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第八幕『禁足地のおはなし』
人間が足を踏み入れてはいけない場所がある。それを禁足地って言う。どうして禁足地になっているかって? そこが異界に繋がっていたり、神域であったり、化学薬品で汚染されている土地であったり、と理由は様々。
汚染されているってなら、身体に直接害があるから誰も足を踏み入れないと思う。でも、異界に繋がっていると聞いたら、興味本位で足を踏み入れる人が多そうだよね。ほら、多感な時期だと特にワクワクして入っちゃうと思うんだ。神域に踏み込んで「俺様が神だ!」とかやりたい子ってけっこういると思うんだよね。きゃはっ。
これは、禁足地に踏み込んでしまった女性のおはなし。
木の上から僕は見ていた。
まだ幼い子どもが一人で歩いている。誰かが子どもを追ってきた。追ってきた大人は笑顔で言うんだ。
「この川にはきらきらした綺麗な石があるから、探してごらん」
子どもは眩しいくらいの笑顔を浮かべて、川に入っていく。浅い川だけど、子どもにとっては深い川。膝まで濡らしている。穏やかな流れだけど踏ん張らないと足元をすくわれそう。子どもは川底に手を伸ばす。
その時、大人が子どもの後頭部を掴んで、そのまま水面に押し付けた。あわれ、子どもは溺れてしまう。息ができなくなって冷たくなった。大人はそのまま子どもを川に流した。「禁足地」と呼ばれる森の奥へ。
子どもの死体は流れて行く。橋の下を通り、もっと奥へ、もっと奥へ流れて行く。僕はあくびを一つ浮かべて死体を追うことにした。どうせ何処に行きつくかもわかっている。あの死体がどうなるかもわかっている。
橋の横に突き刺さっている立て看板に『イキハヨイヨイ』と記されていた。僕はその橋を渡り、森の奥へ足を運ぶ。枯れ葉が愉快な音を奏でる。真っ昼間だというのに森の中は暗くて少し肌寒いくらいだ。
やがて開けた場所へ辿り着く。子どもは石ばかりの河川敷に打ち上げられていた。
「きらきらした石みつけたよ!」
子どもは身体を起こす。手にきらきらした綺麗な石を握り締めていた。僕は溜息を吐いて、再び森の中へ戻る。あの子が間違っても森の外へ行かないように見ててあげないといけなかったからね。
ここにいれば、あの子は生きていられるから。
木の上から辺りの様子が一望できた。森の中は鬱蒼としている。でも、視線を開けた方へ向ければ、しあわせで世界が満たされていた。それが偽りのしあわせであっても、心が満たされているならば、それで良いと思う。僕はしあわせになれないから、誰かのしあわせを祈って、誰かのふしあわせを喜ぶことしかできない。そして、僕が不幸になればなるほど、誰かが幸福になるんだと思う。僕がそうしてしあわせやらふしあわせやらについて考えている間に、森の中に新たな人影が一つ。
「タケちゃーん! どこー?」
不思議だと思った。
この森を「禁足地」と知らない人は、森の奥に絶対に入れないから。森が人を認識しないからここに入ることはできないのに。
だって、ここは……生きられなくなった者が来るところ。生きてる人が入って良い場所じゃない。
「禁足地」に入れるのは、ここを「禁足地」だと知っている人だけ。知らなかったら、ここに橋は繋がらないはず。森の中を迷うだけ迷うことになる。それなのに……あの声の主はどうしてここに? 「禁足地」と知っていてわざわざ入って来るなんて、頭おかしいんじゃないかな。
「タケちゃん!」
「せんせー!」
どうやら感動のご対面らしい。声の感じでわかっていたけど、女性が子どもを抱き締めている。あの子どもはとっくに死んでいるから、ここから出たら身体がずぶ濡れになって糸の切れた操り人形のように崩れ落ちるけど……元の世界へ帰してあげたほうが、あの子の親にとっては良いかもしれない。ここで永久に息をするよりも、向こうで息の根を止めて、きっちり、お葬式をしてもらったほうが幸せになれるのかもしれない。
女と子どもは手を繋いで森の中へ引き返してきた。でも、ここの森はちょっと特殊だから、そう簡単に裏切者を外へ出そうとしてくれない。段階を踏まないと外には出られない。
鴉が集まってきて頭上で旋回飛行を続けている。あれだといつかアレに捕まって喰われちゃいそうだなァ。
「せんせー、こわいよぉ」
「じゃあ、お歌を歌いましょう」
「うん」
「カーラースーなぜ鳴くのーカラスはやーまーにー」
子どもを元気づけようと女は歌う。でも、あんまりにも下手な歌に僕は笑いを堪えられなくなっちゃった。
「きゃははは! ヘタクソだね」
「誰? 何処にいるの?」
「今下りてあげるから待っちゃってね」
これだけ笑うのは久しぶりかもしれない。面白くて面白くて目尻から涙が零れちゃうくらいだった。
僕は木から下りる。女は目をまん丸にして驚いていた。僕より頭一つ分小さい女だった。最近の中学生くらいのサイズだ。それでも、女性特有の膨らんだ胸はなかなかの大きさだった。これは巨乳と言って良いような気がする。女はきっと保育士なんだと思う。だって、子どもに『せんせー』と呼ばれているし、彼女の胸には平仮名名前が書かれた札がくっついていた。先に自己紹介でもしておこうかな。
「お待たせ。僕は弐色。神宮弐色だよ。キミは?」
「貴方のような人に名前を教えられないわ」
「へえ。教えてくれないんだ?」
僕を妖怪とでも思ってるのかな? まあ、名前は名乗ってくれちゃわなくてもわかるから良いや。
女は気の強そうな感じがした。優しさも感じとれる声をしているから、子どもを僕から守ろうとしてるんだと思う。教育者として、とても立派な心掛けだと思う。偽善でもなんでも、やらないよりは良いよね。
「貴方はこの辺に住んでいるの? それなら帰り道を教えてくれる?」
「名乗りもしないのに帰り道を教えろなんて、図々しいにも程があるよ。歌もヘタクソで、胸が大きいだけしか取り柄が無さそうなのに」
「何なのよ貴方!」
「きゃはっ! 図星だったんだ? 人間って本当のことを言われたら怒るんだよね」
簡単に怒るから単純かな。思慮深いほうではなさそう。感情的に動くとすぐに足元すくわれちゃうんだよね。帰り道を教えるのは簡単だけど、ここから出たら子どもが死ぬのは明らかだから……どうしようかな。どうせ、教えても信じないとおもうけど、教えておこうかな。僕は子どもを見る。やっぱり目に光が無い。
「この子、死んでるよ」
「何を言うのよ」
「川で溺れて死んじゃってるんだ。ご愁傷様」
僕はお手ての皺と皺を合わせてにっこり微笑む。女は見るからに怒っている。顔に出やすいタイプみたい。
「生きてるわよ。だって歩いてるもの。息もしてるわよ」
「ここは夕焼けの里だからね。歩けるし息もしてるに決まってるよ」
「意味がわからないわ。夕焼けの里って何処よ? 何なのよ?」
「ふぅん。夕焼けの里を知らないでここに来たの? 珍しい迷子もいたもんだね。帰って調べてみなよ」
里のことを知らずに森から入って来るなんて……本当に迷子なのかな? それにしては……元気過ぎる。
彼女には何も悩み事がなさそうだもの。死にたいとか殺したいとか思ったことなさそう。
「帰り道を教えてよ」
「キミさ、さっきも言ったけど名乗りもしないで図々しいよ。でもまあ、僕は、とーっても優しいから帰り道を教えてあげる。ついておいで」
「嘘つかないわよね?」
「……キミさ、『教えてよ』って言ったくせに『嘘つかないわよね』って、ひどいと思わないの? 本当に胸しか取り柄ないね。顔もそんなに可愛くないしさ。僕の方が何百倍も可愛いよ」
まあ、僕は嘘吐きだから信じないほうが良いとは思うんだけど、この女には言わなくても良いか。もう会う事もなさそうだし。
女は怒っているようで声を荒げている。わかりやすくて良いなぁ。
「さっきから何なのよ!」
「何だろうね」
僕は歩みを進める。女と子どもは黙って後をついてきた。僕を信用してくれるみたい。どうして初対面で自分をいらつかせるような相手の後ろを黙ってついてこられるんだろう。僕が嘘の道を教えたらどうする気なんだか……他人をそこまで簡単に信じられるものなのかな。
鬱蒼とした森の中で天を仰ぐ。夕焼けが世界を覆い尽くしていた。鴉の鳴き声がこだましている。風が周囲の木や岩にぶつかり、悲鳴に似た音をたてている。子どもは震えていた。子どもを元気づけようと思ったのか女は再び歌いだす。
「あーるこーあーるこーわたしはーげんきー」
「やっぱり、ヘッタクソだね!」
「うるさいわね!」
殴りかかることもない。ただ怒るだけ。もうちょっとだけ遊んでいたかったような気もするけれど、そろそろお別れの時間。向こう側へ続く橋が見えた。
「僕は素直に感想を伝えたまでだよ。ほら、この橋を渡れば帰れる」
「あ、ありがとう」
きちんとお礼を言える人のようだ。好感がもてる。僕を信じてくれてありがとう、なんてね。
相変わらず頭上から鴉の声が聞こえる。いつまでも鳴かれたら耳障りなんだけど、それが彼らの仕事だから、仕方ないよね。うっかり殺しちゃったら飼い主に叱られるから、手を出すこともできない。
僕は二本の指で#五芒星__セーマン__#を描く。せっかくだから、厄除けのおまじないだけしといてあげよう。この橋を生者が渡ると魔物に狙われてしまうから、彼女におまじないをかけておいた。子どもは死んでいるからかけても無駄になってしまう。どころか、変に狙われてしまいそうだ。
『戻り橋』と刻まれた橋の向こう側は暗くてよく見えない。
なかなか先に進んでくれない。怖いのかな。ま、良いや。
「じゃあね、なきせんせー」
「え」
とん、と彼女の背を押してあげた。振り向いたと思うけど、もう僕の姿は見えないと思う。
少ししてから彼女は再び『禁足地』と呼ばれる森に足を踏み入れることになる。その話をしたかったんだけど、どうやら僕に与えられた時間が尽きるみたいなんだ。ごめんね。この続きはまたどこかで。
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