kiss. 10

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◆  インターフォンが鳴って陽一郎が立ち上がった。拓未の声がして、2回目のインターフォンの音でさらに心臓がざわついた。 「おい、律待てって、ちょっとって、全然、聞いてない〜、臨戦体勢〜」 廊下で陽一郎の声がし、リビングに拓未が入ってきた。  ロシアンブルーの髪の色に安心した。彼を見上げると拓未は鋭い目で碧斗さんを睨んだ。 「お前、おとはと結婚するんだろうな?」 碧斗さんは眉を寄せて、困ったように口を開いた。 「……いや、おとはちゃんとは結婚出来ないよ。僕、結婚してるし」  拓未はわたしの腕を素早く掴んで、自分の方に引き寄せた。  ちょっと、待って、と声を上げようにも興奮した様子の拓未は怒ったように声をあげた。 「おとは、こいつはダメだ。コケ野郎、絶対ダメ。絶対おとはは渡さない」  拓未は腕を引いて、わたしの前に跪いた。    え?   ちょっと待って、その持っているバラの花束は何?  花束は一旦、床に置かれ、拓未は青紫色の小さなケースを取り出した。  彼を見下ろすと、真剣な目を向けられた。また、逃げられない、と思ったけれど、でもそれより先の言葉が気になった。 「俺と結婚して下さい」 部屋に彼の低い声が響いた。  わたしは掲げられた指輪のケースに手を伸ばした。床に置かれたバラの花束も持つ。 「………え?」 拓未は膝をついたままわたしを見て、碧斗さんを見た。 「え? え? え? …………え?」  碧斗さんが、驚いたように笑った。 「見事なプロポーズ。跪いて、バラの花束12本で、婚約指輪を差し出して。真面目ないい青年だね。おとはちゃんの事を幸せにしてくれるよ。緑と違って」 拓未は目を見開いて、わたしを見上げた。  指輪と花束は思いもよらなかったけれど、嬉しかった。 「…………え、あんた誰?」  拓未は碧斗さんを見ていた。 説明をしようにもぐいぐい拓未が話すものだから口を挟む隙がなかった。  「僕? 僕はその、コケ野郎? の弟。双子だから、似てると思うけど、顔知ってたの?」 「…いや、」 拓未は力が抜けたように、どういう事だとわたしを見た。 「緑くんは………」 一旦、花束と指輪をローテーブルに置く。碧斗さんの横に置かれたオレンジ色の布を指差した。 「ここに居る」 骨壷を包んだ風呂敷。 「………え」 拓未は言葉を失って、碧斗さんを凝視していた。 「僕は碧斗(あおと)と言います。緑の弟です」 「…………律川拓未…です。初めまして」 「はじめまして」  碧斗さんは拓未に挨拶をした後、今回アフリカに行った目的、緑くんが見つかった状況、遺品について簡潔に説明していた。説明を終えると、碧斗さんはもう一度わたしにカメラを手渡した。わたしはそれを両手で受け取った。 「じゃあ、邪魔者は退散するよ。おとはちゃんもこれで自由になれるよ」 碧斗さんの言葉に、やっぱり全部見透かされていたのね、と息を吐いた。その息と一緒に瞳から我慢していた涙がこぼれ落ちた。 「泣かすなよ」 「ごめんね。でも、その涙は彼女にとっては必要な涙だと思うよ」 拓未が近づいてきて、わたしの体を包んだのが分かった。  やっと、ちゃんと泣く事が出来る。 「………あの、俺、ちょっと席外した方がいい?」 陽一郎の声がして、碧斗さんと2人が出て行くのが分かった。 「そう、だな。頼む」 「でも、律、頑張った! 俺、本当にお前のこと尊敬するわ。外野の俺がやーやー言っても説得力ないかもしれないけど、律の頑張りに、拍手しとく」 陽一郎は軽く手を叩いた。 それに笑ってしまいそうになる。 「おとは」 抱きしめられた腕の中で声がして、わたしは顔を上げた。 拓未は痛みを我慢しているような苦々しい表情を浮かべていた。 「今、辛い時に泣き止めばと思って、勢い余ってプロポーズしてごめん。突っ走ったな、………」 「………ううん、そんな事ない」  とても、救われた。 プロポーズには驚いたけれど、嬉しかった。  彼はローテーブルに置かれた婚約指輪と花束を持って、立ち上がった。 「それ……どうするの?」 拓未の服の袖を引く。 「え、いや、えーっと、タイミング? 的にちょっと、違うかったかな、とか思って、またしきりなおしかと。今はコケ野郎のことで頭がいっぱいだろ?」 拓未が立ち去る気配を察して、わたしは袖を強く握った。 「それ、もう、わたしのだから。返して」 「わたしのって、じゃあーーー」 全部、わたしのって言ったのに。  拓未の言葉は最後まで聞かずに腕を引いて、彼に唇を重ねた。拓未は驚いた表情を浮かべていた。  彼の顔を覗き込む。 「拓未、何も言わずに行ってごめんね。緑くんが亡くなって連絡もらって、でも信じたくなくて口には出せなかったの。だから、拓未にも言えなかった。迎えに行くのも言えなかった。ごめんなさい」 拓未はわたしを抱きしめた。 「……いいよ、無事に帰って来たんなら」 すぐ許したね、とわたしは笑ってしまった。ふふふ、と自分の口から声が出た。 「いつも拓未は許すよね。わたしは拓未といるとすごく自由になれる。ありがとう。律川拓未さん、わたしと結婚「する」」 拓未は言い終わる前に、返事をした。 「え、結婚って言ったよな?」 顔を覗き込まれる。 「うん、言った」 「取り消すなよ?」 「取り消さないよ」 「………いや、お前は頷いても、返事しても怪しいからな」 「……じゃあ、どうやったら信じてくれるの?」 「じゃあ、したいって言って」 「え?…………拓未、そればっかりだよね。わたしに言わせたいの?」 意地悪だなぁ、でもその甘える顔に弱い。 歳下の特権をフルに活用する彼。拓未は甘えるのが本当に上手だ。 「そう、言って。俺と結婚したい、ずっと一緒に居たいって言ってよ」 「あ、………えっ、と、たく、み。わたしとずっと一緒に居て?」 顔が熱くなるけど、素直じゃないわたしは本当はずっとそう言いたかった。 「喜んで」 拓未は満面の笑みを浮かべて、わたしを抱きしめた。
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