笑い声

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笑い声

 とにかく破格の安さだと不動産屋がしきりに言った。  駅から徒歩十分、築三十年で二階建てアパートは外観は白と黒を基調にしたシックでおしゃれな雰囲気。  中へ入ると、狭いながらも台所があり、六畳ほどのスペースの洋室、おまけにトイレとお風呂が別になっていた。  僕はお風呂を覗いたあとで、洋室のほうに戻り、「クローゼットもある」と呟く。  おまけに二階の角部屋だから右隣はいないし上の階もない。  それなのにこの部屋の家賃が月二万ってのはどういうことだ。  僕は首を傾げてふと左側の壁に視線を向けた。  壁は一部だけがやけに白く新しい。  ここだけ塗り直したのだろうか。 「そこは、前の入居者の方が手を、ぶつけられてヒビが入ってしまったので修理をしたそうです」  僕が壁を見ていることに気づいた不動産屋がそう説明したが、どうも奥歯に物が挟まったような言い方をする。  まあ、考え過ぎかもしれないけど。  とにかく安いからこの部屋に決めよう。  そういうわけで、このアパートに引っ越してきたのは昨日。  まだカーテンのつけていない窓の外は闇に包まれている。  静かな夜のはずなのに、大きな笑い声が邪魔をする。  笑い声は壁の向こうから聞こえてきた。  隣人、つまり左隣の部屋からだ。  テレビを観ているんだか漫画を読んでいるだか知らないが一人で大笑いをしている。  その笑い声がやけにこちらの部屋に響くのだ。  注意しにいこうと思ったが、面倒でまだ引っ越しの挨拶にも行っていないし、正直なところあまり関わりたくない。  しかたがないのでその日は、布団を頭までかぶって眠ることにした。    ようやく朝になった。  まったく眠れなかったのは夜中、笑い声が耐えなかったからだ。  何度、壁を殴って注意しようと思ったことか。  そこで僕はハッと気づいたのだ。  壁が一部だけ新しかったのは、前の入居者が隣人の笑い声に耐えきれずどんどんと壁を殴りつけたからなのだろう。  今ならその気持ちも痛いほどわかる。  ああ、この部屋が安いのも隣人のせいなのか。  僕はそんなふうに嘆きながら、大家さんに挨拶をする。  そして僕はそれとなく大家さんに聞いてみた。 「あの僕の隣の、二〇二号室に住んでいる人ってどんな人なんですか?」  大家さんは「二〇二号室?」と眉間に皺を寄せ、アパートを見上げる。  それから二〇二号室の窓を見つめたまま続けた。 「あの部屋ならずっと空き部屋だよ」  僕は驚いて二〇二号室を見上げる。  窓際に人影が見えた。
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