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2.
「志野さん、帰りのホームルーム終わったよ?」
「えっ……あっ、ごめんなさい!」
クラスの男子に声を掛けられて、私は現実世界に引き戻された。
今日は朝から、ずっとボーっとしている。一睡も出来なかったんだから、当然だけど。
もちろん、一番の理由は別にある。昨夜、寝付くことが出来なかったのも、それが原因。
全ては陽翔とのキス。
そのワンシーンが頭の中にいつまでも残り続けてて、先生の話もチャイムの音も耳に入ってこなかった。
「具合悪いの? 保健室、行く?」
「う、ううん! 何でもないの! ありがと……竹井君」
声を掛けてくれた男子――竹井君は事情を知らないから、本気で心配してくれている。
それなのに私は、キスのことばかり考えてるなんて。
竹井君に悪いから、無理してでも大丈夫ってところ見せないと。
「うーん……平気かな? あのさ……文化祭の打ち合わせ、今日やりたいと思ったんだけど、無理そうなら明日に回そっか?」
「ほ、本当に大丈夫だから! いいよ、今日やろう」
そうだった。私と竹井君は、文化祭実行委員だったんだ。
こういうのって皆、あまり積極的にやりたがらないんだよね。
四月のホームルームで実行委員の二名を決めるって話になったんだけど、当然なかなか立候補は上がらなかった。
先生も決まるまで帰さないって空気を出してたから、「だったら私が手を上げよう」って思った。
そうしたら、私と一緒に竹井君が手を上げてくれていた。
本当は私も文化祭って何をしたらいいのか分からないし、まして新しいクラスだから心細かった。
けど、竹井君が一緒に立候補してくれたことに勇気づけられた。
その竹井君が文化祭の打ち合わせのために時間を割いてくれるなら、私のワガママで延期になんて出来ないよ。
「……よし! それじゃ、駅前のミスドで打ち合わせしよっか」
「うん!」
多分、私の表情はそんなに元気に見えてないんだと思う。
だけど竹井君は私の気持ちを読んで、私に合わせてくれている。
陽翔のことは少しの間だけ頭の隅に移動させて、今は文化祭の出し物を考えなくっちゃ。
竹井君と一緒に玄関を出ると、向こう側から歩いてきた女子たちとすれ違う。
「校門のところに中学生がいたねー。誰かに会いに来たのかな?」
そんな話し声が聞こえてきたけど、別に気にも留めなかった。
だから校門まで来た時には、心臓が飛び跳ねるくらい驚いた。
だって、そこにいたのは中学の制服を着た陽翔だったから。
「陽翔……! どうしたの? 学校は?」
昨日のキスのことが頭をよぎったけど、私の口から飛び出したのはそれとは全く関係なかった。
まるで弟を心配して咎めるみたいな口ぶりに、私自身が内心驚いた。
陽翔の姿を目にしたら、キスのことより先にいつもの態度が出ていた。
そんな私に、陽翔は少しぶっきらぼうに答えてくる。
「……三者面談期間だから、授業は午前中までだよ」
そっか、そんな時期なのか。
陽翔は、どこの高校に行きたいの? 先生やお父さんと、ちゃんと話し合い出来てるの?
ついつい浮かんでくる、お節介な言葉たち。本当のお姉さんでもないくせに。
表面上は、昨日のキスのことなんて意識していない私。
そんな私の態度が面白くないのか、陽翔は私から目をそらして唇を尖らせている。
……違う。陽翔の視線は、私の隣にいる竹井君に向けられていた。
私も竹井君の方を向くと、首を傾げた竹井君と目が合った。
「えっと……弟さん?」
「弟……じゃないけど、弟みたいなって言うか……」
幼稚園の頃からの私たちの仲を、何て説明したらいいのか。
単純に幼馴染と紹介するのは、心のどこかで「違う」と言ってる自分がいる。
だって陽翔と私は血の繋がりは無いけれど、私にとってはやっぱり大事な弟だから。
竹井君への説明を考えていると、陽翔は何も言わずに私たちに背中を向け出した。
それに気付いた私が呼び止めるより早く、陽翔は逃げ出すようなスピードで駆けて行ってしまった。
「あー……悪いこと、言っちゃったかなぁ?」
どんどん離れていく陽翔。その背中に向かって咄嗟に手を伸ばした私の側で、竹井君の溜息まじりの声が聞こえきた。
竹井君の方を向くと、なんだかバツが悪そうな顔をしている。
それについては、私も心当たりがある。
きっと私が陽翔との関係をはぐらかそうとしたから、それで怒って行っちゃったんだよね。
でも、キスしたからっていきなり恋人になれる訳でもない。
それくらい長い時間、私と陽翔は仲の良い姉弟でいたんだから。
竹井君より私の方が、陽翔に悪いことした。それでも竹井君は陽翔の気持ちを察して、陽翔への穴埋めをしようとしてくれる。
「志野さん……行ってあげなよ。文化祭の打ち合わせは、また今度でいいからさ」
「う、うんっ……ごめんなさい!」
竹井君に後押しされて、私は陽翔が駆け出していった方へと走っていった。
幸い、すぐに陽翔の姿は見つかった。
学校からすぐそこの電信柱の陰から、陽翔の制服が覗いているのが見えた。
けど、そこにいたのは陽翔だけじゃない。陽翔の中学の、女子の制服姿も見えた。
「……浅見さん?」
私は駆けながら、近付いていく女子中学生の名前を呟いた。
陽翔と向き合っている顔は、中学時代、テニス部の後輩だった浅見さんのものに違いなかった。
電信柱の側まで近寄ると、まだ私のことに気が付いていない二人の会話が聞こえてきた。
「……何で付いてきたんだよ?」
「だって……桐山君のことが心配だったから」
そう言う浅見さんの表情は、本当に陽翔のことを気遣って苦しそうに見えた。
姉が弟を想うのとは、まるで違う表情。これが恋してる女の子の顔なんだねって、すぐに察しが付いた。
浅見さんは私と違って、陽翔に恋愛としての想いを寄せている。
その考えが、私の両脚を震えさせるのは何故?
「あっ、志野先輩……!」
電信柱の陰で立ち尽くす私を、浅見さんの目が捉えた。
同時に陽翔も私を振り返って、私は二人の視線に射すくめられた心地になった。
二人の会話を立ち聞きした後ろめたさから?
それ以上に、浅見さんが発した言葉や表情から読み取れる感情が、私の胸の奥に不安な気持ちを宿らせていった。
私はほぼ無意識に、その不安を口にしていた。
「あの……二人って、付き合ってるの……?」
そう思うと、何故か胸が苦しくなる。
自分で尋ねておいて、陽翔が何か言おうとすると耳を塞ぎたい気持ちが込み上げてくる。
陽翔はそんな私の足下に向かって、声を張り上げた。
「百花には、関係無いだろっ!」
それだけ言うと、陽翔はまたしても行ってしまう。
さっき以上の駆け足で、私たちの前から姿を消していった。
取り残された私は、浅見さんと目を合わせるのも気まずくて瞼を閉じる。
「先輩、その……」
泣き出しそうな浅見さんの声がして、私はゆっくりと目を開けた。
浅見さんは視線をあちこちに泳がせながら、おずおずと言葉の続きを口にする。
「私と桐山君は、“まだ”そういう関係じゃ……ないです」
その一言が私の胸に突き刺さる。
“まだ”付き合ってはいない陽翔と浅見さん。いつかは陽翔と恋人になりたいと願う浅見さん。
それを私に告げるのも、きっと勇気を振り絞ってくれたはず。
先輩の私が、目を背けちゃダメだよね。
「うん……教えてくれて、ありがとう。もし……二人が付き合うようになったら、陽翔のこと、お願いね」
「! ……はい! ありがとうございます!」
私の言葉に浅見さんは表情を明るくさせて、深々とおじぎする。
もしかしたら浅見さんと陽翔が付き合うことを、私がダメだと言うと思ったのかもしれない。
そんな不安が解消されて、浅見さんは昔みたいに私に微笑んでくれた。
けど、陽翔はまだ笑えていないはず。
「浅見さん、今日のところは陽翔のことは私に任せて。あの子を一番理解してるのは、たぶん私だから」
「……そうですね。桐山君のこと、お願いします!」
いつか付き合う可能性があるとしても、今の二人はまだ友達。
だから今、駆け出していった陽翔の後を追えるのは私しかいない。
それは陽翔の姉代わりとしてかもしれないけど、あんな風な陽翔を放ってはおけない。
私にキスしてきたり、高校まで会いに来たりするなんて。何か悩み事でもあるの?
私の態度のせいで悩みを相談できずに逃げ出してしまったなら、追いついてちゃんと謝りたい。
浅見さんに別れを告げて、私の足は実家の方へと走っていく。
多分、陽翔がいるのは、あの場所だから。
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