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ウォルターと少女の錬金術会合は三回目を迎えた。
通例通り二人は噴水公園で落ち合い、書店に入り最新の錬金術関連の論文を読み、議論を交わしていた。
いつもなら、レストランに向かい、ディナーを食べて解散なのだが、今日は噴水公園の広場で俺が作って持たせたサンドイッチを食べるらしく、二人は戻ってきた。
ウォルターは初回からは見違えるほど身嗜みに気を使うようになり、それと反比例して研究所内部はウォルターの買った背広などが、散乱し見るに耐えない。いつかあの少女をいきなり研究所に招いてやろう。
そう言えば、俺たちは未だあの少女の名前を知らない。俺はウォルターの命を受けて、二人を観察しているのだが。ウォルターは毎度舞い上がり、自己紹介の機会を損ねている。
まぁ、ウォルターにとって名前など些事な事柄なのだろう。
公園は段々と暗くなり、ランプ灯が点火せられ、温かな光が王都を包み込む。近隣の住宅地からは夜ご飯の匂いが垂れ流れてきて、腹が減るな。
俺はウォルターたちから数十メートルほど離れたベンチにて、新聞を読んでるフリをしながら、干し肉をかじり、様子を伺っていた。
二人はベンチに座した後、ピクニックバスケットを広げ、中から野菜サンドやフルーツサンドなどを取り出し、冗談を交わしながら食す。
「そう言えば、私はまだ君の名前を聞いていなかった」
うまい具合のタイミングでウォルターは質問する。
「私はナタリータンブレアです」
少女は答えた。はてな、どこかで聞いた名前だ。
しかし、まぁ、たった今人生を謳歌している男女の見本のような風体だ。爆ぜろ! なんて言いたくなるが、うん、ここは素直に友達の幸せを喜んでおこう。
「とても美味しです」
「そうか、あー、これは私が作ったのだ」
作ったのは俺だが。前言は撤回すべきか?
その時、一陣の風が吹き荒れ、バスケットの中に入っていたナプキンが虚空を舞う。
それを追いかけようと、ウォルターはよてよて歩き始め、木の根に足をかけ転んでしまった。
俺は咄嗟にウォルターに近づこうと走り寄るが、今は少女がいることを思い出し、木の影に身を隠す。
少女はウォルターが転倒したことに気が付き、パタパタ走ってきて、患部である膝を見るため、裾をたくし上げる。
膝は擦り剥き出血しており、非常に痛々しい。
「大丈夫ですか?」
「これしきの傷、なんと言うことはない」
「傷口からばい菌が入ったら大変です、私が今から治します」
「治すたって、薬でも持っているのか」
「いえ」
少女は言うと、患部に手をかざしボソボソと何かを唱える。すると、彼女の手がほんのり緑色に発光し、傷口は元の何ともない膝小僧に戻った。
それを見たウォルターは、
「貴様、魔法使いか?」
「っえ、はい、そうですけど……」
「私に触れるな!」
ウォルターは忌み嫌っていた魔法を、自分に使用されたことに激情し、怒声を放ち、少女を突き飛ばす。台無しだ……
「私は錬金術の権威、ウォルター・アルントだぞ、魔法は大嫌いだ、だから、魔法使いのお前も大嫌いだ!」
「っえ」
「ここには二度と近づくな、私にもだ!」
流石に俺は止めに入った。
「おい止めろ、ウォルター、正気を取り戻せ!」
いきなり出てきた男に困惑したのだろう、ナタリーは質問する。
「貴方は?」
「俺か? 俺は、コイツの友達? みたいなもんだ、すまないな、コイツは魔法が嫌いなんだ」
「嫌いなんて言葉で表せて良いものか!」
ウォルターは狂人のように暴れたが、俺の善戦により、何とか落ち着きを取り戻した。
ナタリーはいつの間にか何処かへ行ってしまったようで、正に修羅場である。
と言うか、ウォルターの魔法嫌いは子供がピーマンを嫌うレベル、ではなく、発狂するレベルで嫌悪を抱いていたらしい。
俺は廃人のように落胆したウォルターを担ぎ、ポツポツ降り出した雨に濡れながら研究所に戻った。
そして、たった今思い出したのだが、ナタリータンブレアは魔法学校の主席生徒であり、新聞でも度々取り上げられていた。ウォルターは魔法関連の記事を読まないので知らなかったのだろう。
雨音は次第に激しくなる。
しおれたウォルターが、その後初めて発言したのは、またも食卓にて脱力の限りをしている際であった。
「ああ、私は……私はなんてことをしてしまったんだ……」
呵責の渦中に身を浸すよう、ウォルターは窓ガラスを叩く水滴の音よりもか弱く、しおしお言った。
「あんなことを彼女にしてしまったんだ、もう諦めるしかないだろう、残念ながらな」
男であるウォルターが少女に手をあげるなど断じて許されない。たとえ、どんな理由があろうとも。
ウォルターの胸に絡みついている後悔が、彼の贖罪だろう。
「そうだ、私はなんて酷いことをしてしまったのだろうか……くそ」
まぁ、この失恋を乗り越えて、みんなは成長するんだ。それはウォルターもしかりである。
「ああ、人はなんと愚かなのだろう、失ってからその価値に気付くとは、至言だ。また、ナタリーに会いたい、ナタリーと……」
大粒の涙がウォルターの頬を伝う。たまりにたまった悔しさが、堰をきったみたく、涙に変わって、ウォルターはしくしく泣き始めた。
嗚咽するウォルターは初見だった、今まで錬金術に一途な冷酷機械人間かと思うほど無血な振る舞いをしていたのに。
「私はナタリーが好きだ。また会いたい」
「しかし、彼女はもうあそこには来ないだろう、君がもう近づくなと言ってしまったから」
「それでも、一度で良い。ナタリーとまた懇意になってくれと言う訳ではない、ただ、会って、一言、謝れればそれで良いんだ」
しかし、ナタリーと再会をまみえるなど、前述の理由で厳しいだろう、彼女はもう、あの古書店にも噴水公園にも近づかないだろうし、彼女の家など俺たちは知らない。
そういえば、彼女は魔法学校の生徒だったよな……
「そうだ! ナタリーは魔法学校の生徒だ。君が第三王子発案の講演を承諾すれば、また、彼女に会えるぞ!」
それは聞いたウォルターの表情はみるみる笑顔に変わってくる。
「名案だ! 流石はレザール」
俺は早速、第三王子の使者の元へ講演参加承諾の速達郵便を書いた。
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