赤い眼の少女

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赤い眼の少女

 白い雲が流れていく。青々と広がる空の彼方へ。無限に広がる世界の向こうへと、どこまでも、どこまでも流れゆく。  緑が広がる大地。そこに一筋の道。町と町を繋ぐ、往来たる街道。そこを往く人々もまた、流れる雲のように。街道をどこまでも、まるで流れるように歩いていく。  街道を往くのは冒険者(レンジャー)や行商人、そしてキャラバン隊など様々なである。  冒険者(レンジャー)は徒党を組み、身軽な甲冑を身につける。行商人は積荷を載せた荷車を曳いたり、積荷を背負ったりしている者もいる。そして護衛をつけていた。キャラバン隊は大規模な編成で、大きな荷車を連ね、尚且つ警固の数も相当なもので、その装備の質も高かった。  街道を往く一行の中に、少し変わった冒険者(レンジャー)がいた。とても探索には向かないと思える綺麗な衣服に身を包んだ女性と、軽装の剣士、そして一匹の猫。そう、ファルーナ、ヨシュア、ベルゼビュートの一行である。  基本的に一人旅を続ける冒険者(レンジャー)は、町から町、あるいは過疎地の農村を行き来し、荷物を届けるなどして報酬を得ている。あとは比較的危険性の低い魔物と戦い、魔物の皮や牙、爪などをはぎ取り、そうしたものを売って生活している。冒険者(レンジャー)ギルドから大きな依頼を請け負うには、やはり徒党を組まなければやっていけないのである。  だが、ファルーナとヨシュア、ベルゼビュートはどうか?   ファルーナはブラックのローブ。ローブには金糸で塗られた幾何学模様がある。ローブ自体も魔法の糸で編まれたもので、見かけ以上の強度がありそうだ。内側にはリボンとレースであしらわれたクリーム色のワンピース。ブラウンのブーツ。これに魔法の杖(マジック・バトン)を持つ。これだけである。ヨシュアもブリガンダインを身につけているのみである。冒険者(レンジャー)初心者と思われても無理はない装いだ。  街道は基本的に安全な道、とされる。魔物には生息圏があり、むやみに生息圏を侵さない限り、人間に牙を剥くことは少ない。しかし、中には餌を求めて徘徊する魔物もいるために注意が必要だ。  街道は魔物の生息圏や徘徊率の高い地域を避けて作られたものである。街道のところどころには、”見張り台”と呼ばれる休憩所がある。二階建て以上で、石積みで造られていたり、岩場を改築してあったり、冒険者(レンジャー)や行商人が夜間に仮眠を取る場所としてそれなりの強度を誇っている。  こうした休憩所を使いながら、時おり街道に出没する魔物と戦いながら進む訳であるが、物事は常に一定の法則で動いている訳ではない。稀に異質な出来事も起こるものだ。  緑の原野が広がる、一見のどかな風景。街道が走る原野は起伏があり、先が見通せない位置もあった。ファルーナたちが丘に差し掛かった時、突如丘の向こう側で悲鳴が上がった。  顔を見合わせたファルーナとヨシュアは、お互いに頷いて丘の上へと駆けあがった。すると丘を下った先に、魔物の襲撃を受ける行商人がいた。  無論だが、行商人は護衛を付けている。襲ってくるのは魔物だけではない。野盗や盗賊団、そして冒険者(レンジャー)くずれのならず者にいるのだ。そのためにある程度腕の立つ冒険者(レンジャー)や、休戦または停戦期の傭兵を護衛として雇う。街道に出没する魔物程度ならば、間違いなく蹴散らせるはずである。 「あれは…⁉」  ファルーナが商人を襲っている魔物を見て、息を呑んだ。それは、本来ならば街道筋に出没することはない魔物であった。  肉質の翼、長い尾、背中に大きな背びれを持った、飛行する四本足の爬虫類とも言うべき風体。ワニ似た頭部には一本の角状の突起があり、口からは鋭い牙がびっしりと垣間見え、異様に長い舌を覗かせている。体色はサラダ・グリーン色に近い。 「アーサックスだ」  ファルーナの隣に立ったヨシュアが言う。ファルーナはアーサックスを見たことがないのか、ヨシュアの横顔をちらりと見た。 「ありゃ、本来人里離れた高山に巣を作るやつやな」  ファルーナとヨシュアの足元に鎮座したベルが、呑気にあくびをしながら言った。ベルの言葉に、ヨシュアが頷く。 「食べ物を捜して丸一日遠出することもある。悪賢くて狡猾。雑食性だけど、どちらかと言えば肉を好む生態だ。一般的にはあまり知られていない魔物でもあるね」  ヨシュアが一歩足を踏み出そうとした時だった。ファルーナとヨシュアの後方から、徒党を組んだ冒険者(レンジャー)たちが現れた。まるで火事場見物に来た物見客のような騒々しさに、ファルーナが眉を潜める。 「うおっ! 商人が襲われてんじゃん。護衛がやられてるぞ!」 「ってことは、あの商人を助けて、お礼を頂戴するいい機会ってことですね!」 「名案! ちょうど次の町で遊ぶ金も欲しかったところだ、行くぞ!」  ファルーナたちの前に現れた冒険者(レンジャー)は、ショートソードとショートボウを得物とする軽装の戦士ふたりで、ひとりが男、ひとりが女。メイスとハンドアックスを得物とする、スティールブレストを装着したごつい男の重戦士ひとり。魔法の杖(マジック・バトン)とショートボウを持った女性魔法使いひとり。白魔法(神聖魔法)を専門とする男性魔法使いがひとり。都合五人のパーティーであった。なかなかバランスのとれた編成である。 「悪いな。軽装のあんたらには荷が重い。ここは俺らに任せな」  パーティーリーダーらしき軽装の男性戦士が、白い歯を見せてファルーナに微笑む。爽やかに笑ったつもりなのだろうが、商人から金を巻き上げようという魂胆が透けて見える。その笑みはどこか卑しさがあった。 「どうするんや?」  ベルがアーサックスに挑む冒険者(レンジャー)パーティーを見つめながら言った。 「まあ、彼らがアーサックスを倒せればそれでいいんじゃないかな。無用な労力を使う必要はないし」  ヨシュアが首の後ろを掻きながら言うが、ファルーナは憮然とした表情を崩さない。この後にあの冒険者(レンジャー)パーティーが、商人から金を巻き上げようとしていることを不快に思っているのだろう。  冒険者(レンジャー)パーティーに気づいたアーサックスは、咆哮をあげた。よく見れば、アーサックスには眼球がない。どこを標的としているのか、皆目見当もつかないのだ。  重戦士を前衛に立て、その脇に軽装の女戦士、パーティーリーダーらしき男の戦士はその後方。さらに後方に魔法使いがふたりいた。  配置は的確で無駄がない。それなりに闘い慣れていることも伺える。前衛の重戦士も迂闊に攻め込まず、まずアーサックスの攻撃方法や、攻撃範囲を探っている。その後方から、軽装の戦士や魔法使いが、ショートボウで攻撃する。 「ほう…。なかなか手堅い闘いするやないか。なんとかなりそうやな」  ベルが感心したように言う。ヨシュアもそれについては異論はないのか、素直に頷いていた。  アーサックスの攻撃方法は、上空からの滑空攻撃。牙による噛みつきと、爪による引き裂き。魔界言語による魔法はない。それを悟った冒険者(レンジャー)パーティーは、一気呵成に畳み掛ける。  魔法使いが呪文を詠唱する。それを援護しようと、軽装の戦士二人が弓を放つ。火の魔法が炸裂。直後にパーティーリーダーの戦士が斬り込む。その後ろで重戦士がアーテル・フォルスを溜める。戦士が下がると、重戦士がアーテル・フォルスと共に、アーサックスにメイスの一撃を叩き込む。  アーサックスが悲鳴をあげて、その場にうずくまる。痙攣を起こし、すでに虫の息。あとはとどめを刺すのみという状況だ。  冒険者(レンジャー)パーティーはすでに勝利の鬨をあげていた。パーティーリーダーの戦士が腰を抜かしている商人に駆け寄り、手を貸す。やはり下卑た笑みを浮かべている。それを見てファルーナが一層不機嫌になる。 「いけない…」  そう呟いたのはヨシュアだった。そう、闘いはまだ終わっていない。そもそも、とどめも刺していないどころか、自分たちが相対したことのない魔物に対して、冒険者(レンジャー)パーティーは軽率な行動を取り過ぎた。  虫の息だったアーサックスがわずかに動く。否、虫の息だったのではない。アーサックスは知能が高く、悪賢くて狡猾。わざと隙を見せることで、冒険者(レンジャー)パーティーの油断を誘ったのだ。  アーサックスの頭部が震える。次の瞬間、頭部の角から強力に収束された音波の光線が放たれた。 「ファルーナ!」  ヨシュアが言う前に、すでにファルーナは結界を展開していた。だが、冒険者(レンジャー)パーティーは生身の状態で光線の直撃を受けた。その攻撃は波状的で、全員に及んだ。ひとりも立つことが出来ずに、虫の息。先ほどのアーサックスと真逆。まさに形勢逆転であった。 「やれやれ。結局、こっちでやるしかないのか」  苦笑したヨシュアは、背中に帯びていた長刀・ムラマサを抜く。その眼には、普段の穏やかな色はない。闘気を発する姿。それは戦士のそれだった。 「頑張れ、ヨシュア!」 「やったれ、お前なら出来るで!」  ファルーナとベルはさらさら手伝うつもりはないのか、まったく動く気配がない。カタナを抜いた手前、引っ込める訳にもいかない。すでに覚悟を決めているのか、ヨシュアは単身、アーサックスに立ち向かった。 「我が飛輪流の剣、お見せしようか」  ヨシュアがムラマサを中段に構える。身体立ちのぼる、揺らめく陽炎のようなもの。それは眼の錯覚ではない。  アーテル・フォルス。魔法と共に研究されてきた近接戦闘を制するための技法、アーテル・ディエルである。  マナの研究が進むと同時に発見された四大元素と並ぶ元素であり、大気と大地の気流に存在する超エナジーをアーテルと呼ぶ。  自然界にあるアーテルを人の体内に大きく取り込み、人間の血脈に流動させる。体内に流れるアーテルは、練気と呼ばれる技法で闘気と混ざり合い、アーテル・フォルスとなる。  アーテル・フォルスを纏うことで、肉体を強化、身体能力を向上させられる。さらに凝縮したアーテル・フォルスを放出することで、常人技ではない闘技を発動できる。ただし呪文の詠唱と同じで、使用の前後に隙を生じるという危険がつきまとう。  不気味な奇声をあげたアーサックスは、翼をばたつかせ、口から長い舌を覗かせた。その舌が見えた瞬間、ヨシュアはムラマサを振り抜いた。 「月影(つきかげ)!」  アーテル・フォルスを凝縮した、三日月型の刃が放たれる。アーサックスはに向かって放たれたその刃は、眼にも止まらぬ速さで直撃。アーサックスの舌と口の一部を引き裂いた。  アーサックスが悲鳴をあげる。眼球を持たないアーサックスにとって、舌は重要な感覚器官。音と物の動きを感知するその器官が損傷したということは、感覚器官が麻痺したことに他ならない。  だが、それにしてもヨシュアの戦闘能力は常軌を逸していた。恐らく並みの冒険者(レンジャー)では束になっても歯が立たないであろう。マンティコアに単身挑んだ自信も頷ける。  アーサックスが苦悶の奇声をあげる。思わず耳を塞ぎたくなるその悲鳴をものともせず、ヨシュアが一気に距離を縮める。  ムラマサを上段に構えたヨシュアが、アーテルを取り込む。ヨシュアの体内で流動するアーテルは、練気によって闘気と混じり合い、アーテル・フォルスとなって凝縮。ヨシュアの身体能力を飛躍的に向上させた。  ヨシュアの身体から立ち上るアーテル・フォルス。それは次第に空間を歪ませるかと思うほど、大きく形をなす。かっと眼を見開いたヨシュアが、剣先を動かす。 「千断(せんだん)っ‼」  眼にも映らぬ(はや)さ。高速で振るわれるムラマサが、残像を残しながら斬撃を放つ。時おり陽の光を、ムラマサの白刃が照り返す。それによって、光り輝くその斬撃。それは美しいものにすら見えた。  最後の一撃を横に放ったヨシュアは、すでに勝利を確信していた。寸寸に斬り刻まれたアーサックスは、体中から緑色の血液を溢れさせて、地面に崩れ落ちた。  ムラマサを一度振ったヨシュアは、懐紙を取り出してブレードに付着した血を拭った。 「ほぉ~。思っていた以上やで! ヨシュア、お見事や!」  ベルが称賛するその傍らで、ファルーナが眩しそうな瞳でヨシュアを見つめる。そして、口元に柔らかな笑みを浮かべた。  陽光が照りつける穏やかな空気。  ヨシュアがはにかみながら、ムラマサを鞘に収めた。
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