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待ち合わせ喫茶店
ブレンドコーヒーをなるべくゆっくりと飲んだ。
窓の外を眺めつつ、私はまだ待ち合わせ時間なんか過ぎていませんという顔をする。
待ち合わせをする人専用の喫茶店というコンセプトのこの店は、客の出入りも激しかった。
「ごめーん!」
その男性の声に「もー、遅いよ」と答える女性。
近くの席のカップルが、レジへと向かう。
とうとう私の周囲の席は空っぽになってしまった。
喫茶『待ち合わせ』に午前十時に待ち合わせよう。
先輩は確かに昨日、そう言ったのだ。
それがもう二時間の遅刻。
スマホに連絡をしても、うんともすんとも言わない。
「何かあったのかな……」
私が両手で顔を覆ってそう呟くと、「おかわりはいかがですか?」と声がした。
顔を上げると、テーブルの横には中年女性の店主が優しい笑みで立っている。
「じゃあ、おかわりください」
「どのくらい待たされているんですか?」
「え?」
「相手が遅刻している時間に応じて割引しますから」
「二時間です」
「あら、じゃあ、二百円割り引きますね」
店主はすぐにコーヒーのおかわりを持ってきてくれた。
店内に客が私だけだということがわ分かり、思い切って店主に聞いてみた。
「なんでこういう喫茶店を始めようと思ったんですか?」
「学生時代にね、当時の恋人とデートの待ち合わせをしていたの」
店主は続ける。
「一時間、二時間、三時間と待たされたわ。当時はスマホも携帯もなくてね。彼の家の固定電話の番号にかけても出ないの」
「それで、結局、来たんですか?」
「いいえ。来なかったわ」
「そうなんですか……」
「その時、駅で待ち合わせをしたんだけどね、田舎の駅前って何もないのよ。だから、心細くて」
私はコーヒーを一口飲んだ。
店主は、明るく笑ってからさらに続ける。
「当時の体験から、待ち合わせ専用の喫茶店をオープンさせようと思ったの」
「じゃあ、その待ち合わせは良い思い出じゃないんですね」
「そんなことないわよ」
「え?」
「だって、その時に失恋の話を聞いてくれて、いつか喫茶店をやりたいっていう話に『俺も応援するよ』って言ってくれたのが今の夫なんだから」
店主はそう言うと、カウンターの奥を見る。
「だからね、待ち合わせに来るのも来ないのも、全部、人の縁なのよ」
「人の縁……」
私がそう繰り返すと、店主は「いらっしゃいませー」と言って、ドアの方へと向かった。
店の中に入ってきたのは先輩だった。
二時間三十分の遅刻。
「あの、何かあったんですか?」
「んー。寝坊したー」
先輩はそう答えただけで、遅刻の謝罪はなし。
「十分も遅刻するとか信じられない!」
後ろの席のカップルがケンカを始めた。
怒る女性に恐縮する男性。
先輩はその男性を見てから言う。
「アイツ、さっき、ばあさんを道案内してた奴だ。とろとろ歩いてて邪魔だったんだよな」
「先輩よりもずっとかっこいいですよ」
私はそう言ってとびきりの笑顔を見せてやった。
機嫌を損ねた先輩はすぐに店を出て行った。
後ろの席の男性も、連れの女性は帰ってしまったようで一人きり。
お互いに目が合って、照れながら会釈をした。
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