小舟を漕ぎ出した。 …私は、そなたのいる海に行く… 夜の海風が、鶴姫の涙で滲んだ頬を優しく撫でる。。 鶴姫を乗せた小舟は、暗い海の波間に漂っていた。 鶴姫は、二人の心の鈴を手にした。 …鈴よ。。私を安成の傍に導いて… チリり…と海面に向かって鈴を鳴らした。 …安成。。この鈴の音が。。 二人の心の鈴の音が聴こえるか? ならば私を迎えに来て… 鈴を鳴らし続けた。 …安成。。私はここにいる。。 もう何もいらない。。 何も怖くはない。。 そなたの傍に行けるなら… 鶴姫は、束ねていた長い黒髪をほどき 鈴を握りしめた。 …私は、安成の傍にまいれますように… 念じて、眼を閉じた。。。 やがて天空から、眼も眩むほどの眩しい光が降り注いできた。 鶴姫が、顔を上げると 安成が、目の前に現れた。 …鶴。。。… 安成は、鶴姫がこの海に、自分の傍に来てくれたことが 二人の心の鈴が、本当に引き寄せてくれたことが嬉しくて 涙を流しながらも、優しく微笑んでいた。 そして …鶴。おいで… と、手を差し出してきた。 …安成‼… 鶴姫も、手を差しのべた。 二人の手が握り合った瞬間 鶴姫の手の中から二人の心の鈴が チリり…と鳴りながら溢れ落ちていった。 嬉しそうに見つめ合い 安成は、鶴姫を引き寄せて 強く強く抱きしめた。 …鶴… …安成… …もう離れぬ… 抱き合った二人の姿は、眩しい光に包まれながら煌めきとなって 瀬戸内の海の底へと消えていった。 -何があっても二人は離れぬ。 二人の心は、ひとつ この海で寄り添い生き続ける そう。ここは二人の海- -二人の海に、現在でも恋人同志が願いを込めて、鈴を落とすと 永遠の愛が叶う。 ずっと一緒にいられる という- 二人は、愛し合ったまま、三島を守る宿命を貫き、瀬戸内の海に消えた。。 -鶴姫十九歳、愛と戦に、すべてを捧げた- 別名屋敷では、鶴姫が、もう袖を通すことのない白無垢と美しい打掛が いつまでも虚しく飾られていた。。。 終
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