山賊王とバーリヤッドの死神

3/6
前へ
/6ページ
次へ
知ってる、とコトナは吐き捨てる。 もう全部――つながってる。 シンバ国の王子は十年前、御年十七の誕生日に(いわい)狩りをした。そして森のはずれで一人の孤児を拾った。 獣のように汚いその子供には名前のほかに記憶がなく、年を聞くとただ五歳とだけ、応えたという。 それから十年――卵から(かえ)った(ひな)のように孤児は王子を慕い、その命令ならなんでも聞いた。そう――たとえそれが人殺しでも。 不思議なことに、孤児は妖魔を操れたのだ。 しかも呼び出せる鬣犬(たてがみいぬ)は、闇使徒と呼ばれる上級妖魔だった。 その力は君の神たる証だよ――と、かつて王子だったサハルは断言した。 ――過去にも妖魔を恐れ入らせ、使役できる人間は世に存在した。彼らは神の恩寵を身に受けた、言わば神の代行者だ。コトナ、可愛い俺の柘榴石……信じられないかもしれないが、君だってその神なんだよ。 もし不安なら俺だけを見、俺の声だけを聞け。そうすればもう、君を脅かすものはなにもない――。 実際、サハルはコトナを寵愛した。 背高で彫りの深い顔だちにかかる茶色の巻き毛、その髪の間からのぞく(つや)のある碧眼。サハルは眉目秀麗(びもくしゅうれい)な男だった。 だがコトナを魅了したのは、この王子が持つ王譲りの蠱惑(こわく)的な声色と、どこまでも自信に満ちた口調のほうだ。 (私はずっと孤独で、空虚で……サハルがいなければ、生きる寄る辺がなくて) サハルは幼いころからその容姿と物言いで人を()きつけてやまず、十代の終わりにはもう、何人もの男女が王子の言いなりだったが、その裏で何人の政敵や愛人が、城の地下洞窟に消えたのか……コトナはもう覚えていない。 (ここの闇が、私の世界の中心だった) でも私は、まちがってた。 コトナは固くまぶたを閉じる。 ユラに会う以前のコトナはただ、サハルの心地よい言葉に従っていればよかった。 牢につながれた者たちは例外なく、大罪を犯した悪人ばかり。 だから闇の中で死病に取り()かれる。 ならばその前に灰色の魔獣に喰われてしまっても、たどりつく場所は皆同じ。 (かつて私は、暗闇で絶対の神だった) だけどユラにだけは、ごまかしはきかない。 声に出せ。言葉にするんだ、今の気持ちを。 「サハルは……私を使って、自分に都合の悪い人を消してただけ。私は神なんかじゃない、ただの人殺しで……だから山賊城塞(ウル・サファ)の人は私を『疫病(えや)みの子』って呼んでたんだよね」 コトナの両手が(ふる)えた。()やんでも後の祭り。他人の甘言にのって簡単に力を使うなんて、本当はいけないことだった。 「今更すぎるけど……私はもう、闇使徒を動かして囚人を殺すつもりはないよ、私はただ」 泣きたい気持ちでコトナはユラを見つめる。 ――あなたを助けたくて、ここに来た。 だけどこれ以上は口に出せない。 この洞窟は、かつて妖魔の糧となった者たちの怨嗟(えんさ)の念で満ちている。 そんななかで他でもない自分が……ユラにだけそんな調子の良い台詞を吐くなんて、いかにもおこがましすぎる。 必死の思いは声にならず、ユラもまた無言だった。二人の間に長い沈黙が落ち、コトナは絶望的な気分になった。 「……コトナ。ファティマは、どこにいる」 その時、ようやくユラが低い声を出した。コトナはびくりと両肩を震わせる。 「王軍が山賊城塞(ウル・サファ)を襲撃した日、ファティマもおまえを(かば)って捕らわれたはずだ」 ファティマはどこだ、とユラはもう一度強くくり返した。 コトナは天敵を前にして動けなくなった獲物のように(あえ)ぎ、 「あ、あの人は今……」 言葉を探しながら、そうか、と妙に得心した。 腹がすっと冷えていく。 ユラは私を救いに来たんじゃない、あの人を助けに来たんだ。 あの日。山賊城塞(ウル・サファ)最後の日。 街は炎で焼かれ、山賊たちが隣国へ行き留守だった頭領館も、あっという間に王軍の精鋭に占拠された。 ――少し背が伸びたな、俺の柘榴(ざくろ)石。 コトナはファティマの部屋で、もう会うことはないと思っていたサハルに再会した。 前王が病没し、王に即位したサハルは、自ら先頭に立って反対勢力を掃討(そうとう)しにかかったのだ。 かつては夢にまでみた邂逅(かいこう)のはずなのに、その瞬間コトナの背筋には悪寒が走った――踏みこんできた甲冑の男は、一国の王と言うよりむしろ、ざらざらした殺意を隠そうともしない、本物のならず者に見えたのだ。 その時、ファティマはコトナを自分の背に庇い、サハルに短剣をむけていた。 ならず者はふとファテイマに視線をやり、その短剣の切っ先が細かく(ふる)えているのに気づいた。 ――ほう、これは。わざわざ出張(でば)ってきたかいがあったな。   形の良い唇が残酷につり上がる。 王が後ろに控えていた部下たちに合図すると、五、六人の兵士がコトナを取り囲んだ。 部屋を出たところで背後の扉が閉まる。 サハル、お願いだからファティマを殺さないでっ、コトナは泣きわめいたけれど無駄だった。 無理矢理輿に乗せられ、煙渦巻く街を後にこの城に帰って半年がすぎ……コトナの自室軟禁が解けたのはつい先月のことだ。 そして一昨日の晩、久々に王の部屋に来るよう命じられ――コトナは見てしまった。   王の部屋の中から、言い争う男女の声。 ついで荒く扉が開かれ、夜着姿の女が雉鳩(きじばと)のごとく廊下に飛び出してくる。 その白い手を掴んで引き戻し、扉に押しつけて、甘い言葉を浴びせながら無理矢理接吻するサハル――。 それは……いつもの、光景だった。 これまでにもコトナはたいがい人気の無い夜に居室に呼ばれ、地下への鍵を渡されてきた。 だから閨の睦事(むつごと)を目撃することも過去、何度か経験があった。 あられもない男女の抱擁を見せつけられて、なにも感じなかったといえば嘘になる。   ……サハルは私を愛していると言うけれど、私は一体、この人の何なんだろう。 女でないのはたしかだ。かといって娘でもない。 そう言えばサハルはやわらかで優しいけれど、ユラのように、一度でもなにか自分で考えてみろと言ったことはなかったな――。
/6ページ

最初のコメントを投稿しよう!

4人が本棚に入れています
本棚に追加