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1.
放課後を知らせるチャイムが鳴り響き、教室内は賑やかになった。
凪咲は一人、誰とも口をきかずに鞄に教科書をしまっている。
クラスメイトは誰もが、まるで凪咲の存在に気が付いていないかのように、それぞれの会話に夢中になっている。
この賑やかな空間に居心地の悪さを覚えて、凪咲はさっさと教室を後にした。
『名波凪咲です。沖縄から転校してきました。……よろしくお願いします』
そんな挨拶をしてから、二週間。
凪咲はまだ、東京の高校という新しい環境に馴染めないでいた。
南国育ちの、のんびりとした性格の凪咲。そのためか、自分から積極的に声を掛けるのが苦手だった。
凪咲以外のクラスメイトは皆、既に見知った友達同士。既に友人関係が築かれた状態。
そこに、どう入り込んだらいいのか。誰かが声を掛けて、友人の輪の中に招いてくれないか。
そんな期待を持ちながら、下駄箱の前で今日も一人。
「沖縄に帰れば……知ってる人も、いるのにな」
東京には、両親の他に見知った顔は無い。
転校してきて二週間。凪咲は、早くも生まれ育った沖縄の海が恋しくなっていた。
そうは言っても、両親を東京に残して凪咲一人だけ沖縄に戻れるはずもない。
明日こそは、誰かが話し掛けてくれるのを期待しよう。
そんな思いを抱きながら、凪咲は校舎から外へと出る。
目の前の校門をくぐろうとしたところで、ハタと足を止めてしまう。
小さな一匹の犬が、校門から学校の敷地内へと入ってきたからだ。
「えっ……ワンちゃん?」
普通、学校で見掛ける動物ではない。その珍客の登場に、凪咲も目を丸くする。
これが牙をむき出した大型犬であれば、悲鳴を上げたり逃げ出したりするのが当然の反応だろう。
凪咲の前に現れたのは、いかにも無害な小犬。
凪咲の足元をクルクルと回ってみせる様子も、思わず微笑んでしまう愛くるしさだ。
「ふふっ……どこから来たの? イケナイ子ね」
凪咲がしゃがむと、小犬はキチンとおすわりして凪咲を見上げる。
舌を出してる顔が笑っているように見えて、凪咲もますます微笑んだ。
黒い毛並みはツヤがあり、野良犬ではなさそうだ。
子供扱いしたが、小型犬なだけで、これでもう成犬なのかもしれない。
顔立ちも整っており、オスならハンサム、メスなら美人と呼べそうだ。
「ふふ、可愛いなぁ」
小犬の頭をよしよしと撫でながら、素直な感想を口にする。
動物相手であれば、たやすく声を掛けて触れられるのに……そんな考えが、少しだけ胸を刺す。
小犬の頭を撫でる凪咲の手が止まると、小犬はサッと凪咲の前を離れていった。
しゃがんだままの凪咲の横を通り抜け、後ろの方へと駆けていく。
続いて、大きな歓声が一つ上がった。
「うわっ! お前、人懐っこいな~!」
凪咲が振り返ると、小犬は男子生徒の両手で包まれるようにガシガシと撫でられていた。
小さな尻尾をパタパタと振っているのを見ると、誰にでも愛想を振りまくんだと肩をすくめる。
男子生徒は小犬をひょいと持ち上げると、凪咲に向かってニコッと笑った。
「あんたの犬か?」
「う、ううん……! さっき迷い込んできたの」
「そっかぁ! お前、迷子だったのか~」
自分の顔の近くまで小犬を持ち上げて、無邪気に話し掛ける男子生徒。
その仕草から凪咲は、心優しい人柄が表れているという印象を受けた。
男子生徒は小犬を抱きかかえたまま、凪咲へと近付いてくる。
黒い毛をかき分けて、小犬の首輪に付けられた迷子札を凪咲と一緒に覗き込んだ。
「えーっと、住所は……あぁ、あの辺りかな?」
迷子札に書かれた住所は、当然ながら凪咲には見当が付かないものだった。
男子生徒の方は、どうやら思い当たる節があるようだ。
迷子の小犬を安心させるように、ニッコリと微笑み掛けている。
「よーし、それじゃ家まで連れてってやるからな!」
それから凪咲へと視線を移す男子生徒。
少しだけ照れくさそうに目を細めて、凪咲に声を掛ける。
「じゃ……一緒に行こっか?」
「えっ……あ、うん……」
男子生徒の誘い掛けに、思わず応えてしまう凪咲。
少し気後れしたものの、迷子の小犬が気になるのも確か。
きちんと飼い主のところへ帰るまで、見届けたい気持ちもあった。
それに、誰かに声を掛けてもらえるのを待っていたのも事実だった。
一匹の小犬をきっかけに、東京で最初の友達が出来るかもしれない。
そんな期待も込めながら、凪咲は名も知らない男子生徒と並んで校門を出て行った。
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