kiss. 9

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◆  サバンナへはケニアの首都ナイロビから向かう。成田から12時間飛行機に乗ってアブタビでトランジェット(飛行機が燃料補給などの目的で、一旦経路の途中の空港に着陸すること、あるいは乗客がその際に一旦飛行機を降りる事)し、ナイロビに向かった。  トランジェットは8時間半と長くかかるため、碧斗さんが準備していてくれたターミナルホテルでシャワーを浴び、ベッドで横になった。  そして、アブタビからナイロビまでは5時間かかった。  ケニアに入国するときはEピザ(インターネットからオンラインで事前に取得)を見せた。  長く途方もない旅に思えた。  永遠に飛行機に乗り続けなければならないのかと気の遠くなる飛行時間を過ごし、空港のフロアを踏んだときは疲労より安堵が(まさ)った。  関税を過ぎると待ち焦がれたケニアの空が見えた。冬から一気に夏に降り立ったため、肌がびっくりしていた。日本の夏と違って、湿度が全くない、カラッとした空気。風が肌をさらったときに、異国の知らない空気がわたしを迎えてくれた。  見上げる空は快晴で、悲しいほど澄んでいて、ひつじのような雲がぽっかりと浮かんでいた。  日本で見る空と同じで、だけれど、違う空気。あんなに長い時間飛行機に乗ったのに日本との時差はマイナス6時間で、時計を見ると時間が経っていないように見え、頭が混乱した。 「おとはちゃん大丈夫? とりあえず、ナイロビにホテルを取ってるからチェックインしようか? その街に緑を火葬してくれた方がいるみたいだから」 「はい」  返事をして、空港前に止まっているタクシーに乗り込んだ。  碧斗さんは流暢な英語で行き先をタクシードライバーに伝えた。碧斗さんは高校に英語教師として勤めている。同行者として、とても頼もしかった。  ケニアの公用語はスワヒリ語らしいが、英語も通用した。国民は2言語を使い分けていた。無論、英語も話せないわたしには彼らが何を話しているか分からなかったけれど、簡単な英語は聞き取る事ができた。  首都のナイロビに向かった後、ホテルにチェックインし、碧斗さんと緑くんを火葬してくれた日本人の元に向かった。  緑くんは姿を変えていた。骨になり、骨壷に収まり、オレンジの鮮やかな風呂敷に包まれていた。  現実は無情だと、わたしはその骨壷を静かに見つめた。  ケニアはキリスト教徒とイスラム教徒が多いため主に土葬だ。火葬は特別に費用がかかり、その負担額について、碧斗さんと日本人は話していた。緑くんを見つけてくれた日本人の名前は斎藤保さんと言った。壮年期を迎えた父と同世代か少し年上ぐらいの白髪が混じり、肌が浅黒い男性だった。  彼の話では、2年前緑くんは予定通り撮影を終えて、首都のホテルに戻って来ていた。  夜に街に出た時に何者かに襲われ、一週間前にゴミ捨て場に彼の腐敗した死体が捨てられていた。身につけていた免許証はこの国では価値がないためか、ポケットの中に残されていた事で緑くんは身元が判明した。他にも外国人観光者が何人も襲われており、放置された場所には中国人とイギリス人が混じっていた。地元でも大きくこの事件は取り上げられた。しかし、アフリカ三大凶悪都市の1つである、ナイロビでは取り立て珍しい出来事ではなく、運と警戒力が足りなかったという話になったらしい。 「おかしいな。なんで緑はそんな夜に出歩くなんて、バカなことをしたんだろう。初心者じゃあるまいし」 碧斗さんはその話を聞いて首を傾げた。 「これ、勝手に見たら申し訳ないと思ったけど……」 そう言って、斎藤さんは折り畳まれた手紙を差し出した。  わたしはそれを受け取って、開いた。緑くんの書いた文字だった。 癖のある斜めに上がっていく字、汚い字。とても読みにくい。彼の文字なんて、初めて大学の講義を聞いた以来だった。  右上がりに登っていく不器用な字は夢を追いかけてひたすら前を見ていた彼の性格をよく表していた。
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