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大理石調のマンションエントランスを抜けて、エレベーターホールへ住民パスワードを入力し、入る。扉が開き、エレベーターに乗り込み、5階で降りた。
電子キーを開けて、503号室に帰る。
午前中の緩慢な空気から一転して午後からは坂道を転がり落ちる様な時間の経過だったと、ため息をついた。玄関に入ると拓未が出迎えてくれた。あ、連絡してなかったと思って、誤魔化す様に笑顔で、ただいま、を告げた。
彼はわたしを見て、笑った。嬉しそう。疲れた気持ちが少し軽くなる。癒されるって言うか、可愛い。
でも、喜びすぎじゃない?
わたし変なこと言った?
ただいまって言っただけなんだけど…。
「………何、その顔」
拓未を見上げる。
「さっきのもう一回、言って」
ただいまが気に入ったの?
拓未って少し変な所あるよね。
「……ただいま? もう、なんでもかんでも言わせようとするのやめてくれない?」
嬉しいけど、めんどくさいフリ。
リビングに向かうとシロとチャイロが寄ってきた。
「シロ、チャイロ、ただいま」
2匹を順番に撫でた。リビングに入ると陽一郎がキッチンで何かを食べている姿が目に入った。
「何、晩ご飯作ったの?」
「あ、おとはおかえり〜、律と一緒に作った。食べる?」
「食べる? って……」
わたしはキッチンに行き、箸で白菜を取った。口に運ぶ。
「……塩辛いね。美味しくない……」
「やっぱり? 律が味の素と塩を入れ間違えたんだよ」
陽一郎は嬉しそうに笑って、拓未を見た。仲良いね、2人で作ったんだ。
「味の素?」
拓未を見る。
「……それ隠し味で入れると美味いんだろ?」
拓未は、自慢するかの様に言った。
下手したら、髪を切った時より得意げなその顔に笑ってしまう。
調べて、料理しようとしたの?
自分の家の冷蔵庫の中には何もなかったのに?
声をあげて笑ってしまった。
「何情報? 拓未ってちょっと変わってる所あるよね。髪切るだけで喜んだり、ただいまって言って欲しがったり、付き合ってないのにプロポーズしたり……」
面白い。
炊飯器でご飯も炊かないのに、味の素を使って工夫しようとするとか、可愛い。
「今、なんて言った? ………プロポーズ!? プロポーズですか!? ……律!?」
陽一郎は笑うどころか驚いて声をあげた。
「……そう。返事は保留」
拓未は返事をした後にため息をフゥッと吐いた。
「付き合ってないのに結婚を考えるって、真剣だよね〜、付き合ってても考えてない人いると思うけど」
「……仕方ないだろ。おとはと家族になったら1番近くに居られると思ったんだから」
拓未は反論した。それが嬉しくて、笑ってしまった。
「そうね。向き合ってくれたもんね。ありがとう」
拓未はまっすぐな視線を向けてくれた。素直に自分の心を見せる事も、拓未が思い出させてくれた。
「……いやいや、お2人さん。俺が居ますからね。おとはのありがとうって、俺、生まれて初めて聞いたかも」
ありがとうぐらい言うよ、と言いかけて、わたしはやめた。陽一郎の言うことはあながち外れてはいなかった。我が弟ながら痛いところをつく。反論はせずに、八宝菜のリメイクにかかった。
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