マイノリティとマジョリティ

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 ぼくは彼女を愛していた。  触れ合えないのに。  手も繋げないのに。  彼女も僕を愛していた。  互いの姿が見えなくても。  声しか聞こえなくても。  遠距離恋愛?    そうじゃない。  そんなありがちなことじゃない。  僕と彼女は、いわば……特別なんだ。  恋愛してると自分たちだけが特別って思いがちだよね、って?  言ってればいい。  ぼくらのことをどう思うかは自由だ。  けれどもぼくも言わせてもらう。  君たちが、ぼくらの立場になったら。  きっと、狂ってしまうだろう。  すぐそばにいるんだ。  僕と彼女は、すぐそばに。  なのに……  え?  だったら「触れ合えない」とか「声しか聞こえない」とかポエミーなこと言わなきゃいいじゃん、って?  事実だから仕方ないだろう。  本当なんだ。  本当に、僕と彼女は…… *  数日後。  某心理クリニック・第一診察室にてーー 『好きな女性との間のトラブルにより、ストレス過多。極度のうつ状態』  院長がカルテに走り書きし、椅子を九十度ターンさせた。 「で、いろいろ試してみたんですね。彼女の姿を確認できるように」  院長の前には、誰もいなかった。  否、誰もいないように見える。  患者様の丸い椅子が、ポツンと置いてあるだけに見える。  しかし、丸い椅子の上方から声がした。 「はい」  少し震えた、男性の声だった。 「どんなことを試しました?」 「まずは絵の具をお互いの体に塗りました。人間の体温って意外と高いんですね。すぐに流れ落ちてしまってまた見えなくなってしまいました……」 「他に試したことは?」 「全身に包帯を巻きました。伸縮性の高い包帯だと少し動くとほどけてしまうし伸び縮みしない包帯では息が苦しくて……」  院長は、診察室の空気が震えたような気がした。 「それは難儀でしたね」 「先生、ぼくらは愛し合えない運命なんでしょうか」  室内に緊張感が走る。  院長はできるだけ穏やかな口調で言った。 「そんなことはないと思いますよ。姿が見えなければ愛せないわけではないでしょう」 「もう、いいです。結局、『見える側』の先生にはわからないですよね」  姿の見えない男性は悲しみと憤りを示して帰っていった。  院長は、からっぽの患者用椅子を眺めた。  先ほどの患者がいたときと、光景は変わらない。  誰も座っていない。  けれども彼はそこにいた。  院長はつぶやいた。 「透明人間同士の恋愛か。少し前までは姿の見えない同士、その特徴を受け入れ合って、ごく普通に恋愛が成立していたのになぁ……。『マイナー種族(マイノリティ)』の人権が認められれば認められるほど、『人間(マジョリティ)』と同じものを求めてしまう……」  院長は、ポンと両手を合わせた。 「これは次の論文に使えるぞ」
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