キスは血の味がした

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 轟音。  荒れ狂う鈍色の空から、雷が落ちたかのような、激しい雷音が轟いた。  凶悪を絵に描いたような魔獣、マンティコアが、うずくまっている。ヨシュアの攻撃ではビクともしなかった肉体、耐性。それが膝を折って体を痙攣させている。  足音。ゆっくりと近づいてくる。その正体、それは、ヨシュアとは似ても似つかない華奢な女性であった。  ブラックのローブを羽織り、内側にはリボンとレースであしらわれたクリーム色のワンピース。ブラウンのブーツを履いている。  逆三角の輪郭。大きな丸アーモンド目に、深いヴァイオレットの瞳。すらっと鼻筋の通った高い鼻。腰まで伸びたプラチナブロンドの髪は陽に照らされてきらきらと光っている。白い透き通るような肌に加え、細く伸びた手足。それでいて、胸は豊満でお尻に丸く肉がつき、腰は見事な曲線を描いてくびれている。  どう見ても、剣などを武器にする戦士ではない。手に持つ魔法の杖(マジック・バトン)から見て、魔法使いだろう。  女性の横にはお供なのか、黒い猫がいた。クリストローゼ色のベルトと、六芒星のアクセサリーがついた首輪をした、見た目は何の変哲もない猫だ。 「ん? 人が倒れてるやん⁉」  喋ったのは女性ではなく、猫の方だった。この世界、動物が進化した存在である魔物は、人語を理解する種もいる。動物も魔物も、人語を話すことは基本的にない。あるとすれば、ドラゴン族のような高等な種族が、人間とコミュニケーションを取る際に話すのみだ。 「なんや、あいつ。たったひとりで、しかもあんな武器一個でマンティコアに挑むなんざ、アホちゃうか?」  猫に馬鹿にされているヨシュアだが、すでに意識があるのかないのかも判然としない。あげていた首も、すでに力なく地面に向かって垂れている状態だ。 「ファルーナ、どないするん?」  ファルーナと呼ばれた女性は、鋭い眼つきできっとマンティコアを睨んだ。 「まずはあいつを片づけてから。いくよ、ベル!」  ファルーナが武器を構える。手にしているのは、ヘッド部に淡く発光する、シンフォニー・ブルー色の魔宝珠がついた魔法の杖(マジック・バトン)だ。左手の中指にある、輝石によって装飾されたリングもまた、淡く発光していた。  駆ける。ファルーナが、駆ける。その速度は特段速くはない。いや、むしろもっと速い男性が大勢いるだろう。それでも、しっかりとした足取りで、ファルーナは駆けていた。  マンティコアが起き上がる。首をファルーナの方をへと向けると、即座に戦闘態勢に入った。体勢を低くして、目標をきっと睨み据える。  わずかに、マンティコアの口が開いた。小さく息を吐いたかと思うと、瞬時に口を大きく開けて、咆哮を轟かせる。マンティコアから放たれた咆哮は、衝撃を伴ってファルーナに直撃する。  しかし、命中する直前、それは弾かれるようにかき消えた。魔防壁(シールド)である。魔法使いは近接戦闘には不向きである。そのために物理的攻撃を軽減するための、魔防壁(シールド)を常に展開している。これは魔法使い自身の魔力が高ければ高いほど、無力化できる割合が高くなる。  ファルーナがマンティコアに魔法の杖(マジック・バトン)を向ける。ヘッド部から雷が迸り、マンティコアに命中する。呻き声をあげたマンティコアがよろめく。  立ち止まったファルーナ。眼を閉じて、呪文を詠唱する。意識を集中するファルーナの周辺で、マナがざわつきはじめる。  ファルーナが呪文を詠唱しているのを見計らったかのように、マンティコアが上空へ舞い上がる。翼をはためかせた影響で、辺りに強い突風が吹く。  急降下したマンティコアが、ファルーナに向かって前脚の爪を振り下ろすように突進する。直撃まで2トール(1トール=90センチ)。ファルーナがかっと眼を見開いた。 「荒ぶる地の力! 目覚め飛べ! 我が敵を討たん‼」  大地が微かに揺れる。荒野に散らばる無数の石が、意思を持っているかのように動く。そして動いたと思ったその直後、無数の石が宙に舞い上がった。 「跳石礫弾(シュタング・シュラック)‼」  地のマジックミサイル。舞い上がった石の飛礫が、まるで雨あられのごとくマンティコアに浴びせられる。落下速度も相まって、その威力は絶大であった。下腹部に大量の石の飛礫を受けたマンティコアは、地面に落下して呻き声をあげた。  魔法の威力は術者の絶対魔力に比例する。魔力が高ければ高いほど、その威力も強力になるのだ。  しかし、唱えた呪文は地の下位呪文である。威力こそ高けれど、マンティコアを仕留めるには至らなかった。 「タフやな。ま、このくらいで倒れる訳ないわな」  よろめきながら、マンティコアが立ち上がる。唸り声をあげたマンティコアは、ファルーナをきっと睨みつけると、一度距離をおいた。 「来るぞ、ベル。気をつけろ!」 「わーっとるわ」  マンティコアが口を開ける。口内がオレンジ色に発色したかと思うと、その口からごうっという音を立てて、燃え盛る火炎が放たれた。  炎のブレス。魔物が使う得意の攻撃であるが、ブレス攻撃が厄介なのはその性質にある。ブレス攻撃は咆哮と似たような性質を持つ。それに、魔法の属性要素が加味されているのだ。つまり、物理的要素と魔法的要素が複合された攻撃だ。高位の魔法使いでも、物理攻撃と魔法攻撃の両方を、同時に防ぎきることは難しい。防げたとしても、どちらかの傷は負ってしまう可能性が高くなる。  ファルーナにブレス攻撃が命中する瞬間、ベル、とよばれた黒猫が跳躍し、ファルーナの前に立った。ベルの眼が、妖しく光る。すると、ファルーナとベルの前に、大きな五芒星が浮かび上がった。魔法障壁(マジック・パレ―)。魔法攻撃そのものを防ぐ防御系魔法だ。  ブレス攻撃が容赦なくファルーナを襲う。しかし、ファルーナの魔防壁(シールド)で、物理的攻撃を防ぎ、ベルの魔法障壁(マジック・パレー)で魔法的攻撃を防いだ。  ブレス攻撃が止んだ瞬間、ベルが駆け出す。ブレス攻撃後の硬直で、マンティコアは動けない。マンティコアに接近したベルの瞳が、再び妖しく光る。大きく見開かれた瞳から、強い閃光が放たれた。  その閃光を受けて、マンティコアがうずくまる。視界は暗闇に包まれ、体には金縛りに遭ったかのような痺れが残る。マンティコアが再び動けるようになるのは、しばらく時間がかかる。  その様子を見て、ファルーナが口元に笑みを浮かべた。相手が行動不能に陥った状態ならば、詠唱時間の長い呪文を行使できる。詠唱時間の長い呪文とは、すなわち強力な魔法を指す。  ファルーナが眼を閉じて、意識を集中する。左手を掲げて、呪文を口から紡ぎ出す。 「エンツェンス・ニヴール・エドゥアルト・カルルー・ビア・リュヒプレヒト‼ 神霊よ、我は求める。太古より紡がれし、大いなる力。舞い躍る風と、荒ぶる雷、暗き空より来たれ! 目覚め咆えよ、天の声‼」  岩場の辺り一帯が、まるで闇に包まれたかのように真っ暗になる。夜が訪れたか。否、それは天を覆う鈍色の雲が原因であった。  やがて天から静かに雷の音が鳴り響く。それは次第に大きくなり、その度に雲から稲光が放たれた。それはまるで、天から届く声。天より響く怒りの声が地上へ向かって降りてくる。 「天雷(アルマ・ディス)‼」  マンティコアを中央に置いて、五つの箇所に雷が落ちる。それは地上に五芒星を浮かび上がらせる。浮かんだ五芒星が発光すると、五つの雷がマンティコアに集中する。 「グギョォォォォッ‼」  マンティコアの悲鳴が響き渡る。中級の威力の雷魔法が、五つも集中している。並の魔物では耐えられないどころか、この時点で絶命しているだろう。それでもまだ生きているマンティコアの生命力が凄まじい。  だが魔法は、雷の最上級呪文。これでは終わらない。轟音と共に、五つの雷に加え、さらに大きな雷が、五芒星の中央に落ちる。そこにいるのは、もちろんマンティコアだ。  耳を塞がなければ、鼓膜が破れるであろう雷音。雷はひとつとなり、マンティコアに降り注ぐ。生きているのか死んでいるのか、わからないほど、雷の光が、辺りを鮮やかに照らす。  雲が晴れる。まるで何事もなかったかのように、岩場の周辺が静寂を取り戻す。  ゆっくりと、マンティコアの体が傾く。巨躯を支えていた脚から力が抜け、マンティコアは大きな音を立てて、地面に崩れ落ちた。  絶命したマンティコアは、ぴくりとも動かない。脅威をまき散らした魔獣も、最強の雷をその身に受けて、耐えられはしなかったようだ。  ファルーナはマンティコアを一瞥すると、ゆっくりとヨシュアに近づいていった。  しゃがんだファルーナが、ヨシュアの身体と顔をじっくりと確認する。傷の度合いや、意識があるかを調べている。 「あかんな。もう。微かに息はあるが、もう助からん」  ヨシュアはすでに息絶える直前であった。法力治療による回復を施しても、ここまで衰弱が酷い場合は、きちんとした医者に処置を施してもらわなければならない。だがヨシュアの状態は、医者も匙を投げるほどの重篤な状態だ。 「まだ、助ける方法があるよ」  ファルーナが言う。すると、ベルが慌てたように、ファルーナの周辺を跳ねまわった。 「ファルーナ! お前、もしかして⁉ あかん! あかんぞ! それはやったらあかーん‼」  ベルの制止も虚しく、ファルーナがヨシュアに身体を近づけた。ファルーナが、自分の掌を口に当てる。歯で自分の掌を噛み切ると、じわっと血が染み出す。  ファルーナは自分の血を口に含むと、ヨシュアの顔を両手で包み、唇を近づけた。  ファルーナとヨシュアの唇が触れ合う。ファルーナが、舌でヨシュアの唇をこじ開ける。  ヨシュアの身体がぴくりと動き、わずかに眼が開いた。  力が、命が、ヨシュアの身体を駆け巡る。  ヨシュアの口の中は、血の味で満たされていた。          
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