キスは血の味がした

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 ヨシュアはソファーの横に立て掛けてある、カタナを見つめた。それは、このグランエアール大陸ではあまり見かけることのない武器だが、冒険者(レンジャー)や傭兵の間ではよく知られているものでもあった。 「俺の生まれは、大陸南東のティンブー王国だ。俺の家は代々武人の家系でね。長男は家を継いで、流派も継ぐ。兵法の指南役として、王国に出仕している」  ソファーから少し身を乗り出すような姿勢で、ヨシュアは手を組んでいる。静かに語る口調と同じく、その眼も落ち着きを宿していた。 「俺の兄弟は六人。俺は次男だった。兄が家を継ぐはずだったが、突然父に家を継げと言われた。俺は悩んだ末に、四男のジョシュアと共にティンブーを出奔した」 「なんでや? 家を継ぐのがめんどかったんか?」  ベルが言うと、ヨシュアが苦笑した。ファルーナはじっとヨシュアの横顔を見つめている。 「父も兄も、名声や名誉のために、政敵を罠に嵌めることをやっていたし、他国への侵略にも迷いがなかった。そういう姿を見ていたけど、俺は違うと思うんだ。”力”は、”力”でしかなくて、その”力”っていうのは、誰かのために振るうものだと思っている。この剣も、人を傷つけるものでしかなくても、でも、使い方によっては人を守ることができるものなんだ」  先ほどとは違い、ヨシュアの眼には確かな意志の光があった。ヨシュアの目指しているもの。それは、権力とか、地位とか、財宝とか、名誉とか、そんなものではなかった。自分の”力”を正しく使い、誰かを救う。そうした小さなことを積み重ねていくことだった。 「ボンボンの反抗か、とも言いたいところだが、わりと的を射てると思うで。”力”は、"力”でしかないからな。振るうものが善か悪かで、”力”の性質が変わってくるだけや」 「俺もそう思うよ。”力”そのものに、善悪はないんだ。その”力”をどう使うか。それが大事なんだと思う」 「…それで、その力を正しく使った結果が、マンティコアに単身で挑んだ闘い?」  ヨシュアがファルーナを見る。見つめ合う二人。何か言いたげなファルーナと、ファルーナの言いたいことを薄々感づいているヨシュア。だが、どちらも口を開くことなく、ただ見つめ合うだけだった。 「無謀と勇気は違うで、ヨシュア。そこをはき違えたら、お終いや」  ファルーナが言いたかったことを、ベルが口にした。すると、ヨシュアががっくりと肩を落とした。 「…すべてのものを救えるなんて、思ってないよ。でも、でもあの時…」  ヨシュアの頭の中で、過去の出来事がフラッシュバックした。  まだ、大陸中央に出てきたばかりの頃。  焼けた家。泣き叫ぶ少女。『お母さん、お母さん! お母さんを助けて!』少女を抱えながら、ただ呆然と焼け落ちる家を見つめるヨシュア。燃え拡がる火。業火は村を覆い尽くし、すべてを呑み込んだ。  ただひとり救った少女を、駆けつけた親類に預け、己の無力さを悔いる日々。  あの日もそうだった。すすり泣く少女の声が、ヨシュアの胸に突き刺さった。気づけばギルドに足が向き、マンティコア討伐の依頼を請けていた。 「泣いている女の子がいた。苦しんでいる夫婦がいた。大きくなったら怪物をやっつける。そう言って死んでいった男の子の話を聞いた。それを見聞きして、俺はあの地から去ることは出来なかった」  ヨシュアの眼には、マンティコアによって苦しめられている人々の顔が浮かんでいた。  過去を、己の無力を悔い、ただ人を救うために、マンティコアに挑んだ。それは、権力闘争に明け暮れた父や兄に対する反抗から生まれたものだとしても、それによって救われた人がいたことも事実だろう。  ヨシュアの手に、そっとファルーナの手が重ねられた。驚いたような様子で、ヨシュアがファルーナを見る。  ファルーナは微笑みを浮かべていた。それは、ただの無謀ともとれるヨシュアの挑戦を称えるような、そんな笑みだった。 「馬鹿だね、あんたは。でも、嫌いじゃないよ」  ファルーナの思いが伝わったのか、やや悲壮になっていたヨシュアの顔が、不意に柔らかなものになった。 「せやな。とんでもない、あほうや。でもな、それを非難できるやつなんかおるかい。もしおったら、俺がどついたるわ」  ベルが言うと、同意するようにファルーナが頷いた。 「女は度胸。男は心意気。祖母(ばあ)ちゃんも言ってたよ」ファルーナが笑いながら、ヨシュアに言う。 「そ、それはすごいお祖母(ばあ)ちゃんだね…」  ベルが声をあげて笑う。いつの間にか、ヨシュアとファルーナの間にあった距離間はなくなっていた。  夜も更けて、すっかり酒場も静かになっていた。  ファルーナとヨシュアはまだ呑み続けていたが、ベルは猫好きのウェイトレスが用意したクッションの上で、丸くなって眠っていた。 「ねえ、ファルーナ」  リンゴ酒の入ったグラスを見つめながら、ヨシュアが言う。 「ん?」  ファルーナも、リンゴ酒の入ったグラスを持っている。白く、透き通るような肌が紅潮している。 「君は、伝説の真実を解き明かしたいんだろう?」  少し考える表情をしながらも、自分の中で納得したのか、ファルーナは頷いた。 「うん。すべてを、明らかにしたい。それは変わらない。そして、叶うことならば、この”力”を永久に封じたい。それがたとえ、この命と引き換えになっても」  ファルーナの顔を見たヨシュアは、少し微笑んだ。ヨシュアの瞳に映るのは、ファルーナの横顔。そして、揺らめく決意の炎だった。 「なら、それまでの危難を、俺が払おう。この剣、”ムラマサ”に賭けて、君の命を守ることを誓うよ」  もとより、ファルーナの血を受け続けなければ、生きられない身体である。選ばざるをえない道だとしても、ヨシュアにはもう迷いはなかった。そして、ファルーナを守るという意志は、この時ヨシュアの中で確固たる信念となったのだ。 「もともとそのつもりだけどね。あんたは、私の”血”がなければ死んじゃうんだから」ファルーナが笑う。  リンゴ酒の入ったグラスを一気に干したファルーナは、口に手を当てた。歯で掌を切る。”血”がじわりと染み出してくる。  ”黒き魔女の契約”。それは死にいくものに、自らの”騎士”としての生を与える、魔女語魔術(ウィッチ・ロアー)の秘術だ。自分の唾液と共に、自らの血を口移しで与える、”魔女の接吻(マキア・キス)”。それは”騎士”に生と、そして”力”を与える。  掌に口を当てたファルーナは自分の血を舌に移す。  ファルーナの両手がヨシュアの頬に伸びる。ヨシュアの頬を両手で覆ったファルーナは、ゆっくりと、顔を近づけていく。  ファルーナとヨシュアの、唇が重なる。ファルーナの舌が、ヨシュアの口内に入っていく。  ファルーナの口から、ヨシュアの口へ。”黒き魔女”の血と唾液が与えられる。  閉店を報せにきた猫好きのウェイトレスが、階段を上がる途中、しゃがんで身を隠した。熱烈なキス現場を目撃して、やや顔を紅潮させている。  血の味が、ヨシュアの口内に広がる。  ウェイトレスがそーっと頭を出し、また引っ込めた。  それほど、二人のキスの時間は長かった。
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