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ばあちゃん天気予報
遺影の祖母は穏やかな笑顔を浮かべている。
九十四歳。大往生だったんだよ。
そんな親戚の会話を聞いても、そもそも祖母が死んでしまったことがピンとこない。
ましてや今日が祖母のお葬式だなんて、なんだか実感がわかないのだ。
遺影の祖母は、今にもこう言いそうな顔だから。
『晴子、傘持っていきなさい』って。
私は幼い頃から祖母と暮らしていた。
祖父は私が生まれる前に亡くなってしまったらしい。
そんな祖母は、穏やかでいつもニコニコとしていたし、どちらかと言うと私や両親の話を聞くほうが多かった。
だけど二つだけ、祖母がハッキリと言葉にすることがあったのだ。
その一つが天気予報。
お天気お姉さんが『今日は太陽が主役です』とどんなに言って、雨が降らないと言っても、祖母は空をじっと見上げてこう言うのだ。
『今日は降るから、傘を持っていきな』と。
その的中率は、天気予報士よりも当たる。
おまけに夕立や天気雨まで当ててしまうのだ。
おかげで私は、外に出た時に雨に濡れたことがない。
でもそれも、実家にいた頃の話。
二十歳の今、一人暮らしをしているので傘を持っていない時に雨に降られることは多い。
だから祖母の顔を見ると、あの的中率ほぼ100%の天気予報を思い出すのだ。
そして、もう一つ……。
「お義母さん、おいなりさんが好きだったわね」
向かいに座っていた母がぽつりと呟いた。
火葬場で待つ間、親族の待合室のテーブルに用意されていたのはおいなりさんだった。
静かな部屋で、おいなりさんを食べる音だけが響く。
私はまったく食が進まなかったが、祖母の好物を残すわけにはいかない。
そう思っておいなりさんを口に入れた。
甘いおあげと酢飯の味が口に広がると、祖母が小さな手で作ってくれたおいなりさんを思い出す。
『美味しいかい?』と少しだけ心配そうに聞く祖母に、『うん! 美味しいよ』と答えると、祖母は顔中をしわくちゃにして笑うのだ。
それを思い出した途端、私の目から大粒の涙がこぼれた。
私は目を乱暴にごしごしとこすりながら、しょっぱいおいなりさんを食べた。
心配そうにこちらを見る母に、私は思わずこう口にする。
「ばあちゃんは、かわいそうだよ」
『結婚式がしたかったねえ』
祖母は生前、よくこう言っていた。
なんでも、慌ただしく貧乏な時期で結婚式ができなかったらしい。
そして、子どもが生まれ、あれよあれよという間に歳を取って、落ち着いた頃には祖父はもうこの世にはいなかった。
だからテレビのドラマなんかで結婚式のシーンを観るたびに、乙女のようなため息をつきながらそんなことを言っていたのだ。
『おじいちゃんと結婚式、挙げたかった』と。
だけど、結局、祖母はその願いは叶わぬまま九十四年の人生に幕を下ろした。
そんな祖母を、私は可哀想だと思ったのだ。
願いが叶わないまま、この世を去ってしまうだなんて。
火葬場から出ると、晴れ間が見えているのに雨が降り出していた。
「あっ、天気雨」
私が立ち止まってそう言うと、隣を歩いてた母も立ち止まる。
それから空を見上げながらポツリと呟く。
「きつねの嫁入り」
「えっ?」
「天気雨のこと、きつねの嫁入りって言うわよね」
母の言葉に、私は空を見上げる。
きつねの嫁入りってことは、今結婚式を挙げている真っ最中なのかな。
祖母はきつねではないけれど。
でも、的中率100%の天気予報に、おいなりさんが好きなところはもしかして……。
そんなことを考えていると、雨がやんで空にきれいな虹がかかった。
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