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 うんうんと大きく頷く梨郷の前髪が揺れる。そして高梨は、ついさっきの梨郷の勇姿を思い出していた。懸命に明鈴のことを庇う梨郷は、端から見るとひどく挙動不審で、気味悪がられても仕方のない状態だった。それでも、気持ちは伝わったのだ。伝える。それは、漫才の基本だ。言葉が多少足りなくても、人は声のトーンや、表情や仕草で、相手がなにを言わんとし、なにを伝えようとしているのかを感じとる。もしかしたら梨郷は、自分が思うよりずっと、言葉だけではなく表情や仕草で雄弁に語ることの出来るポテンシャルを、まだまだ秘めているのかもしれないと高梨は思う。 「こちらです」  スタッフの声にハッとして高梨が前を見ると『虹色キャラメル様』と書かれた紙が目に入り、次いで心の準備をする間もなく、スタッフが打つノック音が耳に入る。今さら、本当に今さら無鉄砲にも程があると、高梨は暴れる心臓に顔をしかめた。 「どうぞ」  女性の声がし、スタッフがドアを開き、高梨に目配せをする。 「失礼します!」  覚悟を決め深く頭をさげて中に入ると、ステージ衣装に身を包んだ中島が、なにやら物言いたげな顔で笑っていた。 「どうしたの? 時間、あんまりないから用件だけ簡潔にお願い出来る?」  雨野は、対応は任せたとばかりに二人には目もくれず、ぶつぶつとセリフを繰り返している。それもそのはずで、もうライブ開始十分前だ。
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