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幕おじさん
「俺はね、人の顔を覚えるのは得意なんだよ」
俺はそう言って、ニヤニヤと笑う若い男たちの顔を見る。
四人の若者は大学生くらいで、ついさっき何やら喚きながら俺の陣幕を蹴飛ばし、椅子やらテーブルやらをひっくり返していった。
広場には俺とこの暴力的な若者四人だけ。
「うるせえ! こんなところで寝泊まりしてんのが悪いんだろ!」
若者の一人がそう叫ぶ。
「俺の趣味だから誰にも文句を言われる筋合いはないよ」
「そもそも広場に勝手にテント張ってんじゃねーよ。警察呼ぶぞ」
「これはね、テントじゃなくて陣幕って言うんだよ」
俺がそう言うと、「口答えすんじゃねえ!」と一番ガタイのいい男が拳を振り上げる。
その瞬間。
「おまわりさーん! こっちです!」
広場にそんな声が響いて、「やっべ」「逃げようぜ」と四人の男は一目散に逃げだした。
「大丈夫ですか?」
そう言って声をかけてきたのは、これまた大学生くらいの若い男だった。
だが、心配そうにこちらを見る目とやさしい雰囲気に、俺はホッと胸をなでおろす。
「ありがとう。警察を呼んでくれたのかい?」
「い、いえ、違うんです。そう言えばああいう奴らって逃げていくんで……」
「そうかい。勇気ある行動だよ。ありがとう」
俺がお礼を言うと、好青年は照れくさそうに笑ってから口を開く。
「あの、あなたが『幕おじさん』と呼ばれている」
好青年は「あ、おじさんだなんてすみません」と口に手を当てる。
俺は確かに『幕おじさん』と呼ばれている。
理由は、俺があちこちの広場に陣幕を張って寝泊りをしているからだ。
一ヶ月姿を見せない時があったり、二週間くらい夕方だけ広場にいたり、公園をうろうろしていたりするので、そんなあだ名がついたらしい。
「いや、もう俺も三十五だし、立派なおじさんだよ」
俺はそう言うと、クーラーボックスから冷やしておいた缶コーヒーを好青年に渡す。
「あ、ありがとうございます」
「君、名前は?」
「山田です」
「山田君ね。俺は社長。よろしく」
「あ、はあ」
「こうして広場で陣幕を張ってると、さっきみたいに絡まれるんだよなあ」
「警察は呼ばないんですか?」
「うーん。警察沙汰にはしないよ」
「やさしいんですね」
「いいや、できれば自分の手で制裁したいってだけだよ」
俺はそう言ってニッと歯を見せて笑った。
びしっとスーツを着こんで、俺はそいつらを眺める。
そいつらは、気まずそうに俯くだけだった。
六月になり、うちの会社も面接の時期になった。
「一応、私は社長だし、やっぱり直接、面接をしようと思ってね」
俺の言葉に、四人はさらに縮こまる。
無理もない。
つい数日前に、陣幕やらテーブルやらをめちゃめちゃにした挙句、殴りかかろうとした『幕おじさん』が目の前にいるのだから。
まさか、その正体が大企業の社長だとは思っていなかったのだろう。
「忘れてないよ。私が自分の所有する土地で陣幕を張ってキャンプをしていた時のこと」
俺はそう言うと、まっすぐこちらを見ている人物に視線を向ける。
「陣幕を張って広場にいるとね、人間性ってものがよくわかるんだ」
俺の言葉に、目をまん丸くしていたのは山田君だった。
どうやらこの面接で合格するのは、彼だけのようだな。
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