君の揺りかご

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僕が生まれたのは昭和二十六年、 所謂ベビーブームだ。 父が戦地から戻った翌年、 僕は一人息子として誕生、 僕を抱く写真の父の右手首から先は なかった・・・。 戦後しばらくシベリアへ 抑留されていた父は 極寒の地の過酷な労働の果て、 凍傷を患い、帰国前に 右手首を切断したらしい。 僕が知っている事情はそれくらい。 十年前に続けざまに他界した 両親とも・・・特に父が、 シベリアでの話を することは・・・なかった。 僕が記憶している家庭は・・・、 朗らかで働き者の美容師の母親と 絵に描いたような “髪結いの亭主”の父親・・・。 客相手に朝から晩まで 手を荒らして働く母親に対して、 昼まで寝て、母親の用意した食事を 食べてからまたゴロゴロ・・・ 子供並みの小遣いで パチンコや散歩で一日を終える父親。 幼心に父親を嫌悪していた僕は 勉強が出来ることを理由に 中学から東京の伯母のところへ 下宿して・・・それからは 最低限にしか両親とは 会わないようにしていた。
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