怪物にしてしまった

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怪物にしてしまった

 これは、私が住んでいる団地の住人とのエピソードである。  実を言うとこの話は、私たちのしたことが警察や学校の先生をも巻き込む騒動になってしまったため、まとめるか迷った。  しかし、この話をすることで、怪物とは誰なのかを、私は今一度自分に問いかけたいと思った次第である。  私の団地は、出入り口の外玄関が五つ、それぞれ各階に二部屋が並ぶ、計五十世帯が暮らせる建物である。  一番左の五階部分、仮に511号室としよう、この部屋に住むサユリさんという女性は、九十歳近くのお母さんと二人で暮らしており、本人は60代くらいで、私はサユリさんについてその風貌とある噂くらいしか知らない。  これは今から五年くらい前の出来事、私が中学生、弟が小学高学年のときのことだ。  サユリさんは当時から有名人だった。  というのも、とうに五十は過ぎているにもかかわらず、まるで少女が着るようなフリルやリボン、花柄の付いたワンピースを好んで着ており、夏には麦わら帽、冬にはポンポン帽を被って外出する。  サユリさんは銀髪のベリーショートで、顔つきや仕草は年齢よりはるかに若く見えはするも、少女と呼ぶには無理がある。  その無理さと滑稽さに、サユリさんを知る人達は陰で彼女のことを笑いの対象にしていた。しかしながら、サユリさんは元々気さくな人柄で近所の人への挨拶も自分からするような人物だったので、表面的には周りの大人たちと上手くやっているように見えた。  彼女は子どもが好きらしく、私にも、 「理美ちゃん、おっきくなったねー、可愛いねぇ」  と必ず声を掛けてくる。  小さい頃はそんなサユリさんに懐いていた私も、大きくなるにつれて彼女が人とどこか違うと感じ始め、必要以上に馴れ馴れしい彼女を少しずつ疎ましく思うようになっていた。  同じ頃、こんな噂が流れた。  サユリさんが同じ団地に住むある青年に恋をして、ストーカーまがいのことをしているというのだ。  その青年は、サユリさんと同じ玄関の住人で、未婚、両親と兄弟と住んでいる。青年への度重なる迷惑行為に対して、その両親は激怒し、サユリさんへ直接抗議を行ったばかりか、周囲の人にも愚痴を漏らした。  そういうわけで、サユリさんは今ではすっかり変人扱いされていた。  それからほどなくして、私の弟から妙なことを聞いた。  サユリさんは、あの青年に失恋した後、なんと弟の同級生に恋をしたというのだ。  その男の子は、団地の住人ではなかったが、弟と仲が良く、よくうちに遊びに来ていたため、サユリさんと面識があったようだ。  弟の話によると、その隆文という友人の自宅を、どうやって調べたのかポストに直接投函したラブレターが毎日のように入っており、中身を開封すると、熱烈な文章とともに、白バラの花びらが一枚、必ず入っているそうだ。  隆文は、気持ち悪いのですぐにゴミ箱へ捨てたが、それはまるで戻ってきたかのように毎日同じラブレターがポストに入っているとのこと。  サユリさんからの迷惑行為はそれだけでは留まらず、下校時間に合わせて団地の外玄関に立ち、隆文が弟の部屋に遊びに来るのを待ち伏せしているのだった。 「お帰りなさいが言いたかったの。」  屈託なく笑うサユリさんへ、弟と隆文は直接、 「気持ち悪いから、止めろ!」  と伝えた。  サユリさんは無表情で黙って聞いていたそうだ。  それからしばらくは、隆文はうちの団地に遊びにくることを避け、登下校の時間帯もまちまちにし、サユリさんに遭遇することを防いでいたのだが、すると今度は、家のすぐ傍に立つようになった。  この頃ようやく、隆文は両親に相談し、それを聞いた両親がサユリさんに直接抗議する……、という、前の青年のときと同じ展開になった。  サユリさんは、隆文へのストーキングを止めたようで、しばらくは平穏な毎日が続いた。  私は、弟から逐一サユリさんの行為を聞いていたため、外でサユリさんを見かけても、なんだかムカムカしてくるので軽く会釈するだけでやり過ごすようになった。 「理美ちゃーん、こんにちは。」 「理美ちゃーん、あら、今日は元気ないわねー。」 「あれー、聞こえなかったのかな。こんにちわー、理美ちゃーん。」  サユリさんの甘ったるい「理美ちゃーん」が耳から離れない。  私も、弟も、隆文もその他の子ども達の間で、サユリさんという存在が、ただの変人から忌み嫌う恐怖の対象へと変化する。私達の想像力にはもう限界だった。  弟や隆文の小学生グループの間では、サユリさんを怪物女と呼び、制裁を加えようとする動きが進んでいた。  最初は、道ばたでサユリさんを目撃した子ども達が、サユリさんに罵声を浴びせたり、バッドを持って追いかけて脅す程度だったが、その行為は徐々にエスカレートしていった。サユリさんという怪物は、サユリさんと直接関係ない子ども達の間でも噂になり、その内容はもうサユリさんを超越して彼女自身ではなくなっていた。  登下校に児童、特に男子を狙う猟奇的な怪物。そいつに目をつけられるとどこまでも追いかけられ、捕まってしまう。回避方法の呪文やアイテムまで、話は物凄い早さでどんどん脚色されていった。  中にはおもしろ半分で、何もしていないサユリさんへ向かって石を投げつけたり、殴ったりする子もいて、私はさすがにやり過ぎだと感じたし、私が通う中学の先生に対処について相談しようかとも考えていた。  そんな矢先のあの大変な事件も、サユリさんがもう二度と隆文に構わず目の前に現れなければ起きなかったのかもしれない。  サユリさんは、隆文を諦めたわけではなかった。そして、とうとうあの日、よせばいいものを、彼女は学校の校門前で堂々と隆文を待ち伏せするために現れたのだった。 「隆文くん……、ずっと待ってたのよ。」 「な、なんだよ、いい加減にしろよ!」  隆文は一気に頭に血が上ったみたいに攻撃的な口調で返した。 「みんな、私に酷いことするのー!私のこと、怪物女って呼ぶの。ねえ、私、怪物じゃないわよね?」 「……。」 「ねえ、私、怪物じゃないわよね?」 「……お前は気味悪い怪物だー!」  隆文の中でプツンと何かが切れた。無意識に近くにあった石を掴み、サユリさんへ投げつけていた。 「わぁっ……。」  誰ともなく、外野がざわめいた。隆文の投げた石はサユリさんの額に命中し、血がどくどくと流れていた。  サユリさんは静かだった。それから少しして、人間とは思えない速さで隆文に向かってきて、恐ろしい形相のまま彼の上に覆いかぶさった。 「あなたまでそう言うんなら、望みどおり怪物になってやるからー!!」 「はなせ、はなせー!」  隆文は叫び、必死に抵抗したが、サユリさんは両手で隆文の左右の耳を掴み、力任せに引っ張った。  隆文の耳は根元に強い力が加わったために亀裂が入り、赤く滲んでいる。サユリさんはその格好で隆文を数回上下に揺さぶった。頭が頼りなげに付いてきているが、隆文は焦点が合っていない。  私の通う中学校は、この小学校の隣にあるため、何か騒動が起きているとのことで駆けつけると、すでに人だかりができており、教師と学校側が呼んだ警察もいた。  サユリさんは子供のように泣きじゃくっており、 「私は、怪物だから……。」  と呟いていた。  二人は引き剥がされ、隆文は教師に、サユリさんは警察に保護された。  サユリさんは、怪物になりたくなどなかったはずだ。けれど、子どもたちが彼女を恐ろしいモンスターにしてしまった。  あの瞬間は、今までふざけていた子らも恐怖に怯えているのがわかった。  警察に連れられていくサユリさんは、魂が抜けたように小さな背中をしていた。  私は堪らなくなって、サユリさんに向かって謝った。 「サユリさん、ごめんなさい。」  弟にも謝らせた。 「怪物女なんて言ってすみませんでした。」  サユリさんは振り向かず行ってしまったので、どんな心情だったのかはわからない。  それから、隆文の怪我は大したことはなかったため、大人たちに事の次第を全て話し、やり過ぎた行動は反省させれるとともに、サユリさんに対しては隆文への迷惑行為を一切やめるよう警告が入った。  サユリさんの姿はしばらくの間見なかったが、数ヶ月後にはまたいつものように外で見かけることがあった。 「理美ちゃん、こんにちはー。」 「こんにちは。」  相変わらずの甘ったるい挨拶の後、るんるん跳ねるようにどこかへ歩いて行ったサユリさん。あの事件のときの怪物の形相はもうすっかり抜け落ち、乙女チックのサユリさんだ。  もしかするとサユリさんはまた懲りずに新しい恋をしているのかもしれない。  そして、どうしてサユリさんの恋愛対象はいつもうんと年下なんだろうか。年相応の相手を探せば案外、恋も成就するんじゃないかな。  私は女でよかったとつくづく思う。  あんな人に愛情を向けられたら、本当に面倒くさいことになる。それでも怪物は去った。そう思っていた。  そして、最近、自分家のポストを開くと、悪趣味なピンクの封筒が入っていた。  信じたくはないが、宛名は弟、送り主はサユリさん。  また一波乱ありそうだ。  私は手紙を置き去りにし、ポストを閉めた。
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