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私が、共犯者だ。
“内海睦は、川嶋事件に関係している”。
それについて訪ねるのを紗綾が躊躇した理由は、単にそれが不名誉なニュアンスのこもった噂話であるだけではない。その噂話には、内海にとって少なからずデリケートな部分があった。
内海はかつて、実際に川嶋の起こした事件の被疑者として逮捕までされたことがあったのだ。理由は、殺害された加藤美夢と最後に会っていたのが彼で、殺害されて分解された彼女の体内から内海のDNAが検出されたこと。
当然、当時未成年であった被害者とそのような関わりを持っていたこと自体犯罪だが、何よりも彼女が殺害の直前まで性的暴行を受け続けていたらしいことが、内海への疑惑を濃厚にした。
1度は自白した内海は裁判を受け、その席で自白を撤回、また証拠にも内海を犯人とする前提のもと、恣意的に採取されたと思われるものが多数見つかったことで彼は無罪となったが、当時勤めていた商社の退職を余儀なくされたのだという。
そうした経歴を持つ内海に対して、その噂話について尋ねることは気が咎めた。しかし、紗綾はどうしても、尋ねずにはいられなかったのだ。
鳴り響くサイレンの音。
泣き叫ぶ両親の声。
物言わぬ妹。
未だ頭に焼き付いて離れない光景に、急かされるように。
「どう思う、か……。尾崎さんも調べられたと思いますが、私が彼女と関係を持ったのは事実ですからね。そこを言われると否定はできませんね」
苦笑する内海。その顔には後悔が滲んでいるように見えた。
「あの裁判にあげられたのも、金銭と引き換えに加藤美夢さんと関係を持ったことを認めたに過ぎません。もちろん、世間からすればそれ自体が攻撃するに足る事実なのでしょうけどね」
「取り調べに作為的な誘導があった……? それとも、――――」
紗綾は口ごもる。
先程の言葉のなかで、内海も嫌悪感を覗かせていた。なにか事件が起こるたびに、世間は攻撃する先を求めてしまう。内海をはじめとする被疑者の起訴や、川嶋の死刑が急がれた背景にもSNS上での個人攻撃の増加だった。
情報が錯綜し、真贋入り混じった言説が溢れ、少しでも疑わしい者、そして不仲である相手など、ほぼ誰もが攻撃し、される者と化していた。
自宅や家族構成が曝し出され、謂れのない誹謗中傷を受け続け、中にはそれを苦に命を断つ者も現れるくらいだった。
「その辺りは、たぶん尾崎さんもご存じだと思います。しかし…………、あぁ、いや」
すると内海は、ただでさえ乗り出していた上体を更に紗綾の方に近付けて、それまでの柔らかかった表情を変えて、真剣な目を向けてきた。
「そうした攻撃によって傷つく必要のない名誉を損なわれ、命をも奪われた方々には、本当に、申し訳ないと思っている」
紗綾は最初、彼が自著について話しているのだと思った。『Kという名の怪物』は、事件の記憶を鮮烈に呼び起こしていた。そのことで当時受けた傷を思い出したという意見も多数寄せられていた。
しかし。
「言わねばなるまい……私は、逃げ出した」
内海が言ったのは、紗綾の予想外だった。
「あの事件の犯人は、確かに川嶋誠哉だ。しかし、あの当時も疑問があっただろう? あの犯行全てが川嶋くんひとりで成し遂げられたものなのか、と」
心臓がはねるのを感じた。
まさか、そんな……?
いやな汗が溢れる、息が荒くなる、部屋の空気が急速に冷えていくような錯覚を、紗綾は覚えた。制止したい紗綾の心情など構わず、しかしどこか申し訳なさそうな顔を向けながら、告げた。
「私が、川嶋誠哉の共犯者だ」
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