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天井付近には、どうにも解せない酒臭い空気が溜まっていた。
俺の眼前には、酒を酌み交わし、肉を喰らう男たち。巻き起こる烈火のような笑いがその場を取り囲み、楽し気な雰囲気が場を淀ませる。
この人数にしては少し手狭な部屋にひしめき合い、各々が踊り子や歌い手などを話題に、狂ったように盛り上がっていた。
顔は皆適度に火照っている。
俺はどうもこの空間が苦手だ。原来、俺は酒は苦手だし、上の連中は頭がストーンだし、だからって、俺の一存だけでこの楽しい空気を台無しにするほど、俺はバカではない。
ここは接待の場である。ウォルターには出来ない、俺の仕事だ。
「おい、レザール。最近のウォルターの様子はどうだ? まだバカみたいに錬金術にご執心か?」
酒臭い息を吐きながら、錬金術界隈のトップであるマルクスが質問して来た。
ウォルターは二つ名とし、錬金術の権威なんて呼ばれているが、あれは新聞社が付けたあだ名だ。
本当の権威はマルクスの方、まぁ、どちらが権威に相応しいか、と訊かれれば、どっこいどっこいであるがな。
「ええ、今日もこんなにも愉快な宴が開かれているのに、研究所で黙々とやっております」
友達の悪口を言われたり、言ったりするのは、とても気分が悪い。しかし、これは仕事、マルクスを含む目上の奴をご機嫌にさせなくてはならず、不本意なことを言うのは仕方がない。
「魔法の連中もそろそろ諦めれば良いのにな? 早く我らに王の金を譲れば、こんなにはならんのだ」
魔法と錬金術の冷戦は、王都に春が芽吹き始めようとしても終わらなかった。最初はどちらの技術が優秀か、国民の論題となっていたが、今や飽きられ、次はどの王子が次期国王になるかに話題は変わった。
それは泥沼で、一向に進展を見せない争いをずっと観察していれば、飽きが来るというもんさ。
「まったくその通りです」
適当に賛同しとく、脳死で頷いとけばなんとかなるんだ。
「俺に良い案がある。確かー魔法学校に、ナタリーなんとかって言う、主席生徒がいただろう、ソイツとウォルターを戦わせれば、即座に決着がつくぞ」
冗談ぽく、一人の男が言うと、場が沸き。壁が砕けんばかりの爆笑が発生した、笑えない。
ウォルターとナタリーは今や恋仲。その事実を知っている者はごく少数だ。もし、あの二人が付き合っていることが発覚すれば、どう権力が作用するか大方見当がつく。
二人は強制的に破局させられるに違いない。
だが、それも仕方がないというもの、魔法と錬金術の戦中、二つの派閥の実力者が恋をしたなど、許されない。謂わば禁断の愛って奴だ。
エリート錬金術師が魔法少女に恋をしたなど、ほとほと笑えない話である。
酒場での酒宴は、朝方まで続いた。殆どは踊り子だの歌い手などの、下世話な話、後は愚痴。
俺が辟易し、どうも決まりが悪くなるのはいつものことで、更に悪酔したらしく、頭の中に常時鈍痛がする。
千鳥足で研究所に着くと、一枚の封筒が朝の透明な光に照らされポストに挟まっていた、送り主は新聞社らしい。
俺は封筒を片手に、研究所にはいり、頭痛を堪えながら、研究所のソファーに腰を下ろす。
ウォルターは寝ているらしい。
俺は封を千切り、中の藁半紙を出す。して、取材の申し込みだと山を立て、内容を読み上げた。
「ウォルター様へ。情報源は明かせませんが、貴方が魔道士であるナタリータンブレア学生に一方的に迫っているとリークがありました。つきましては、三日後の王国新聞でこれを記事として発表します」
酔いがさめた。
つまりはウォルターがナタリーと付き合っていることがなぜか、新聞社にバレており、更に、ウォルターが一方的にナタリーに恋心を抱き、迫ったことになっている。
由々しき事態だ。
このスキャンダルは、錬金術界隈に大きな打撃を与えることだろう。あまつさえ、ウォルターは変人という烙印を世間から押されつつあるのに、そこに少女に迫る変態ときたら、評価は地に落ちること間違いなしだ。
なんたって、神様は幸運を長続きさせてくれないのだろうか。
「レザール、帰ったのか。私は腹が減った」
丁度ウォルターが自室のドアから顔を出し言ってきた。
「おい、ウォルター! これを見ろ」
そう言って、ウォルターの前に藁半紙を突き出す。暫く、黒目を左右にしていたウォルターの表情は寝ぼけたものから青ざめたものへと変わっていた。
「なんだ、このデタラメな情報は! 私がナタリーに迫るはずないだろう」
その通りだ、んなデタラメで、錬金術の信用を落とすようなことをする機関は一つしかない。魔法学校だ。
こんな嘘をついて利益を得るのは魔法陣営だけだからな。恐らくは魔法学校の職員が、例の講演を見て着想を得たのだろう。
この嘘が厄介なのは、半分は事実な所だ。故に完全否定は出来ない、どうにかして良い塩梅に釈明せなくてはならず、それは神に会い世界の真理を聞き出すのと同等の難易度だ。
「これはどういうことだ! ウォルター!」
研究所のドアを杜撰に開け広げ、怒声を放ったのはマルクスだ。顔面は茹で上がったタコのように真っ赤で、それは未だ酔いの余韻があるからではなく別の要因だろう。
マルクスは、送り先の名が変わった、あの藁半紙をウォルターの前に突きつけた。
ウォルターは先ほどとは見違え、落ち着き払っている。
「スキャンダルとは、お前は錬金術にしか興味が無かったのではないのか? しかも、よりによって、魔法学校の主席生徒であるナタリーとか言う女に惚れよって」
俺は仲裁するよう口を出す。
「アルントさん、これは魔法学校のブラフです、ウォルターとは無関係で事実無根な情報です」
「いや、良いんだレザール。実際、私はナタリーに迫ったのかもしれない」
ウォルターの言葉を聞き、マルクスは更に憤慨する。
「なんだと、だとすれば、貴様には錬金術の研究をやめてもらわなければならない! 新聞の発刊と同時に、我々は釈明会見をする。そこでうまく折り合いがつかなかったら、それなりの処罰を下す、分かったな!」
「わかりました」
ウォルターは答えた。
「妙に利口では無いか、前みたく、揚げ足は取らんのか?」
「ええ、では、私は研究があるので」
そう言って、ウォルターはいそいそと自室に戻った。
「たっく、レザール! お前の目は節穴か? お前の仕事はウォルターを見張ること、忘れたとは言わせんぞ」
面倒なジジイだ。
「ええ、それは存じております」
「なら、何故こんな事態に陥ったのか、俺が納得のいくよう説明してみろ」
「それはー、ですねー」
「ほらみろ、出来んでは無いか、俺の権限で職務怠慢、お前を即刻追放も出来るのだぞ?」
この仕事をクビになれば、ウォルターともそうそう会えなくなるし、文字通り、俺は路頭に迷うことになる。絶対に避けるべき事態だ。
「それは、やめてください」
「ふん、お前に一つチャンスをやる。口下手なウォルターだ、釈明会見でもたつくのは想像できる。だからな、お前が会見でいい感じになるような台本をかけ、それで上手くいったら許してやろう」
「わかりました」
俺の返事を聞くや否や、アルントは開け広げられた研究所のドアを高圧的に閉めて、去っていた。
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