ラッキーチャンス

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ラッキーチャンス

 東の空が徐々に白み始めた。だが、男が立っている場所はまだ暗い。そこは、郊外の森の中である。森と言っても昨今は、住宅供給の開発で面積が狭まり、すべてがなくなる前にここを保存したいと言う住民の希望から、ここは今、自然公園に生まれ変わるべく、工事中の場所である。  ここには、この男以外誰もいない。この時間にここへ誰も近づく人はいない。そんな場所に、男はふさわしくない紺色のスーツを着て、一人で立っているのである。  男はスマートフォンの時刻を見た。デジタルの数字が変わり、約束の時間になった。背後から車が近づいて来る音がすると男は振り向いた。ライトの明かりを落とした黒い乗用車が、男の側で止まり、後部座席のドアが開き、中から男が降りてきた。この男は、森の中にいる男に微笑み近づいた。そして小声で言った。 「おはよう。時間通りだね」  この男は男の友人である。友人は、片手を男の前に差し出した。その手には、黒い布がある。 「これは?」 「この布をすっぽりと頭から被って欲しい」  男が布を手に取り広げてみると、布は円錐状の形になっていた。 「これを被る? なぜ?」 「その布は目隠しさ。つまり、君にうちの社の場所を知られないためだよ。君は、うちの社にとってまだ第三者だからね」 「被ることを拒否したら?」 「ここで君は失格だ。せっかくのラッキーチャンスを潰すことになる」 「ラッキーチャンスか……」 「このラッキーチャンスを受け取るならば、君の車の鍵を僕に預けてくれ。あそこにそのままにして置くのはまずい」    友人は、男の車に顔を向けた。男は、ズボンのポケットから車の鍵を取り出すと、友人に渡し、頭からすっぽりと布を被った。 「なにも見えない」 「それでいい。こっちだ」  友人は男の手を取り、車の後部座席に座らせると車のドアを閉めた。 「幸運を祈る」  友人がそう言うと、車は走り出した。  男は、目隠しの布を頭からすっぽりと被っているため、車中の様子がわからない。だが、人の気配は感じ取れる。どうやら後部座席に座っているのは自分一人だけではないようだ。 「同乗しているあなた方の顔を拝みたいのですが、この布をとってもよろしいでしょうか?」  そう言いながら男は頭に被せてある布に手をかけた。するとすぐさまその男の手首を大きな手が掴んだ。 「よせ、それを取れば、私はあなたの頭に穴を開け、誰も来ない山中に死体を埋めなければならない。それは私の望むことではない」  男は布から手を外し黙った。  暫らく車体が激しく上下に揺れた後、滑らかに走り出した。平らで舗装された道に出たのだろう。車はそれから三十分くらい走ったように感じた。そして車が止まると、隣に座っていた人物が車から降り、男が座っている側のドアを開けた。 「着いたぞ。まだ、頭の布はそのままにしておけ。足元に注意して、車から降りろ」  男が車から降りると、車の後部座席に同乗していたらしい人物に腕を軽く掴まれた。 「今から建物の中に入る。そして、君を指定された部屋まで連れて行く。こっちだ」  男は自動ドアが開く音を聞いた。  そして、腕を引かれるままに建物内部へと入り込んで、廊下らしきところを歩かされた。間もなくすると目的の部屋の前まで来たらしかった。 「ここだ」  部屋のドアが開く音がし、腕を引かれるまま中に入った。 「私が部屋を出るまで、まだ頭の布は取るなよ。私が部屋を出たら、布を取っていい。その後は、部屋にある長椅子に座って待っていてくれ。すぐに担当の者がやってくるだろう」  男はそれに従い、ドアの閉まる音がしてから頭に被っていた布を取った。    部屋は、殺風景であった。シングルソファーが二つ、低いテーブル、三人がけのソファーがあるのみで、窓にはブラインドが下ろされていた。ブラインドを少し開けて外の様子を見ようとしたが、窓の外はシャッターで塞がれ、見えないようになっていた。男は、入り口のドアノブに手をかけて回してみた。 「動かない……。どうやらドアに鍵を掛けていったらしい……」  男は三人がけのソファーに座った。 「用心深いな……。迂闊に人を信用しないってことか。その点、私は馬鹿だった……」  男は、何かを考え込むように、うつむき加減になると、そのまま身動きもしなかった。  しばらくすると、何者かが、この部屋に近づいてくる靴音が聞こえてきた。靴音はこの部屋のドアの前で止まった。鍵を開ける音がして、ドアが開くと異様な風体の人物が二人、部屋の中へ入って来た。  二人とも、白衣姿なのだが、頭からすっぽりと黒い覆面を被っていて、顔を隠していたのである。その覆面の形が、円錐形で両目と口の部分が開いていた。だが、部屋に入って来た二人の人物の風体が、異様であったにも関わらず、男は驚く様子がない。  男は立ち上がった。異様な風体の人物二人は、男の目の前にある左右のシングルソファーの前にそれぞれ立った。一人は背が低く、もう一人は背が高かった。背の低い方の人物が男に向かって言った。 「トーマス・ウィリアムズさんですね」 「はい、そうです」  男は、答えた。 「ウィリアムズさん、どうぞお座りください」  一同は、それぞれソファーに座った。  トーマスは、背の低い人物の手を見た。黄色っぽい肌の色から東洋人であることがわかる。トーマスは、もう一人の背の高い人物の手も見た。こちらは白人である。覆面東洋人は、テーブルにトーマス・ウィリアムズの履歴書と研究レポートを広げた。 「ウィリアムズさん、私達の覆面を見てさぞかし驚かれたことでしょう」  覆面白人がそのように言うと、覆面東洋人は、書類から目を離し、トーマスを見た。 「いえ、大学時代の友人から話を聞かされていましたので、驚きはしませんでした」 「では、ウィリアムズさんは、弊社をよくご存知なのですね」  覆面白人が聞いた。 「いいえ、友人は詳しい話をしてくれませんでしたので、御社のことをよく存じ上げません」 「それが弊社の掟ですからね。ウィリアムズさん、弊社は訳あって本当の社名をどなたにも告げることができないのです。弊社が依頼者と会う際には、弊社のことを『謎の商人』と名乗っております。  我々、謎の商人が商う内容について他言は禁止ですし、私達は、依頼者や第三者に対して顔を見せることも、名前を名乗ることも禁じられています。そんな他人が聞けば、不審な会社としか思えないような弊社に、なぜ入社したいと思ったのですか」  つべこべ言わず、私を採用しろ。トーマスの目が光った。自分の研究レポートは、大学の友人を通して既に謎の商人へ提出している。この二人は、私の研究レポートを読んでいるはずだ。 「大学時代の友人と、私は、研究分野こそ違いましたが、お互いの能力を認め、よくお互いの研究の話をしました。友人は天才でした。そのまま大学に残って研究をしていれば、物理学の分野においてノーベル賞を受賞していたかも知れません。しかし、友人は天才であるがゆえに皮肉にも大学を追われてしまいました。  それから数年が過ぎて、今度は私が大学を追われる羽目になるなどと思ってもいませんでした。私は自分の研究を武器に他大学や、国立、民間の研究機関に職を求めましたが、私の研究の価値がわかる研究者は誰もおらず、不採用が続き、やっと採用されたと思いましたら、他の研究者の研究補助で、以前のように自由に自分の研究ができる訳ではありませんでした。私が途方にくれていたとき、友人が目の前に現れたのです。 『天才が集まる研究所がある。そこならば、トーマス、君の研究の価値を必ず理解してもらえるはずさ。トーマス、君の研究レポートを私に預けてくれないか』  私は、友人から、謎の商人の話を聞きましたが、あまりにも謎めいていたため、実体がある会社なのかどうか疑わしくなり、友人に自分の研究レポートを預ける気にはなれませんでした。  しかし、友人はその研究所で研究を続けているとのこと。友人は、私にその研究所の環境について話してくれました。私は、その話を聞き、友人にこの研究レポートを預けました。私はどうしても研究を続けたかったのです。この研究は、防衛科学研究所でも研究開発されていますが、私の方がはるかに性能の良いものです」 「ウィリアムズさんの評判は、私も聞いております。T大学始まって以来の天才だと。しかし、大学側のあなたへの扱いは、酷いものでしたね」  
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