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【バケモノの来店】
渡辺かよ様のウェディングドレスの縫製を終え、ひと息つけました。
綺麗なプリンセスラインを描くオフショルダーのそれは、渡辺さまの意向をたっぷり詰め込んだものです。
シャンパンゴールドのサテンを、純白のケミカルレースが全体を覆っています。オフショルダーの襟や袖口にはたっぷりとプラスチックパールの刺繍をご希望でした、勿論刺繍はプロに頼みました。
ご試着の日の嬉しそうな笑顔を思い出しながら、完成したドレスをトルソーに着せます。お引き取りは5日後です、納品に間に合いほっとしました。
長いドレスの裾に皴が付かぬよう整えます。閉店時間を幾ばくか過ぎていました、早くシャッターを締めなくてはと思っていると、ドアに付いたベルが鳴って来客を知らせました。
閉店ですとお帰り頂いても良いのですが、気楽な個人経営です、お話くらいは伺いましょう。
「いらっしゃいま……」
入口を見ましたが、人はいませんでした。
ドアは開いているのに、その空間は真っ黒です。まだ明るい時間です、現にドアの両サイドにある窓には明るさがあります。何より真夜中でも商店街の照明があります、真っ暗にはならないはずなのですが。
何事か、と思っている間に、それは正体を見せました。
上下左右から光の点が集まり、真ん中の目や鼻のような位置に止まったのです。
「──ええっと……」
いえ、私はそのような体質ではないのですが──「人ならざるもの」のご来店のようです。
「あの……御用の向きは……」
恐る恐る聞いていました、その黒い物体は声を発しているようですが、私には「あー」とか「うー」のようにしか聞こえません。つくづく赤ちゃんと会話していらっしゃるお母様は凄いと思います。
「ええっと……困りましたね」
その時、黒い物体が見つめているものがあることに気付きました。たった今完成した、渡辺さまのウェディングドレスです。
「このドレスが、どうかしましたか?」
聞いたのですが、返事は「あー」「うー」です。
「あの……もしかして、ドレスがお入用ですか?」
「あー……」
「しかし、このドレスはご注文の品ですので、別のものを」
「うー……」
「え、どうしてもこれがよろしいのですか?」
「あー……」
「しかし、これは来週お引き取りにいらっしゃ……」
「うー……」
話をしながら、少しよろしくないことをしていると思い始めました。幽霊と話をしてはいけないと聞いたことがあります、仲間だと思って連れて行かれてしまうのだとか。
しかしもう随分話してしまいました、しかも「あー」「うー」だけで、かなり理解できてしまっています。私はもうあちら側の人になってしまったのでしょうか。
だとしたら、この仕事を最期のものとして成仏致しましょうか。
「判りました、お持ちください」
そう言った瞬間です、黒い物体を押し退けるように少女が飛び込んできました。
20歳前後でしょうか。冬だと言うのにノースリーブのワンピースを着ている事に違和感を感じましたが、飛び込んできたことの方が驚きでした。どうやらこの黒い存在は私にか見えないのでしょう、だから店へ入って──しかし少女はウェディングドレスを抱き締めたのです、頬ずりまでしています。
ああ、なるほど……。
「あなたがこのドレスを希望されたんですね」
この少女も「人ならざるもの」なのでしょう。少女は大きく「うん、うん」と頷きます。
結婚やウェディングドレスへの憧れがありながら、亡くなった方の魂でしょうか。その方の手助けができるなら、それもまた、本望かもしれません。
「どうぞ、お持ち帰りください」
渡辺さまには、なんとか言い訳をしましょう。まだ式は先だった筈です、間に合わせますとお約束をして──考えながらトルソーからドレスを脱がせます。
「箱にお入れしましょう」
両手で持ち上げそう言ったのですが、少女はドレスにしがみつきました。
「このままでは皴になってしまいますよ?」
少女は首を横に振ります、このまま渡せと言うのでしょう。私はそっと手を引きました、少女は嬉しそうに頬を赤く染めて、両手で受け取ってくれます。
「お幸せに」
言うと少女は首が取れんばかりに頷き、出入口に向かって走って行きます。ドア枠にはまだ黒い物体がはめ込まれています。ぶつかる、と思った瞬間、少女はその中に飛び込んでいきました。ぼふん、とでも形容したらいい音がして少女の姿はその中に消えました。
「あー……」
黒い物体の、それはお礼です。どうやら少女は全く声を出せないので、この方が通訳になっているのだと判りました。その役目をきちんと果たせているかは甚だ疑問ですが、ジェスチャーだけの少女よりは目的を達成できるかもしれません。
「いいえ、またのお越しを……」
言いかけてやめました、またのご来店は、できれば避けたいです。
いえ、どうしても言うならお引き受けいたしますが……。
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