135人が本棚に入れています
本棚に追加
/2ページ
スクランブル交差点で生まれた恋
朝から雑踏の渋谷スクランブル交差点。
人に押されるように進む道だから一秒でもずれたら逢えないのに、今日も俺と肩が触れ合う距離を掠めて行く人がいる。
すらりとしたスーツ姿の彼はいつも一人で、胸元のネクタイがどこか苦し気だ。
俺はあなたのことが気になっているが、あなたは?
繋がるきっかけが欲しいよ。
****
都会の朝だって氷点下。
足早に駅の階段を降り時計を見上げれば、いつもの時刻。やがて人波に押され交差点に立つと、向こう岸にスーツ姿の君が見えた。
良かった、今日も逢えた。
すれ違う瞬間が今から名残惜しい。
「おはよう」その一言で世界が変わるのなら変えてみたい。白い吐息に霞むボーダーラインの向こう側に、何が待っているのか見てみたい。
****
雨の日は嫌いだ。
傘の分だけすれ違う距離が遠ざかり、あなたの顔が見えなくなってしまうから。だから土砂降りなのに透明のビニール傘を握りしめ家を出た。
巨大なスクランブル交差点に咲く百花の傘、クルクル回る傘の渦。もう諦めていたのにあなたも同じ傘をさしていたので、見つけることが出来た。
雨の雫が透明の膜の上を踊り互いの傘を飛び交う距離で、今日も俺たちはすれ違う。
****
「待て。外は土砂降りだ。オレの傘持って行けよ」
お前の傘と使い捨ての傘。迷うことなくビニール傘を掴み飛び出した。
僕はもう二度とこの部屋に戻れないから借りる必要はない。
「……さよなら」
朝から酷い雨のように沈む心が灰色や黒い傘で溢れる交差点に滲み出す。だが向こう岸に僕とお揃いの傘をさす君を見つけた途端、グンと心が晴れ渡った。
すぐに捨てられてしまう憐れな傘だと思っていたのに、突然意味を成す。
ますます君とすれ違う瞬間が待ち遠しい。
****
相変わらず無機質な都会の朝。
スクランブル交差点は人を避け退いて進む道。
ところが僕の視界に突然飛び込んで来たのは、灰色の世界にふわりと映えるピンク色。
いつもすれ違う君の黒髪に絡まるのは桜の花びらか。それを言い訳に手を伸ばし引き止めてみたい。
君は何処から来て何処へ行くのか知りたくて。
****
朝寝坊し曲がった近道は見事な桜のアーチ。
花吹雪が舞い空気までもピンク色に染まる世界を潜り抜け、定刻の電車に乗り、いつもの時刻に信号待ちをする。すれ違う瞬間、あなたの視線がいつもより熱かった。
出逢っているのに、なかなか混ざらないスクランブル交差点を今日も通り過ぎる。
****
あの日以来暗黙のルールが出来た。
雨の日は透明の傘、晴れの日は肩がぶつかる程の至近距離ですれ違う。まだ名も知らぬ君のお陰で、僕はいつの間にか失恋を忘れ朝を迎えるのが待ち遠しくなった。
やがて新緑が街に溢れ、ビルを濡らす梅雨がやってきた。とうとう土砂降りの雨に負け傘が折れてしまったが、もうアイツの傘はいらない。
今朝も君の顔が見たいからこの傘は捨て濡れて行く。
一秒でも遅れたら君と逢えなくなるからね。
すれ違うだけの恋を掴まえたい。
「よかったら俺の傘に」
「ありがとう」
「実はずっとあなたのことを見ていて……」
「それは僕も同じだ」
ようやく君と話すことができ、僕たちは自己紹介しながら同じ道を歩み出した。
「俺の会社は少し遠回りだが、この道からも行けるので」
「ずっと君と同じ方向に進んでみたかったから嬉しいよ」
****
俺たちは朝の通勤時間を利用してお互いの理解を深め合った。そして半年程経った金曜日の夜、勇気を出してあなたを繁華街を抜けた先にある高層階のホテルへと誘った。
今、都会の夜景を見下ろす窓を背に、互いのタイを緩め合っている。
「君のこと、ずっと気になっていた」
「俺も寝坊しないように、毎朝必死だった」
一回の青信号で平均で三千もの人が渡る都会のど真ん中。巨大スクランブル交差点で、俺たちは運命のように出逢った。
「あんな場所で出逢うなんて奇跡だ」
「でもお互いの努力が実って、今ここにいる」
「君を抱く? それとも僕を抱く?」
「出来たら、あなたを抱きたい」
四つも年上だと知ったあなたを優しくベッドに押し倒し、糊の効いた白いワイシャツを開き滑らかな素肌にそっと口づけた。
カチリと合った歯車は俺とあなたを羽毛布団の中へと巻き込んで、気持ち良く回り出す。
クルクルくるくると──
口づけを交わしながら二人は重なっていく。
俺たちはスクランブル交差点で、すれ違う恋を互いに掴まえた。
最初のコメントを投稿しよう!