罪穢-01

1/1
8人が本棚に入れています
本棚に追加
/64ページ

罪穢-01

 ――また古い夢を見ている。羽村リョウジの狩人としての始まりの記憶。  セピア色の夢の中。まるで水の中にいるような浮遊感があった。ふわふわと浮き沈みする意識、小さな衝撃ひとつで転げ落ちてしまいそうになる薄い均衡の中。 「――――――、」  自分は、衝撃に目を見開いていた。場所は深夜の交差点。明滅する赤信号、始まりの場所。  信号機の赤に縁取られるシルエット。影まで流麗なそのひとは、黒く長い髪を揺らしてもうひとつの影を消し去った。 「――――、――」  自分の目の前で斬り伏せられ、散り散りになって消えていく影。それは平たく言えばバケモノというやつだった。バケモノ。得体の知れないもの。つい一瞬前まで自分の腕を掴み、とても強い力で骨をへし折ろうとしていたやつが、一瞬にして消し去られた。  ――――夜闇の底から現れた、黒い髪の高校生に。  綺麗なひとだった。悲鳴を上げることや逃げ出すことはおろか、息をするのも忘れてしまうくらいに綺麗なひとだった。  切れ長の瞳。どこかの学校の制服。腰くらいまである美しい黒髪。そして何よりも、そのひとが振り下ろした日本刀の流れるような軌跡が幼心に火を付けた。  すごい。ココロの中に浮かんだ感想は、そんな拙い一言だけだった。 「――――、――――、――」  実をいうとその時自分は、命の危機を救われたんだ。けれどそんなことはどうでもよかった。自分が助けられたとか、死なずに済んだとか、そんな安堵なんて微塵もなかった。そんなことより自分にとって大事だったのは、目を奪うその不思議なひとの方だった。 「あの――――名前は、なんていうんですか?」  出会いの直後、懸命に絞り出した言葉がそれだった。自分の言葉にたいそう驚いたらしい。切れ長の瞳が日本刀を収める手を止め、かすかに息を呑んで自分を見下ろす。驚きすぎて声も出ないらしい。  きっとその時の自分は普通じゃなかったんだ。あの得体の知れいないバケモノは何だったのか。どうして自分を助けてくれたのか。なんで、日本刀なんて危ないものを持っているのか。そんなたくさんの疑問さえ置き去りにしていた。 「――――名前なんて、ない。」  ……いまにして思えば、確か。 「人に教える名前なんて持ってない。だから好きなように呼べばいい」  自分にとって『何かに感動する』という出来事は、その時が生まれて初めての経験だったように思う。 +  そんな夢の途中で、いったん瞼をあけてみた。目に映る視界はピントがずれていて不確か。一体どっちが夢なのかは判別しがたいが、見慣れた鈍い色彩の部屋が見えるということはこちらが現実なのだろう。  見慣れた地下室。どうやら自分は鍛錬の最中に気を失ってしまったらしい。自分の目覚めを待つ誰かの背中が見える。  あの頃の、腰まで伸ばした長髪とは違う、肩までで切り落としてしまった黒髪。 「………………。」  このままもう少しだけ眠っていよう。どうせいま起きたって、ろくなことにはならないんだから――――……。 + 「オレと一緒にいると不幸になるぞ」  そんな突拍子もない言葉を聞いて思わず立ち止まってしまった。 「あの……それ、どういう意味ですか? 何か悩んでるんですか?」 「分からなくてもいい、とにかくついてくるな鬱陶しい。だいたい何なんだお前は? なんでオレについてくる」  なんで、と聞かれて首をかしげる。そういえば何故だろう。どうして自分は、さっきからこのひとの背中をついて歩いているのだろう。 「はぁ……まるで野良犬だなお前。オレに尻尾振ってもエサなんてやらないぞ」  「尻尾なんてないし、犬用のエサなんていらないです。ところでなんで自分のことを『オレ』って言うんですか? もしかして、実は男だったとか」 「へぇ、よく分かったなお前。オレが男に見えたのか?」  びっくりして、その人の全身を見直した。まずスカートを履いている。腰に手を当てて仁王立ちしながら、本当に男みたいな笑顔を浮かべて僕を見下ろしている。でもその長い髪も、人形のような顔つきも男には見えない。 「え……どう見ても男じゃないです、けど」  女の格好を真似るのが趣味なだけで、実は男だったりしたらどうしよう。最近はそういうのも多いっていう。不安に思いながら恐る恐る見上げると、そのひとはふふっと笑った。 「ばーか。心配しなくてもオレは正真正銘女だから、安心していいよ少年」  見事に騙された。なんてひとだ、子供の心を弄ぶなんて。 「…………だったら、なんで『オレ』っていうんですか」 「さーねぇ。もしかしたら、好きな人の真似でもしてるのかもな?」  くすくす、と女の子らしく笑いながらそのひとは歩き出した。あくまでも適当なことを言いながら、見捨てるように背中を向けて。 「あ、待っ――」 「待たない。ついてくるな野良犬」 「……どうしてですか。ひとりぼっちの小学生を置き去りですか」  さっきの仕返しに子供という立場を盾にする。我ながら素晴らしいアイデアだった。案の定、彼女はため息をついてからこちらを振り向いた。 「言っただろ? オレと一緒にいると不幸になるんだ。だから、連れては行けない」  本当に、真剣な声でそんなことを言われる。だったらそれは真実なんだろう。このひとと一緒にいれば、きっと自分は不幸になるんだ。不幸っていうのは、悲しくて苦しくてつらいこと。  少しずつ遠くなっていく背中。大人の男の人に比べれば全然小さい背中、それを眺めながら少しの間だけ考えてみた。  あのひとといれば不幸になる。それでもあのひとについて行くのか。  きっと本当はここで別れた方が自分のじんせいのためなんだ。だからあのひとは「ついてくるな」と言っている。その言葉を無視してまであのひとについていく理由が、自分にあるのだろうか? ――そう考えると、答えは決まりきっていた。 「うん、ついていく」  自分の言葉に、遠くなる背中がぴたりと止まった。 「……お前。人の話を聞いてたのか」 「聞いてたよ、でも忘れた。それにお姉さん、なんか淋しそうだし」  生まれて初めて何かに感動したから。ココロ動かされたから。僕にとっての理由はそれだけでよかった。けれど彼女にとっては不十分だったのだろう。背中を向けたまま、呟くような声で言い返してくる。 「バカ言え……淋しがってるのはお前のほうだろ」  言われて考えてみる。僕が淋しがってる? サミシガッテルとはなんだろう。自分で言っておいて、いまいち意味が分かっていなかった。きっと親に会いたいとかそういう意味だ。 「………………」  自分を生み、育てたはずの両親を思い返す。思い出せなかった。どれだけ回想しても顔がない。最期に会ったのはつい×週間前。それで思い出せないということは、そういうことなんだろう。  会いたいとも会いたくないとも思っていない。もともと感情が希薄だった自分という子供は、『寂しい』なんて人間らしい感情を抱いたことは一度もなかったのだ。 「僕はさみしくなんてないよ。だって僕、もともと一人ぼっちだし」  そのひとの所まで走って、横に並ぶ。見上げると、かすかに曇った切れ長の瞳が僕を見下ろしていた。 「……両親は、どうした?」 「事故で死んだ」 「兄弟は」 「妹? さあ。」 「だったら保護者はどうしたんだ?」 「叔父さんと叔母さんは置いてきた。もう二度と戻る気はないよ」  そこまで言うと、疲れたような大きなため息を吐かれた。目をそらして僕の方を見ないように歩き出す。だから、僕もそのひとの横に並んで歩き始めた。 「…………馬鹿だな、お前。帰る場所があるくせに」 「そんなことないよ。興味もない」 「とにかくもうついて来るな。何度も言うが、オレといると本当に不幸になるんだぞ」 「いいよ別に。だってお姉さん、淋しそうだし」  満面の笑顔で見上げてあげると、その人は顔に手を当てて面倒くさそうな表情を浮かべた。 「ち――どうやら相当たちの悪い犬に捕まったらしいな。助けるんじゃなかったか」  二人で夜を歩く。それはいまから数年前、もう遠い昔のように感じる出会いの話だ。  二人で夜を歩く。子供と少女狩人が一緒に歩く。最初は無表情で、途中でケンカしながら、そして最後は疲れたような顔で笑い合って。  どうして「不幸になる」と言われていたのに、彼女について行ったのか。  子供だったから。  意味が分かっていなかったから。  生まれつき感情表現が希薄だったから。  ――理由を探せば、いろんな見方ができるだろう。だが、きっと鬼蜻蜒ならこんな風に言ったと思う。  ――――――興味がなかったんだろう、その目の真っ黒いガキはきっと。幸福も、……不幸にさえも、な。
/64ページ

最初のコメントを投稿しよう!