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弐
「ねぇ。由良くん」
誰も居ない。正確には僕とショートカットの女子しか居ない教室で、彼女は僕に話しかけてきた。
それは僕がクラスに影が無い人間が居ると気付いてから、一週間目のことだった。
僕をジッと見つめるショートカットの女子は枯尾花舞子という。
「なに。枯尾花・・・さん」
「枯尾花さん。なんて他人行儀ね。呼び捨てでいいわ。クラスメイトじゃない」
「いや。でも、枯尾花さんも僕のことを由良くんって呼んだじゃないか」
「そんなに親しくもないのに、人を呼び捨てにするほど礼儀知らずじゃないのよ。わたしは」
「自分が呼ばれるのはいいのか?」
「ええ。勝手にわたしのことを呼び捨てにすることで品位が下がるのは、わたしを呼び捨てにした人物だもの。その点に関しては、由良くんは品位があると自信を持っていいわ」
「それはどうも。でも枯尾花さんはクラスメイトで呼び捨てにしないのは、他人行儀とも言ったぞ」
「そんなこと言っていないわ。わたしは由良くんにわたしのことを呼び捨てにしていいと許可を出したのよ。クラスメイトだから。というのは建て前。社交辞令よ。いくらクラスメイトでも呼び捨てにされたくない人物はいるわ。例えば・・・」
「具体的な固有名詞は上げなくてもいい」
枯尾花が誰を気に入っていて、誰が嫌いか。そんなことは僕にはどうでもいいことだ。別段興味もない。
「あら、そう。知りたがると思ったのだけど。由良くんはその辺が他の噂好きの、自分と他人を比べて一喜一憂する生徒達とは違うのね」
枯尾花という女生徒は人嫌いなのだろうか。言葉にいちいち棘がある。
「僕の場合はあまり他人に興味がないだけだよ。それより、枯尾花さん・・・」
「由良くん。わたしがわたしのことを呼び捨てにしていいと許可を出してから、あなたは三回わたしを『枯尾花さん』と呼んだわ。それは、わたしがあなたと少しでも打解けようと、フレンドリーに接しようとした努力を無にする行為なのだけれど。あなたは、わたしと仲良くするのが嫌なのかしら?」
「いっ、いや、決してそんなことは・・・」
いきなり、「呼び捨てにしろ」と言われて。はい、そうですか。とできるわけがない。僕はそれほど大胆な性格じゃない。
世間一般でいう根暗。若者一般でいう陰キャに分類される人間だ。
「なら、次にわたしのことを『枯尾花さん』と呼んだら、シャーペンで刺されても文句はないわね。そボールペンもあるけど。どっちがいいかしら?」
枯尾花はポケットからシャーペンとボールペンを取り出して、ペン先を僕の目に向けた。
こいつ。刺すって、目を刺す気なのか!?
「そこは文句が出るところだろう!どっちも嫌だよ!丁寧に呼んでいるのにどうして刺されないといけないんだ!」
「あなたがわたしの好意を無視するからよ。由良くん」
僕は枯尾花の好意を無視したりしなんかいない。むしろ、好意に好意を返そうと思ったからこそ、「―さん」と敬称を付けたのだ。
「人のことを考えて。というのは逆を返せば、自分がしたいから。となるわ。わたしはわたしがあなたに呼び捨てにしてもらいたいから、許可したのよ。自発的に。主観的に。わたしの気持ちがわかるかしら。由良くん」
わからん。
人の気持ちがわからない。というより、枯尾花の気持ちがわからない。枯尾花が何を考えているのか、わからない。
「まあ。わかろうが、わかるまいが、どっちでもいいわ。由良くん。たったいまからわたしのことは『枯尾花』と呼びなさい。もしくは『ご主人様』でもいいわ」
「フレンドリーとか言って、どうして下僕扱いになるんだ!」
「こういうのが好きなのかと思って」
「好きなわけあるか!」
「そうなの。いつも女の子を卑下た目でみているから、虐めてもらうのが好きなのかと思ったわ」
僕はそんな女子からそんなイメージで見られていたのか。
「まぁ。由良くんの性癖なんて、どうでもいいわ」
枯尾花はこの話はお終い。とばかりに手にしたシャーペンとボールペンを机に放り投げた。
僕は枯尾花に言われたとおりにすることにした。それがいちばん面倒くさくなさそうだ。
「それで・・・枯尾花。僕になんの用があるんだ?」
「なにを言っているの。由良くん。用事があるのはあなたの方でしょう」
「僕が枯尾花に?どうしてそうなる。放課後に残れと言ったのは枯尾花の方だろう」
「いいえ。用があるのはあなたの方よ、由良くん。だってそうでしょう。朝のホームルームも、授業中も、休み時間も、清掃中も、帰りのホームルームのときも。あなたはずっとわたしを見ているじゃない。なにか用があると思って当然だわ」
「そんな・・・」
「つもりはない?でも、わたしは常にあなたの視線を感じていたわ。何度か。いいえ、毎日のように目が合っていたわ。しらばくれてもダメよ。事実だもの」
じゃあ、なにか。
僕に声をかけたのは。
「放課後に教室に残って」と言ったのは、枯尾花がわざわざ僕のために枯尾花と話す機会を作るため。そう言いたいのか?
でも僕には枯尾花に対して気になることがあっても、そのことについて枯尾花と話したいなんて思ったことなんてない。
「別に僕は枯尾花に用なんてないよ」
「あら。そうなの。てっきり由良くんはわたしに愛の告白がしたいものだと思っていたのだけど」
「愛の告白って・・・それこそあるわけないだろ!」
「それは残念ね。少し期待したのだけど。ああ。残念」
ちっとも残念に聞こえない口調で、枯尾花は言った。
僕が告白なんてあり得ない。
女の子が苦手なのに。恋なんて、やりかたも知らないのに。
「あんなに熱い視線をわたしに送っておいて、思わせぶりなのね。由良くんは」
「思わせぶりもなにも、枯尾花が勝手に勘違いしただけだろう。僕は枯尾花のことをそんな風に見たことははい」
「そんな風って?」
「だから、その・・・」
「胸を触りたいとか、匂いを嗅ぎたいとか、キスしたいとか、裸を見たいとか、あわよくば筆おろしをしたいとか。そういう風にってこと?」
「女の子が筆おろしとか言うな!」
「別に胸くらい触ってもいいのよ。あまり大きくはないから、期待はしないでね」
枯尾花は、「はい」と言って胸を張って乳房を強調した。
「はい。じゃねぇ!」
こいつには羞恥心がないのか!
「顔が真っ赤よ。リンゴ病かしら?ああ、由良くんは中二病だったわね。僕は選ばれし者だって、恥ずかしい勘違いをしているイタイ人だものね」
「中二病は一年前に完治したわ!っていうか、イタイ人ってなんだよ!なんなんだおまえは。さっきから!からかうような事ばかり言って!喧嘩売ってるのか!」
「千五百円になります」
そう言って枯尾花は僕に掌を差し出す。
「いや。買わねぇから!」
「じゃぁ、千円」
「値引きしても買わんわ!」
「格安なのに・・・」
枯尾花は舌打ちして、手を引っ込めた。
そして、今度は大きくため息をついた。
「わかっているでしょう。由良くん。わたしはあなたが言いたいことが言えて訊きたいことが訊ける場をあなたに与えているのよ。せっかくのチャンスを、チャンスだとわかってることを、自分の手で不意にするのは阿呆がすることではなくて?あなたは阿呆なの?」
「・・・言いたいことをサラリと言ってくれるな。枯尾花は」
「そうよ。わたしは言いたいことを言うし、やりたいことをやるの。わたしは自分に嘘をつかないし。自分を偽らない。由良くん。あなたと違ってね」
言葉を返せなかった。僕は自分に嘘なんてついていない。と言い返せなかった。
僕が黙ってしまうと、「話は終わりね」と枯尾花は机に放り投げたシャーペンとボールペンを拾い上げた。
そして、シャーペンだけを僕の胸ポケットに刺すと、「あげるわ。今日の思い出に」と笑った。
「じゃあね。さようなら」
枯尾花は教室の出入口に足を向けた。
そして、教室から出る間際にこう言った。
「ああ。そうそう。わたしは吸血鬼じゃないわよ」
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