第6話 1月31日(金) キス以上

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第6話 1月31日(金) キス以上

 ちょろちょろちょろ……カッポーン。築年数20年のマンションしか知らない俺としては、そんな音を発する庭に住む人間が身近に存在するとは思わなかった。  犬谷庭園前停留所から徒歩1分。大きな門をくぐるとすぐに日本庭園。そこを抜けたところにさらに小さな門があり、その先には大きな2階建ての一軒家がある。 「お前んちって、マジでここなわけ?」 「ああ」 「いやこの庭って、日本の庭園なんたらにランクインしてるとこじゃん!」 「興味ない。庭は家と切り離してるしな」  犬谷庭園。この地域では有名な庭園で、シティ情報誌によく載っているらしい。とはいえこの地域に住んでいて知らない人はそういないが、まさか犬谷がここに住んでいるとは知らなかった。 「この庭を潰せたら全面コートが作れたんだが、さすがにそこまで口出しはできなかった」  でしょうね。と心の中でツッコミを入れながら犬谷の後をついて行く。 「……すげぇ」  垣根と家の間を進むと、公園の野外コートよりもきれいに整備された半分サイズのコートがあった。 「着替えどうする?」 「ああ、上脱ぐだけでいいから別に」 「ロンスパでやるのか?」  犬谷が俺の格好を見てそう言った。ロングスパッツにバスケパンツを合わせている。確かに大会規定では禁止されている長さのスパッツだが、練習中の着用は自由のはずだ。 「外だしな。別に試合じゃねぇからいいだろ?」 「いや、そうだけど」  上着を脱ぎながらそう言うと、犬谷はチラチラとこちらを見ながら挙動不審な動きを見せる。 「なんだよ」 「ナマ足より、エロいな」  すうっと犬谷の人差し指が俺の膝を撫で上げた。ゾワリと体が震える。 「黙れエロ谷! 早く練習するぞ!」  開始から4時間が経過した。最初の走り込み以降は延々シュートの練習をする。シュートの練習は疲れてきてからが本番だ。  バスケは第4クォーターまでインターバルをはさみ各10分間、合計40分間動き続ける。練習と試合は疲れの感覚が違う。  試合では最後の最後、疲れた時にシュートはぶれる。そんなここぞというときにシュートを決めなければいけない。それを想定しての練習だ。  犬谷からパスを受けてシュートを打つ。普段の試合や練習でも感じていることだが、犬谷のパスは受けやすい。ここに欲しいというところにパスをくれる。  受けたボールをリングへ送る。ボールはリングに当たり、そのふちを回りながらリングの中へ落ちていった。 「つかお前さ、いつもここでどんな練習やってんの?」  てんてんとコートに落ちたボールを追う犬谷の背中にそう問いかけた。 「100本ずついろんな角度からシュート打って、確立出す」 「は?」 「ここができてから、雨の日以外毎日やってる」  犬谷はボールを手に取るとスリーポイントライン右斜め45°の位置へ立つ。そこから何気なく投げた犬谷のボールはパスッ、とリングに入り落ちていった。 「俺は、ここからのシュートが一番得意だ。ここなら絶対外さない」 「確立、かぁ。お前のやってる練習、スッゲーいいな! 俺数学苦手だから考えもしなかったぜ!」  俺はメモ帳を取り出しメモを取っていく。テスト明けにする練習はこれだ。計算は犬谷にやってもらえばいいだろう。 「休憩がてら、部屋で書いたらどうだ?」  俺が立ったままメモを取っていると犬谷が言った。 「んー、サンキュ」 「2階の突き当りの部屋だから。お茶、持ってすぐ行く」  奥にある犬谷の部屋はやはりというか、広かった。大きな机に革張りの椅子。机の上には教科書やノートが置いてある。 「勉強机ってか、社長の机だな」  さすがにこの机を勝手に借りるのは悪い気がして、真ん中に置いてあるローテーブルを借りてノートに書きこんでいく。 「鳶坂……」  しばらくそうしていたが犬谷に名前を呼ばれ顔を上げると、やたらと真剣な顔をした犬谷がそこにいた。  手には花柄のカップがふたつ乗せられたお盆があった。 「あ、ここ借りてる」  犬谷は勉強机にお盆ごと置くと、俺の真横に座る。  近い。そう言おうとすると、犬谷の唇が俺の唇に重なってきた。  犬谷の唇が俺の下唇を挟んでくる。いつもと違うとは思うものの、悲しいことに俺は犬谷としかキスをしたことがないので、されるがまま犬谷のキスを受け入れた。 「ん、んんっ?!」  そのまま犬谷のキスを受け入れていたら、口の中にぬるりとしたものが入り込んできた。  これは、犬谷の舌だ。  犬谷の舌が俺の舌先を撫でると、口の中と脳内が痺れる感覚に首筋の毛が逆立つ。その感覚を追いかけるように『あ、これがネットでみたディープキスか』という冷静な思いがやってくる。  濡れた音がさっきまで響いていたキスの音よりも大きく響いている気がして恥ずかしい。  今度は上あごを犬谷の舌先が撫でる。くすぐったさと、ぞくりとするはじめての感覚。 「あ……うっ、ふぁ……いぬ、たに」  未体験の感覚を与えてくる犬谷の名前を呼ぶと、その唇が離れていく。  俺の舌と犬谷の舌が離れていくときに繋がったままだった唾液がぷつりと途絶え、あごに垂れた。  ふと、肩に置かれた犬谷の指先に力が入る。 「悪い。このままだと、止まれない」 「なに、が?」 「このまま鳶坂を、押し倒しそうだ」  もう押し倒してますけど?  Tシャツの裾から入り込んだ犬谷の手が熱い。ウエストのゴム紐部分に犬谷の指が引っかかる。  これは、よく恋愛映画で見るアレじゃないのか?  慌ててもがいてどうにかうつ伏せになると、犬谷にズボンがぺろりと引きずり下ろされて尻が外気に晒された。  これ以上はまずい。体中に危険信号が走った。 「ちょちょちょ、ま、待てっ、犬谷!」 「外じゃ、ない」  分かってる知ってる。 「けど! 明日! 試合……だろうが!」  止まった。 「……な? お、落ち着こうぜ」 「悪かったな、急に」  ゆっくり離れていく犬谷の体温を感じ、肺に溜まっていた空気を音を立てないようにゆっくり吐き出す。 「いや、うん……ちょっとビビったっつーか」 「わかった、しない。もう少し、キスしてもいいか?」  そう言った犬谷の声は、低すぎてかすれたような声だった。そんな犬谷の声を聞いて、口の中に唾液があふれる。 「キス、だけなら」  唾液を飲み込んで出た声を塞ぐように、犬谷は俺にキスをした。  キスには色んな種類があると知っている。もちろん全部ネット調べだ。  そしてそのネットで調べた『深いキス』を犬谷とすることになるとは思わなかった。
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