逃げている人だって走っている

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華絵は言っていた。肩こりに効くという、謎のマッサージ機で背中をゴリゴリさせながら。 『あたしは嫁ぐより稼ぐ方が良いけど、さ。 キャロラインには、血統書つきのイケメンとアンアンニャンニャンさせたいのよね~』 ところがパーティー会場に来てもキャロラインは反応が悪い。 「……」 そんなわけで私の居心地の悪さ……場違い感はすでにピークに達してきた。これ以上のピークは想像以上だ。 自分1人の判断で済むならば、とっくに逃げている。だが、お世話になっている上司の飼い猫の見合いなのだ。それなりの成果を上げねば……せめて時間いっぱいまでは粘らなければ、と胃をキリキリさせていた。 ああ、それなのに。 ? 「その猫は自分を人間だと思っているのではないかな」 目の前に男性がひざまずいた。 ゲージから出る気のないキャロラインを見つめ、優しく微笑んだ。 「……」 こちらが呆然とする美貌だった。 やや色素の薄い髪と、けぶるような甘い海松茶(みるちゃ)色の瞳をしている。松葉のようなしっかりとした睫毛が意外とやんわりとした影を落としている。青みがかったよな陰影も美しい、珍しい色合いの虹彩だ。 スーツを着ていた。 私のような就活スタイルではないがスーツだ。 ベージュ系で細やかな格子模様……スリーピースだが、中のベストは同系色共布だがワントーン落としている。アイボリーの柔らかめのシャツに若草色のネクタイをしめていた。 (……似ている) 私はたじろいだ。 親の私が膠着状態なのに、まるで空気を読まず、カイは、ハキハキと高い声で言う。 「キャロラインはネコ目(食肉目)-ネコ亜目-ネコ科-ネコ亜科-ネコ属です」 カイがこの男性に対し、全く人見知りをしない。たいていの若い男なら、こんな5歳児には関わらないだろう。 だが。 細身で美しい彼は目を細めた。 ? 「君は?」 「柚木(ゆずき)カイです」 カイは、ハキハキと答えた。 ? 「違う」 男性は柔らかいが、カイと同じくらいハキハキした声で断言する。 「君はヒトである」「ヒトとはヒト科ーヒト亜科に属する動物の総称。狭義には人類。 高度なコミュニケーションと二足歩行を特徴としている」「君がヒトであるまえに柚木カイであると主張するならば」「キャロラインはネコであるまえにキャロラインとして取捨選択をすべきだ」「ゆえにキャロラインはネコではない」「少なくとも当事者たるキャロラインにとってネコと婚活なんて無意味だ」 「……」 私はドン引きする。 男性はクロネコを抱いていた。かなり大きく、長毛種だ。足だけが白い。フッサフッサな尻尾をしていて、ご機嫌なのか、ゆらゆらと揺れている。顔立ちは「ふふふ」と笑ってるような……マザーグースのチェシャ猫みたいな……楽しそうな猫だ。 カイは相変わらず臆していない。 いや、むしろヒートアップしている。頓着せず、背の高い美青年に話しかける。 「かわいい!靴下にゃんこだね!」「おじさんは靴下にゃんこを飼っているのですか」 (あああああ。おじさんって!おじさんじゃないよ、カイいいいい!) 慌ててももはやどうにもならず、私は立ち往生している。 が、かの『おじさん』こと『美青年』は、ハキハキとしたまま淡々と答えを返してきた。 ? 「おじさんは靴下にゃんこに飼われている」「たまに、餌だとばかりにスズメやバッタを枕元に運ばれる」「ちなみにおじさんである前に、俺は如月(きさらぎ)桃季(とうき)、29歳だ」「この子は靴下にゃんこである前にタンゴくん」 猫の手を動かした男性に私は言った。 「あ…黒猫のタンゴですか?」 が。桃李は、バッサリと切り捨てる。 「なんと安易な発想だ。つまらん」 「……」 「5月5日生まれだから“端午”。 俺は3月3日生まれだから“桃季”だ」 「……(そんなん、知らんがな〜)そうですか、すいませんでした」
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