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3.
夕暮れの住宅地は人も車もほとんど通らなくて、私の足音以外の音が消えてしまったみたいに静かだった。
私や陽翔の自宅近くにある、小さな児童公園。ここまで足を運んできた。
町内には、砂場やブランコで遊ぶような小さな子供はいない。静けさに包まれた公園の中には、陽翔が一人いるだけだった。
私が想像した通り、ブランコに腰掛けてうつむいている。
陽翔、よく一人でここに来ていたもんね。幼稚園の頃に、お母さんを亡くしてから、ずっと。
「陽翔……」
側まで寄って声を掛ける。
陽翔の体が少し揺れて、それからゆっくりと私を見上げてきた。
少しだけ赤くなった目のふちを見なくても、ここで何をしていたのか私には分かる。
お母さんに「バイバイ」って言った、あの日みたいに泣いていたんだよね。
あれ以来、私は陽翔の姉代わりになろうと頑張ってきた。
一緒に成長してきた陽翔の存在は、私にとってはただ一人の大切な人だった。
ずっと、いつまでも側で見守っていきたい相手。
あまりに身近過ぎて、あまりに大切過ぎて、恋に落ちるなんて考えたこともなかった。
「……俺、浅見とは付き合ってないよ」
「うん……浅見さんから聞いたよ。私も……校門で一緒にいた竹井君とは、同じ文化祭実行委員ってだけで……彼氏とかじゃないよ」
恐らく、陽翔が気になっているであろうことを伝える。
少しだけ安心したように和らいだ陽翔の顔を見て、私も心の中のわだかまりが一つ消えた気がした。
陽翔が浅見さんと一緒にいるのを見て、二人の関係が気になった。同時に、すごく不安にもなった。
陽翔も同じだったんだよね。私と竹井君が並んでいるのを見て、同じ気持ちを抱いたんだよね。
公園に辿り着くまでの間、私も少しは気持ちの整理を付けることが出来た。
だから、あの時の陽翔の気持ちについて考える時間が持てた。
ごめんね、すぐに気づいてあげられなくて。
「ごめん、さっきはヒドいこと言って」
「ううん! 私の方こそ、せっかく会いに来てくれたのに……ごめんなさい!」
先に謝られたことが申し訳なく思えて、そのことも含めて私は陽翔に頭を下げた。
陽翔も公園で、私のことを考えてくれてたんだね。
私に会ったら何を言おうか、考え続けてくれたんだよね。
ブランコに座ったまま、目線だけはしっかりと私の顔を捉えながら、その言葉を伝えてくれる。
「俺……他の女子と付き合っておいて、それで百花とキスするような男じゃないから。そんな風には、思われたくないから」
「うん……陽翔が、そんな子じゃないってこと分かってるよ。陽翔のことは、何でも分かってる……はずだった」
昨夜のキスの後から……ううん、会えない日が続いてから陽翔とは気持ちのズレが生まれてた。
顔を合わせていない間、陽翔がどうしていて何を考えているか、きちんと分かってあげられていなかった。
昨日のキスがあったから、一晩中、陽翔のことばかり考えてしまった。
陽翔の気持ちを理解してあげようと、寝ないで考えてたよ。
「ねえ、陽翔……学校で何かイヤなことでもあったの?」
「……無いよ。俺は平気……だけど、百花のことは気になってた」
陽翔の口ぶりに、私はハッとさせられた。
私が陽翔を心配するように、陽翔も私のことを気遣ってくれていたことが分かったから。
地域には私たちくらいしか子供がいないから、仲の良い友達って言ったら陽翔しかいなかった。
だから私は陽翔がクラスの子と馴染めているのか、いつも心配してた。
でも、それはお互い様なんだよね。
私もどちらかと言えば大人しくて、集団行動は苦手な方。
一緒に育った陽翔には、私の性格も知られてるよね。
中学までと違って、知らない顔ばかりの高校生活。私が上手くやっていけてるか、気にしてくれたんだ。
そのことを感謝と一緒に口にすると、陽翔は首を横に振った。
「それだけじゃない。俺……このままだと百花がいない時間が、もっと増えてくんじゃないかって思ったんだ。俺の成績じゃ、百花と同じ高校に行くのは難しいし……例え高校までは一緒になれても、その先はどんどん百花と会えない時間が増えるだろ?」
うん……それも昨日、ベッドの上で考えてたよ。
お互い、一緒にいるのが当たり前だったから。本当の姉弟みたいに思っていたから。
だから、自分の人生に陽翔がいなくなるかもって考えると不安な気持ちになった。
陽翔が私以外の女の子と付き合うかもしれないと思うと、胸が張り裂けそうになることも初めて知ったよ。
「百花が……俺から離れていくのが嫌で……昨日、久しぶりに百花の顔を見たら……離れたくないって思って、キスしてた。そのせいで……百花が俺のこと嫌いになったらどうしようって、また……不安になって……」
両目からポロポロと涙を零しながら、それでも必死に言葉を繋いでいく陽翔。
ずっとずっと悩んで苦しんでいた胸の内を、私に打ち明けてくれる。
きっと陽翔も昨夜は眠れなくて、授業も耳に入ってこなくて、私のことを考えて思い詰めていたんだね。
自分のキスが、これまで築き上げてきた二人の関係を壊すことになるのが怖くて。
陽翔の頭を両腕で包み込んで、その泣き顔を胸へと抱き寄せる。
陽翔の姉代わりになろうと決めた、あの日のように。
「俺、百花が俺のこと、弟みたいにしか見てないの知ってる。姉弟みたいに育った俺たちだから、いつか他の人を好きになって離れ離れになるのかもしれない。それでも、俺っ……」
私の腕の中で泣き続ける陽翔の言葉を、胸の奥へと受け止める。
今、触れ合っている相手じゃない。違う誰かに恋する日が来る。一緒に育ってきた二人が、別々の道を歩いていく未来。
恋に落ちるという幸せに満ちているはずの未来を思うと、胸が苦しいくらい切なくなる。
それでも――。
「それでも……二人で過ごした時間は、永遠だよね。誰にも傷付けられない、私たちだけの宝物だよ」
腕の中で、陽翔が黙ったまま頷くのが分かった。
例え離れていても、互いを想う二人の気持ちは変わりないって分かってくれたはず。
陽翔も、そして私自身も。
いつか違う人に恋しても、いつか陽翔がいない人生を選んでも、私たちの仲は変わらない。
今は、こうして陽翔と一緒にいられる時間を大切にしたい。
そう願いながら、陽翔の髪の毛にそっと唇を寄せた。
了
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