お守り

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お守り

『押入れの奥のほうに紺色の箱がある。そこに入れておいた』  病床に臥せる祖父が、弱々しい声でそう言った。  俺は花瓶の水を替えながら聞き返す。 『え? なにを?』 『お前には俺の田んぼと畑を任せた。もし、それで困るようなことがあれば、その箱を開けなさい』 『変なこと言うなよ。じいちゃんは退院してまた畑仕事やるんだろ』   俺の言葉に、祖父は答えなかった。  沈黙に胸がざわつき、俺はさらに続ける。 『ほら、また熊や猪と戦うんだろ? 最強のじいちゃんって近所でも噂だよ』  冗談めいて言ってみたものの、祖父は黙って天井を見つめていた。  祖父とまともに会話をしたのは、あれが最後になってしまった。    祖父が亡くなって三年が経ち、俺は託された畑と田んぼを守り続けている。  だけど、それももう限界かもしれない。  田んぼは雀が、その隣にある畑は猪が荒しに来るのだ。  だから、去年も今年も収穫は激減した。  祖父が現役の頃と比べると、雀の涙ほど。  くそっ、雀はうちの米を食べて丸々とふくれているというのに。  雀対策も猪対策もあれこれやったのだが、何一つ効果がなかった。  これじゃあ無駄な対策費用で赤字だ。  三十五歳の俺が、今さらまたサラリーマンに戻れるんだろうか。  そもそも、この畑と田んぼを放り出したら、きっと祖父は天国で怒るだろうな。  そんなことを思ってため息をついた時に、祖父の言葉を思い出した。  困った時に押し入れにある箱を開けろ、と言っていたっけ。  祖父が俺に何かを残してくれたということか。  もしかしたら、お金になるものかもしれない。  あるいは雀や猪対策に効果抜群の物か。  どちらにしても、もう頼みの綱はそれだけだ。  俺は期待しながら、祖父の部屋の押し入れの奥を探す。  紺色の箱は思いのほか小さかった。  俺は「なんだろ」と呟きながら箱を開ける。  中に入っていたのは、麦わら帽子。  祖父は元気だった時、よくこの帽子をかぶっていた。  だけど、この麦わら帽子は何の変哲もないよくある代物だ。  他にも何かあるんじゃないかと思って箱の中を覗いたり、箱の外も確認してみたりした。  だけど入っていたのは、このくたびれた麦わら帽子だけだった。  俺はその場にへたりこんだ。  確かに、この麦わら帽子は、ただの帽子ではなく祖父は『お守りだ』とよく言っていた。  山から降りてきた熊と祖父が戦って撃退した時も、猪やらワシを餌付けした時も、いつもこの帽子をかぶっていたと言っていたな。  だからって、この帽子を今、俺にくれても何もなりゃしない。  僕は大きなため息をつき、帽子をしまおうとしてふと手を止める。  農作業中の祖父の姿がよみがえった。 「そうか!」  僕は勢いよく立ち上がり、祖父の帽子を持って家の外へ出る。  今年は、畑も田んぼも、雀や猪に荒されることはなかった。  特に今年は豊作で、俺は首の皮が一枚つながったような気分だ。 「じいちゃん案山子のおかげだ」  俺は畑と田んぼの中間に置いた案山子に話しかける。  案山子には、祖父の麦わら帽子をかぶせてみたのだ。  帽子をかぶせた途端、動物たちが寄ってこなくなった。  きっとまだ、祖父の匂いが残っているのだ。  そりゃあ、熊を倒し、猪と鷲が味方の人間を、動物だって敵に回したくないのだろう。  祖父は天国へ逝っても尚、最強で最高だった。
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