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到達する地点
人の良さそうな声とともにインターホンに応じたのは、内海睦その人であった。内海は、紗綾がインターホン越しに名乗ると、『あぁ、今日でしたよね!』と玄関先まで出てきた。
「あぁ、こんにちは。よく来てくれましたね、えっと……尾崎さん……ですね。はじめまして、内海です」
「はじめまして、SouthernCrossの尾崎です。このたびは取材依頼の承諾ありがとうございました。あの、こちら……」
「……ん、あぁ、この饅頭……。わざわざお気遣いいただかなくてもよかったのに。ははは、ひとたび有名になると、こういうことが続いちゃって心苦しいですね」
照れたように笑う人物――内海 睦。
外見は年相応に老けており、笑ったとき目尻に刻まれるシワの深さに、紗綾はふと自分の老後のことを心配してしまった。
テレビやテーブル、そして2脚の椅子だけが置かれているリビングに通されて、さっそく座るように勧められる紗綾。「立っていられても居心地が悪いから」という言葉を聞くまで座るのを躊躇していた彼女に振る舞われたのは、それまで飲んだことのないほど香りの高い紅茶だった。
驚いた様子の紗綾に気をよくしたようにまた微笑んでから内海は、テーブルの向かい側に座ってから「尾崎さんは、どの用件でいらしたんです?」と口を開いた。
「……え、っと…………」
「あぁ、」
口ごもる紗綾の様子で察したのだろう、内海は一瞬だけ困ったように微笑んだあと、「あの噂話のことかぁ」と小さく呟く。
「い、いえっ、そ、それも一部分ではありますけど、まずは内海先生がこの『Kという名の怪物』を執筆された経緯など、」
図星を突かれて焦る紗綾に、内海はまた微笑みかける。まだ20代後半で、年齢のわりに幼い顔立ちをしている紗綾に対して向けるその笑みは、まるでイタズラを知られて慌てふためく子を見つめる親のよう。
「いいんですよ。お宅の雑誌もいくつか拝読しましたけど、記事の多くは著名人のスキャンダラスなネタです。私もそこに選ばれたのだと光栄に思うことにします」
それに、と内海は身を乗り出す。
「あなたなら、きっと誠実に記事を書いてくださるだろうと思いましたので」
「え?」
「今、バッグから出してくれたその『Kという名の怪物』。発売からそんなに経っていないはずなのに、カページのめくり跡がすごいじゃないですか。そんなに熱烈に読んでくださる方にだったら、安心して話せますよ」
ふふ、と嬉しそうに微笑む内海。
「それとも尾崎さんは、私をここまで感激させておいて、ファンサービスのひとつもさせてくれないのか……、あぁ、これは生意気過ぎたかな」
あまりこういう機会には慣れていないので、とまた照れたように彼は笑った。その真意のほどは紗綾には計り知れなかったが、その年齢にそぐわないイタズラっぽい笑みに一瞬だけ見とれそうになって、すぐに振り払う。
訊かなくては。
その為に、わたしはこの機会を得たんだから。
息を大きく吸ってから、紗綾は内海の笑顔に甘える形で、質問を始めた。
「内海先生について、根拠のない噂話が流れていますが、それについてどう思われますか?」
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