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月明かりの側に
廃棄穴に一瞬の隙間もない月明かりの雨が降り注いだ。
少年は冷たいばかりにまぶたを焼かれ目を覚ます。
辺り一体はいつものように大小無数のゴミが途方も無い暗い空間に散らかっていて彼の周辺にある昨日の遊び相手達だけが先程の少年と同じように空を見上げて月に照らされている。
彼の遊び相手は大抵四人。
一人目は片腕の取れたブリキのおもちゃ兵。こいつは何をするにしてもリーダーだ。
二人目は両目のないクマのぬいぐるみ。たまにドジを踏んで少年を笑わしてくれる。
三人目と四人目は二人で一人。赤の刺繍が取れかかっているブラウンのスニーカー。
右は強情で左は冷静。いつも二人で持ちつ持たれつで少年の側にいる。
彼らが動き出す時間は必ず夜と決まっていた。だから、少年がスポンジだけになったベッドから眼を覚ますのも大抵夜だった。
「さあ今日の探索隊は僕だ。任せておけ」
少年はブリキのおもちゃ兵に笑顔で敬礼して探索に出る。
自分も含めて五人の食料を探し出し持ち帰るという使命感に薄い白地のシャツの奥から心臓が高鳴った。
この穴はどこまでも続いている。だが、あまり遠くへ出る必要はなかった。食料は昨日から一昨日ぐらいのものでないと食べられないからだ。
表面のガラスが割れた懐中電灯を持って食料を探す少年はこの前勝手に四日前の朽ち果てたバナナを食べてお腹を壊したようにうずくまっていたクマを思い出して大声で笑った。
その声は穴の中で遠くまで響きやがて月明かりの届かない奥底へと消えていってしまった。
蓋の真下に戻る頃少年は大量の食料を破れた布の中に包んでいた。
ベッドを見張るおもちゃ兵に警備ご苦労の敬礼をして食料を開ける。中にはまだ新しい食べられていないミカンや賞味期限が切れてまるごと全部捨てられた食パンが入っていた。
それらを平等に配ると少年は今日一日で一番得意気な顔をしてこう言った。
「よし今日も例のいたずらをやってやる。君達、ちゃんと見ておいてくれよ」
言葉通り誰一人として背くことなく上を見ていた。
耳を澄ます。
すると周囲の足音が容易に聞こえて誰が近くに来るのかがわかる。
ここだ。
少年は手に収まるほどの空き缶を明かりの上へ投げつけた。
「いてっ」
上で誰かに空き缶がぶつかった音がして月明かりのベッドは無音の歓声で包まれる。
「うまいだろ?耳を這うようにしてよく聞くのさ。犬の足音、猫、車、人、長いことやれば昼間だって聞くことができるさ」
少年は丁度月が背中にかかるように移動した。そして明かりで彼らが見える限り今日の探索で見つけた物の話をした。
四人は共通して無口で寡黙だった。
しかし少年の話の聞き役としては皆欠けてはならなかった。
まずクマが驚き右のスニーカーが突っかかる。左のスニーカーが場を諌めてブリキの隊長は何をするでなく時々場が乱れてケンカになりそうな時に出てきて自体をまとめる。
やがて月明かりは薄くぼんやりとして闇が五人に迫ると少年は彼らとまた明日も会うことを約束してベッドの中で眠りにつく。
廃棄穴のほとんどが元の暗闇に戻る。
そして暗がりに落ちてくる歪な落下音に少年が気づくことはなかった。
ーー
少年は悪い夢を見ていた。
霞むような暗い空間で得体の知れない魔物が少年の背後に迫っている。
足が底から熱くなり全身で息をしてもがくように逃げて行く。すると視線の先に一筋の光が見えてきた。目を細めると光は遠く何処かへ消えていってしまう。
魔物が冷たい少年の背後で囁く。
ボクガダレナノカオシエテクレヨ。
ダレデモイインダ。ダレデモ。
ーー
少年はその日珍しく月明かりで目を覚まさなかった。辺りを見回そうと目をこすった時いつものように月が廃棄穴の真上に来ていなかったのである。
月は穴に光をこぼし始めた程で少年の側で二足のスニーカーが少年にだけ聞こえるような微かな寝息を立てていた。
ふと、月の細い光を天井から視線でなぞる。
少年の世界の大半は闇。それでも月明かりが側に来さえすれば少しだけ外の世界に触れられる気がした。
舞っている埃の断片が雪のように鋼色の地面に落ちていくのだろう。
少年はそう予想し答え合わせをするために床に目を落とした。
床はまず鋼色ではなかった。肌色でおもちゃの兵隊長の顔のようにまるみがかった形をしている。やがて月が周囲を明らかにし落ち窪んだ目がはっきりと見えた。
白い、ここに落ちてくるどのゴミよりも真白で人形と思えない肌の質感が少年に微かな予感を与えた。
「君は僕とよく似ているね」
そう言って少年は月の光を一点に集める彼女に、彼女の死体に出会った。
ーー
彼女は無口で一人だけ違う空間を持っていた。
少年が何かを話すとき彼女は肩にかかるか、かからないかぐらいの黒い髪に白い透き通るような服を揺らして常に微笑んでいる。イタズラをするときも彼女だけが少年を見つめたまま流れ出てくるような優しい雰囲気を近づけてくる。
「どうしてこっちを見てるの」
やはり彼女は答えないまま笑っている。
「変だね君」
月明かりの塞がりは近い。
それでも彼女は微笑んでいる。
少年は影に隠れていく彼女の手を取った。氷のような冷たい感触の先に紙にようなザラザラした感触があるのに気づきそれを引き取った。
出てきたのは一枚の紙。少年は読めない文字を捨てられた辞書を使って解読する。
メアリーセレストベル。
この娘は両親のいない孤児です。元々孤児院に預けられていたのですが、この娘が孤児院に入ってから園児達の夢遊、家具の空中浮遊、叱責した職員の失踪。その他にも様々な事例が起こりこれらの現象が彼女のせいであるということが判明しました。
従って当院はメアリーセレストベルを見世物売りのバンジーニ殿にお譲り致します。
メアリーセレストベルはこのような超常現象を起こした張本人でありながら本人に自覚はなくまたどう指導しても夜に起き、昼間に眠ってしまう生活リズムを改善しようとしませんでした。また彼女は両親に会いたがっていたようです。
つきましてはお譲りするにあたって以下の規則をお守りください。
1、両親の話をしないこと。
2、市民権及び教育権を与えないこと。
3、超常的な現象やそれに付随するものが見られた場合即座にそれを中止させること。
4、これ以上は使用できないと判断した場合当院に送り返さず処分して廃棄穴に捨てること。
以上の規則をお守りいただきますようにどうか宜しくお願いします。
〜ダミヤ孤児院職員兼人身市場管理団体者。Cレドモンド〜
ふと顔を見上げる。手紙を読むことに夢中になっていた少年は月がもう隠れようとすることにようやく気付いて細い光の中から彼女に視線を当てた。
それでも、それでも彼女は微笑んでこちらを見ているような気がした。
しかし少年は確かに見た。
全てを知りながら行きたいと願ったほっそりとした涙を。
ーー
翌月の夜少年は彼女を脱出させる計画を立てた。
紐を通し穴の方へ彼女を釣り上げる大掛かりな作戦。
少年は彼女や仲間に入念に打ち合わせる。
しかし反応は冷ややかなものだった。
いつもと表情が違う。彼女のためにと熱心になる少年を仲間を皆蔑むように見ていた。
「そんなに彼女を逃がしたいのは自分も逃げたいと思ってるからさ」
皆が視線で少年に語りかける。
少年は仲間と始めて別のベッドで眠ることになった。
計画実行は翌日。
抱きかかえてきた彼女が側で笑んでいた。
ーー
魔物が迫る夢。
また逃げ惑う少年が目を細める光の筋の中に仲間がいる。
叫んだ。
「そうしていつも黙ってばっかじゃないか」
仲間は何も答えない。
「こんなに話を聞いてくれるのにどうして僕が誰なのかどうして教えてくれないの?」
僕の名前は何?僕は一体どこの誰なの。
名前も知らない。僕が何者で世界のどこにいるのかもわからない。
いたずらも雄弁な語りの正解と不正解も君達は教えてくれない。
誰か、誰でもいいんだ。
僕の側にいて僕がいる意味を見つけてほしい。
ーー
少年が目を覚ますと廃棄穴のゴミは踊るように宙に浮きまた少年のベッドも浮かんでいた。
月に群がりをなしてゴミの大群が押し寄せていく。
街の満月の表面に疎らな影がかかったかと思うとゴミの波は一気に住宅街に押し寄せ街は廃棄穴と同じような景色になった。
これは大変ないたずらだ。
彼女を見て少年は大きな声で笑った。
スニーカーや兵隊やぬいぐるみが側にいる。
「ねえ、僕はようやくわかったんだ。僕が何者か」
僕は月だ。みんなを救い出す月明かりだ。
そして月明かりの側には彼女がいる。
「さて、ベル。一緒にお父さんとお母さんを探しに行こうか」
そう言って少年は強情な右足のスニーカーと冷静な左足のスニーカーを履いた。
頭にクマのぬいぐるみを乗せ背後はおもちゃの兵隊長が守ってくれる。
そして彼女が側で笑いながら手を握ってくれる。
少年は満月に続く街に壮大な大脱走のその先の一歩を今、踏み出した。
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