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俺が小脇に抱えるバケットには、パンやら、野菜やら、果物やらが収納されている。
俺たちは目的地の最後である、雑貨屋にて蝋燭を買いに立ち寄った。
この雑貨屋は市場から少し離れた住宅地に面する所にあり、近くには、王の威厳を高めるため作られた噴水が設置されたている公園がある。
何故、遠回りしてまでこの店で蝋燭を買うのかと言うと、ここの蝋燭は安いからだ。
ウォルターは収入のほとんどを新たな錬金法の開発へと注ぎ込む、故に我が家計は万年芳しくない。そのため安い蝋燭を求めここに来るのだ。
店主曰く、安さの秘訣は公にできないルートで仕入れているかららしい。
今日もウォルターが居るというのに、耳打ちでその話を自慢げに語ってくれた。店主が人目を憚らなかった理由は、恐らくウォルターがとてつもなく上の空だったからだろう。
俺が市場でウォルターの好きな果物を値切ったり、蝋燭の質を品定めしている間、ずっとウォルターは俺の後方で難しい顔をしていた。
まぁ、どこに行こうとやることは変わらんのだろう、彼は錬金術に一途なのだ。
そうして、艶の良い蝋燭を手に入れた俺は、ウォルターの肩を叩き、店を後にする。
辺りは夕闇と言うべきであり、煉瓦造りの屋根の上に、黒に溶けるオレンジが紫のコントラストを作っていて、俺はポツッと呟く。
「綺麗だ」
すると、ウォルターも、
「同感だ、久しぶりに外に出た甲斐がある」
など、らしくないことを言う。男二人が空を眺め、家路を歩くとは滑稽なことだろうが、まぁ、今日の夕焼けは絵画師を呼びつけて模写させたい程美しかった。
そんなマヌケな姿で恍惚と空を見上げていると、急にウォルターの頓狂な声と、甲高い女声が聞こえ、後。ドサなどと言う物音が俺の鼓膜を叩く。俺は咄嗟に音のした方を向くと。
そこに、えらい美人の少女が居た。
どうやら彼女はウォルターとぶつかったらしく、ウォルターはひるみ、後退。彼女は尻餅をついていた。
「ごめんなさい、考え事をしていまして」
彼女は口に含めば即座に無くなりそうな声で、謝罪をする。いや、ウォルターもバカみたいに空を眺めており、同罪であってしかるべきだ。
しかし、ウォルターは罪を認めないだろう、それどころか、自分と接触したことに憤怒する筈だ。過去にも似たような事例があり、その時も当たってしまった女児に向かい、注意力散漫だと文句を言っていた。
ところが、今日の彼は彼らしくなく。聡明な目は、まるで顕現した神様を目の当たりにしている敬虔な信徒の如くうろたえた瞳をしていた。
彼女も、大袈裟に狼狽するウォルターを訝しく思ったのだろう、狙ったのでは無いのだろうがあざとく小首傾げる。
「おい、どうしたんだ? ウォルター、彼女が謝ってんだろ、何か返せ」
俺の言葉に僅かに反応したウォルターは、だんだんと自我を取り戻し、空咳を吐き、言う。
「わ、悪い。すまん」
素直に謝った。珍しい事象に珍しい事象が上塗りされる、これは明日、今世紀稀に見る豪雨かもな。
更に、ウォルターは、何故か小刻みに震える手を少女の前に差し出す。ウォルターらしからぬ行為だ。
彼女は少し困惑しながらも、ウォルターの手を取り、立ち上がる。
「あ、ありがとうございます。ではっ」
深々と頭を下げた彼女はそそくさと、俺らの横を通過して、何処かに行ってしまった、甘い匂いを残して。
その後ウォルターの様子がおかしい。いつもなら、即座に自室へと篭り、出掛け中浮かんだアイデアの実験を始めるのだが、今日の彼は動力を失ったよう、応接間のソファーに倒れ込む。毒でも盛られたのか?
そんなウォルターは俺の知っているウォルターではない、もし、彼に何らかの変革が為されたのであれば、そのタイミングは、あの少女と出会った時以外考えられない。
想定される選択肢は二つ。少女とかち合った瞬間、衝撃で頭のネジが二、三本行方不明になったか。もしくは少女に恋をしたか……
だが、後者は考えられない。ウォルターに限ってそんなことはない筈だ。スクールの時、研究の邪魔だとのたまい、これでもかと女を振った彼であるぞ、よもや、そんなことがありうるなら、いよいよ明日天変地異が起こっても過不足ない。
「レザール、私は恋をしたかもしれん」
残念ながら、明日世界が滅びるようです。今のうちに家族の元へと急ごう。と言うのは冗談だが、ウォルターの発言は洒落にならん。
この発言が出たのは、戸惑いながらも、俺が夕食の用意をして、腑抜けのウォルターを食卓へと移動させ、二言三言、言葉を連ねての発言だ。
それまでの紆余曲折は以下である。
食卓には俺が作ったスープとパンが並べられていた。ウォルターはpuppeteerのいないマリオネットの如く、天板に頬を密着させ、
「私はおかしくなってしまった、環境は昨日と寸分も違わぬものなのに、私は頭がボーとして。何も手がつかないのだ、食欲もしかりである」
と、力なく呟く。
「何かの熱病を患ったみたいだ。私はこんなにもむせ返るような心持ちを体験したことはない」
など、その症状が具現する病気は、恐らくは恋病だろう。あのウォルターが恋とは、同窓に教えたら、それだけで三時間ほどは談笑できるに違いない。
しかし、まぁ、ウォルターが惚れるほどあの少女は美しかった。それこそ、夕日と彼女をどうにかして保存しておきたく思うくらい。
知的で活発そうな瞳に、蜂蜜を塗りたくったような髪、マジパンみたいな太腿。どうも筆舌し難い。踊り子や歌い手などの妖艶な雰囲気ではなく、彼女は何の飾り気もなく言えば地味だが、そう、荒野に咲く一輪の花の如く、凛としていた。
そんな、雰囲気を垂れ流す彼女だ。大抵の男は彼女とすれ違うたび仄かに恋心を抱くだろうし、それは色恋を拒絶していたウォルターもしかりだった。
「レザール、私は恋をしたかもしれん」
俺はなんて返せば良いか分からなかった。それまで、恋などは愚鈍な連中の戯論だと罵り冷ややかな目で見つめていた彼が、一目惚れなどと言う出会いで初恋を発露させたら、古くからの仲、どう対応すれば良いか、まごつくのは致し方ない。
しかし、この恋、ウォルターには悪いが実る確率は第三王子が次期国王に選ばれる確率と同等。つまりはゼロに等しい。
第一、彼女は街でたまたま、偶然出会っただけ、名前も年齢も知らない。んな彼女に再アプローチのチャンスなど無いに等しい。王都には何万もの民が暮らしているし、物流地でもあるから人の出入りも果てしない。
その旨をウォルターに伝えると、
「それでも、私は彼女のことを考え続ける、何事にも手を付けずに、それは確実だ」
何言い切ってるんだ! それでは俺たちのおまんまが食いっぱぐれてしまうではないか。しかも、断言した時の表情、何すました顔で言ってんだ。しかし、
俺は果てしない溜息を吐いた。
「お前の初恋、成功させないとどうやら、こちらも迷惑を被りそうだ。で、何をすれば良い?」
先述の通り、現在の王国では魔法と錬金術とで対立が起きている。そして、錬金術勢力の要であるウォルターは非常に重要なカードだ。そんなカードゲーム大富豪における二のような彼が革命を起こされた後のよう、最弱カードになるのは絶対的に阻止するべき事柄。
ここは、いち早くこの恋に何らかの結末、つまるところあの少女をウォルターの伴侶とさせ、彼の錬金術への直向きな思いを再燃させなくてはならない。
それが一番の解決策だと俺は判断した故の発言である。それはローカルルールだ、などと言う異議は一切受け付けない。
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