キスは血の味がした

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 石造りの、古き街並みが広がる。  街並みの間を縫うように続く街路もまた石畳であり、街並みの歴史を伺わせる。  街を行き交う人々の眼は総じて穏やかで、ここには貧困や戦禍による悲哀が一切ないことを表している。  さらに市井の人だけではない。街並みを物珍しそうに見て回る旅人の姿も多くみられた。  それは、この城郭都市が、特別な場所であることを意味していた。  聖都ジーナ=ルクス。グランエアール大陸で広く信仰されるアルテナ教会の三大聖地のひとつであり、総本山として位置づけられる場所である。  独自の法を以て、アルテナ教会の法皇が統治する自治都市ハイン。聖都ジーナ=ルクスは、ハインの政令都市としての役割も担っていた。  街並みの中心には、ドーム形の屋根が三つ並ぶ、さながら宮殿のような、巨大な建築物があった。ここがアルテナ教会の法皇の居住区であり、政庁としての役割も担うジーナ=ルクス宮殿。アルテナ教徒にとっては巡礼最大の聖地でもある。  建物の前面は妖精をかたどった噴水が象徴的な、噴水広場になっている。広場の周りは円形を描いており、広場では多くの人々が片膝をついて祈りを捧げている。市民や、聖地巡礼を行う教徒、中には旅の安全を祈る冒険者(レンジャー)や、商人の姿もあった。  唯一神・ユピセリスを信仰し、ユピセリス神の言葉を預かりし最初の預言者ノアの教えを守る。神を信じることで幸福を得られ、教えを守って生きることで、死後の安息を約束される。それがアルテナ教会のおおまかな教義である。  各地にはアルテナ聖堂(教会堂)を構え、日々教徒たちが祈りを捧げる拠り所となっている。大規模な聖堂や修道院では、孤児を保護したり、浮浪者への炊き出しなどの慈善活動を行うこともあり、現世の救済もまた、教会内では大きな至上命題とされている。  だが、傭兵や盗賊、密偵、闇商人など、裏の社会に通じる者たちの間では、このアルテナ教会の黒い歴史はよく知られている。  ユピセリスを信仰し、ノアの教えを守るという教義のもと、多神教の宗教の神々を邪神と吹聴し、他の宗教を弾圧し、追放してきた歴史がある。そうして、邪神から人々を救うという教えのもとに、他の教徒を取り込みながら拡大を続けてきた。  今やアルテナ教会の影響力はグランエアール大陸に広く及んでいる。その教徒の数もさることながら、聖堂騎士団や僧兵団といった独自の軍事力、各地に聖堂を置くことで得られる情報収集力、そして莫大な資金力は、列国にも恐れられる要因となっている。  ジーナ=ルクス宮殿。ここは特殊な材質で造られている建物だった。使用不能となった輝石や魔石を再加工し、素材としてよみがえらせたもの。ニュートン石と呼ばれる。ニュートン石は耐性にすぐれ、魔法で色を自在につけられるのが特徴であった。ジーナ=ルクス宮殿のニュートン石はクリーム色。そこに様々な材質の石が、装飾として取り付けられている。  宮殿の外郭。そこは政庁として機能している場所である。そこでは役人たちが日々の執務に追われている。  ジーナ=ルクス政庁の一室。そこは、ひと際広いであった。15タイズ(1タイズ=6畳)はゆうに超えている広さ。暖炉も二つあり、バルコニーへの出入口も二つあった。部屋の奥には執務のためのデスクとチェアーが置かれ、本棚には多くの書類が整理整頓されて並べられている。  部屋の中央には、ブラウン色の柔らかなカーペットが敷かれている。そこに高級感溢れるブラックのテーブルが置かれ、テーブルを挟んでブラックのソファーが置かれている。  そのソファーに対面して座っている二人の男がいた。  後ろに撫でつけられたペールブルーの髪。細く鋭い眼に、高い鼻。綺麗に手入れされた口ひげが際立つ。その眼には、一切の感情が宿っていないと思わせるほど、冷徹な光が灯っていた。 「で、見つかったのか?」  ルートヴィヒ・ヴァンフリード・ベッドフォード。法皇を支える枢機卿の地位にある人物である。枢機卿はアルテナ教会において枢要な地位を占める役職であり、尚且つハイン国の統治の実権を握る。言わばアルテナ教会の影の支配者であり、一番の実力者である。 「そ、それが、シモンズ司教区までは足取りを掴んでいたのですが、そこから先が霧に包まれたように消えてしまって…」  額に異常なほどの冷や汗を浮かべながら、ベッドフォード枢機卿と対面するのは、アレスター・フリードリヒ・ユリシーズである。枢機卿を支える片腕であり、大司教として教会の権力を握っている。撫でつけられたゴールドブロンドの髪。太い眉に、高い鼻、厚い唇。掘りの深い精悍な顔つきが特徴的であった。  アルテナ教会でも屈指の権力者を恐れさせる男、それこそがベッドフォード枢機卿の力であった。 「アレスター…」  ベッドフォード枢機卿が、細い眼をさらに細める。その眼には宿る冷酷な光は、一層迫力を増していた。アレスターの額に、さらに汗が浮き出てくる。 「お前を霧に包んで消してやってもよいのだぞ?」  アレスターが眼を見開き、身体を恐怖で震わせた。顔面蒼白。見ている限り、もはや生きている心地などしていないだろう。  これでもかと言わんばかりに、アレスターが頭を下げる。その額が、テーブルに打ち付けられ、室内に大きな音が響いた。 「申し訳ございません! 必ずや、必ずや足取りを掴みますゆえ、いましばらくお待ちください‼」  冷徹な視線でアレスターを見つめるベッドフォード枢機卿は、小さく息を吐いた。テーブルの上に手を伸ばし、ティーカップを手にする。汚れのないホワイトのティーカップには、金色の意匠が入っていた。カップに注がれているのは、紅茶にミルクを加えたミルクティーである。 「顔を上げよ。アレスター」 「はっ」  まだ生きた心地がしないのであろう。ゆっくりと顔を上げたアレスターだが、その顔はまだ蒼白なままだった。 「お前を大司教に抜擢したのは、能力があるというだけではない。秘密を守れる男だからよ。よいな。”白き聖女と黒き魔女の伝説”が白日のもとにさらされた時、我がアルテナ教会の教義が根本から覆る。それは他宗教の弾圧などという取るに足らない事柄以上のものだ。ゆえに、その伝説の実証を裏付けるものは、すべて抹消していかなければならん」 「はっ」  ベッドフォード枢機卿が、カップを顔の高さに上げる。ゆっくりと眼を閉じ、カップを口に運ぶ。鼻から香りが入り、口の中にまろやかなミルクの食感が広がる。  ミルクティーを飲み下したベッドフォード枢機卿が再び眼を開けると、アレスターの身体に緊張が走った。 「再度命ずる、ユリシーズ大司教。”白き聖女と黒き魔女の伝説”を裏付ける者、黒き魔女(ファータ=モルガーナ)の名を持つ者を捕らえよ!」  アレスターが再び頭を下げる。表情が強張っている。一層身体に緊張が走っているようだった。 「必ずや、使命を果たしてご覧にいれます‼」  ベッドフォード枢機卿が頷く。  その瞳の冷たい光は、消えないままだった。
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