万年筆。

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万年筆。

大阪駅。阪急三番街です。そう、阪急三番街にはね、すこーしだけレトロなというか、雰囲気の違う場所があるんですよ。 その場所が何となく、好きで。えぇ、電球色が心地いい、なんとも怪しい裏路地のような場所です。と、言っても私は田舎の生まれなので本当に裏路地かどうかは分からないのですが。 高速バスが降りる場所があるでしょう? それでね、コーヒー屋とかハンバーガー屋がある場所とはね、反対側に行くんです。いいですか、反対側ですよ。信号を渡って、タクシーが止まっている横断歩道を渡るんです。そうして真っ直ぐ行くと、何屋さんだったかな、 確か判子か何かを売ってる店があるんです。その隣に、前までは無かったはずの店があったんです。いえ、店というか、扉ですね。なんてことは無い、普通の扉です。木製で、本当に普通の、むしろ今までなんで気づかなかったのかが不思議なぐらいにぽつんと、あったんですよ。 この日は月が綺麗な夜でした。 はっきり覚えてます。都会の明るい社会でも、見えるぐらいに、それはそれは見事な、三日月でした。少し何か起きるかもなんて、思えてしまうほどに、怪しく、美しく、綺麗な色でした。黄色を通り越して、橙色のような、色です。 そうそう、月日もしっかりと覚えてます。あれは、九月の十五日でしたよ。私が書いた小説をことごとく、ひとつ残らず、つまらないと編集者に言われ、ひどく傷ついた日でしたからね。 頑張った自分へのご褒美としての大阪旅行が一転、最悪の幕開けでした。悲しかったです。辛かったです。私は面白いと思って書いたものを、全否定されての旅行ですから。編集者の方にも言われましたよ。大阪で遊んでなんかいないで、はやく書け、と。 あぁ、話が逸れてしまいました。えぇと、そう、扉。扉の話です。それで、その日の私は何を思ったのでしょうね。人の家かもしれないんですよ。のれんもかかってない、立て札があるわけでもないというのに、何となくね。入ってみたくなったんですよ。扉を開けて、入ると、咳き込むほどの煙ですよ。一瞬火事かとも思うほどの煙でした。ですが、すぐに火事じゃないと気づきました。お香の匂いでしたから。ここで回れ右して、人混みに戻ればよかったと思うんです。今となってはもう遅いですが、本当にそう思います。 中へはいると、通路しかないんです。ちょうど人が1人通れるほどの、狭さです。とても2人は通れません。そして奥の方にぼやっと光が見えたんです。かがり火に群がる蛾のように光に誘われて、奥へ進むと、丸眼鏡に着物を着た、なんとも古めかしい格好の老爺が座っていました。
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