kiss. 9

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◆  1月11日、日曜日。  誰かが自分の体を動かしているのか、と疑うほど、淡々と荷物をまとめた。キャリーケースに必要物品を入れた。服、洗面道具、変換プラグも買った。延長コードも。 心臓の音ははっきり聞こえるのに、視界は見通しの悪い(もや)のかかった世界で、その中でも、必死で目を擦ってやけに冷静に状況を見極めようとする自分がいた。そんなに目を擦っても事実は変わらないし、旅立つ準備は必要なのに、まだ事実を疑っている自分がいた。  海外には大学の卒業旅行でイギリスに行ったのみ。    パスポートの有効期限はなんとか期限内だった。パスポートを旅行後に片付けた後、まさか次に自分がこれを使う時が、亡くなった恋人を迎えに行くためだなんて思いもしなかった。  パスポートを入れた棚の中から大量に緑くんが撮った動物の写真が出てきた。彼がくれたもので確かな形で残っているのは動物達の写真だけだ。懸命に生きる野生動物達。夕陽に照らされた鳥、草原を掛けるシマウマ、射抜くような目をした立派なライオン。地球に共生するもの、と写真の裏には筆記体でそれぞれ動物達の名前が記載されている。写真は陽の光を遮っていたため色褪せてはいない。その写真をそっと棚の中に戻す。  目的地は東アフリカ、ケニア共和国。碧斗さんが航路の準備を整えてくれ、明日の便で向かう事にした。  陽一郎に一言、言おうかなと思ったけれど、何も言えなかった。拓未にも。  次の1月12日、誰にも何も告げず成田空港に向かった。
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